板書もできねー

2009-06-20 09:13:49 | 塾あれこれ
広島は空梅雨のようですね。
写真はイタリアンパセリです。


さて、授業評論家の二日目です。

前回の大まかな精神論から少し細かく書いてみます。

板書ができていない教員が未だにおられるようです。

板書(ばんしょ)する、とは黒板に書くこと。
その際の姿勢が出来ていないのです。

生徒が黒板になにか書くときは教室側からみると
むこう向きになりますね。
それと同じ格好で先生が黒板に向かっているので
その光景には驚きます。
後頭部がご自慢で生徒に披露されているのかなあ。

教室のすみずみにまで視線を配っておかねば
緊張感を維持できないはずです。

黒板の前では生徒に顔を向け体を開いて書くことが
基本中の基本姿勢になる理由です。

板書以外でもペーパーや教科書などを手にし
それを顔前にかざしておられる先生もおられます。
生徒から顔を隠したいのでしょう。
いや、生徒を見たくないのかもしれませんね。

教科書などを教壇においたまま、それに屈み込み
まっすぐ立っていることがない寄っかかり型。

生徒が前を見るといつも頭頂部チェックができる様な
姿勢でおられます。

いずれにしてもプロとしてはだらしがない姿勢です。


授業は何も見ないで進めたいものです。
予習しておればそれは可能です。

何より、自分が次にする授業のシナリオを書く
のですからそれを頭に入れておくことは当然で
頭に入らないまま(客の前に立つ)のはプロとして
不心得といえるのではないでしょうか。

吉本の舞台でペーパーを手にしたお笑い芸人が出る
ことが考えられますか?

オーケストラの指揮者や演奏家が楽譜を面前に置いて
いますが、あれは念のため。
基本的には暗譜しています。

ピアノのリヒテルは絶対に舞台で暗譜演奏をしなかった
とか。
彼だって覚えているはずで、性格(もしくは主義)で
そうされたのでしょう。

教員が手抜きをしているのとはワケがちがいます。

教員も気休めで教壇にペーパーを置いていても大丈夫
ですが、基本は(暗譜)でしょう。

生徒が教科書を見ながら先生は暗誦する、
これで見る目が変わりますよ。


見ないでやるのだから間違えることもあります。
それはよいチャンス。
すぐにカンニングペーパーを引っ張り出すのではなく
生徒と一緒にミスを探しましょう。

「おっかしいなあ。
 ねえ、これだからこうなって・・
 間違ってるか?」

定着しやすい授業になります。

(ちなみに、恥をかけない教員って最悪)

もし教室がざわつくならば自分の(ワールド)不足。

思いのたけをぶつけるチャンスかもしれません。