すでに消滅した山口塾に勤めていたころ
(古巣がなくなったのは寂しいですね。
ノウハウも資料も全部おいてきたのに)
ご他聞にもれず保護者会をよく開きました。
その場で何を話すか。
いつも同じような話なのです。
20年近くの間、あまり変わりませんでした。
前の話が後の保護者の方に伝わることはほとんど
なかったような感触を受けました。
たかが塾の話す内容ですからね、仕方がないけれど
言う側は「また同じ話をしなければならないのか・・」
少なくとも私はそうでした。
もちろん事情に詳しい方もおられ
「しょうがないなあ、また同じ話だ」と思われていた
でしょうけれど、少数派。
おおむね「またか」という反応は少なかったようです。
いまここに書くのも気恥ずかしいくらいですが
(小学生の間は女の子のほうが国語の平均点が高い)
(受験は算数で決まる)
(親の背を見て子は育つ)
まあこんな程度の話でも毎回のように出ていた、かな?
もちろん受験のシビアな話が多いですけれども。
同じ話をしながらホンネでは
「~は昔から言われていることだし、もう常識になって
いるだろう。あらためて言うほどのことはない」
という気持ちがありました。
またそれらの『常識』は(必ずあてはまる)ということ
でもないので付帯する説明をどこまでするか、も
悩むことでありました。
ことわざ、故事成語、言い伝え、そんなものに近い
感じがあるのです。
できれば突っ込んだ話だけをしたいのでしたが。
たとえば
(お母さん、家で勉強を教えないで)
これは正しいことですが、条件があるということ。
教えて良い場合だってたくさんありますし、
反対に教えるから良くないこともあります。
近年では親が我慢していると祖父母に教えてもらう
のもあるようで(それも親の見えない所で・・)
これをどう考えるか。
子供同士が教えるのはどうか。
○
上記くらいなら保護者懇談などでも説明出来ますが
一度言っておきたくて結局できなかった話の一つに
「教師の評判を子供の前で言わない」という
ものがあります。
(当ブログ06年11/26を参照下さい)
こういう話は大勢の前でないとできません。
けれども(自分を棚に上げて)という感じになり
そうで、ついに言えませんでしたね。
○
いつもする話、へ戻りましょう。
これらは数が多いし、意識の中に(ご存知だろう)
という思い込みもあるし、本当は申し上げるべきところ
抜け落ちてしまう恐れがありますね。
去年、手のヒラの骨折をしたとき
担当の若い医者は手術をしてもギブスで固めても
一長一短という程度の話しかしませんでした。
今、萎縮がおきている薬指を使うとヤハリ不便です。
毎日、腹がたちますね。
手術をしていれば違っていたのではないか、と。
確かに手術のリスクはあるでしょうけれども。
医者にしてみれば「それぐらい知っているだろう」
だったのでしょう。
でも言って欲しかったなあ。大病院は忙しくても。
知っていた上で自己判断したかった。
知らなかった私もモチロン恥ずかしい。。
世の中、すべからく「知らないと負け組」
そうは言っても全ての事を知る訳には行きませんから
しつこいと思われるかもしれないけれども
言わなければならないようです。
・・いつのまにか小言幸兵衛になりかけていますね。
(古巣がなくなったのは寂しいですね。
ノウハウも資料も全部おいてきたのに)
ご他聞にもれず保護者会をよく開きました。
その場で何を話すか。
いつも同じような話なのです。
20年近くの間、あまり変わりませんでした。
前の話が後の保護者の方に伝わることはほとんど
なかったような感触を受けました。
たかが塾の話す内容ですからね、仕方がないけれど
言う側は「また同じ話をしなければならないのか・・」
少なくとも私はそうでした。
もちろん事情に詳しい方もおられ
「しょうがないなあ、また同じ話だ」と思われていた
でしょうけれど、少数派。
おおむね「またか」という反応は少なかったようです。
いまここに書くのも気恥ずかしいくらいですが
(小学生の間は女の子のほうが国語の平均点が高い)
(受験は算数で決まる)
(親の背を見て子は育つ)
まあこんな程度の話でも毎回のように出ていた、かな?
もちろん受験のシビアな話が多いですけれども。
同じ話をしながらホンネでは
「~は昔から言われていることだし、もう常識になって
いるだろう。あらためて言うほどのことはない」
という気持ちがありました。
またそれらの『常識』は(必ずあてはまる)ということ
でもないので付帯する説明をどこまでするか、も
悩むことでありました。
ことわざ、故事成語、言い伝え、そんなものに近い
感じがあるのです。
できれば突っ込んだ話だけをしたいのでしたが。
たとえば
(お母さん、家で勉強を教えないで)
これは正しいことですが、条件があるということ。
教えて良い場合だってたくさんありますし、
反対に教えるから良くないこともあります。
近年では親が我慢していると祖父母に教えてもらう
のもあるようで(それも親の見えない所で・・)
これをどう考えるか。
子供同士が教えるのはどうか。
○
上記くらいなら保護者懇談などでも説明出来ますが
一度言っておきたくて結局できなかった話の一つに
「教師の評判を子供の前で言わない」という
ものがあります。
(当ブログ06年11/26を参照下さい)
こういう話は大勢の前でないとできません。
けれども(自分を棚に上げて)という感じになり
そうで、ついに言えませんでしたね。
○
いつもする話、へ戻りましょう。
これらは数が多いし、意識の中に(ご存知だろう)
という思い込みもあるし、本当は申し上げるべきところ
抜け落ちてしまう恐れがありますね。
去年、手のヒラの骨折をしたとき
担当の若い医者は手術をしてもギブスで固めても
一長一短という程度の話しかしませんでした。
今、萎縮がおきている薬指を使うとヤハリ不便です。
毎日、腹がたちますね。
手術をしていれば違っていたのではないか、と。
確かに手術のリスクはあるでしょうけれども。
医者にしてみれば「それぐらい知っているだろう」
だったのでしょう。
でも言って欲しかったなあ。大病院は忙しくても。
知っていた上で自己判断したかった。
知らなかった私もモチロン恥ずかしい。。
世の中、すべからく「知らないと負け組」
そうは言っても全ての事を知る訳には行きませんから
しつこいと思われるかもしれないけれども
言わなければならないようです。
・・いつのまにか小言幸兵衛になりかけていますね。