いつもの同じ話で・・

2009-06-04 17:42:48 | 塾あれこれ
すでに消滅した山口塾に勤めていたころ
(古巣がなくなったのは寂しいですね。
 ノウハウも資料も全部おいてきたのに)
ご他聞にもれず保護者会をよく開きました。
その場で何を話すか。

いつも同じような話なのです。
20年近くの間、あまり変わりませんでした。
前の話が後の保護者の方に伝わることはほとんど
なかったような感触を受けました。
たかが塾の話す内容ですからね、仕方がないけれど
言う側は「また同じ話をしなければならないのか・・」
少なくとも私はそうでした。

もちろん事情に詳しい方もおられ
「しょうがないなあ、また同じ話だ」と思われていた
でしょうけれど、少数派。
おおむね「またか」という反応は少なかったようです。

いまここに書くのも気恥ずかしいくらいですが
(小学生の間は女の子のほうが国語の平均点が高い)
(受験は算数で決まる)
(親の背を見て子は育つ)
まあこんな程度の話でも毎回のように出ていた、かな?
もちろん受験のシビアな話が多いですけれども。

同じ話をしながらホンネでは
「~は昔から言われていることだし、もう常識になって
 いるだろう。あらためて言うほどのことはない」
という気持ちがありました。

またそれらの『常識』は(必ずあてはまる)ということ
でもないので付帯する説明をどこまでするか、も
悩むことでありました。

ことわざ、故事成語、言い伝え、そんなものに近い
感じがあるのです。
できれば突っ込んだ話だけをしたいのでしたが。

たとえば
(お母さん、家で勉強を教えないで)
これは正しいことですが、条件があるということ。

教えて良い場合だってたくさんありますし、
反対に教えるから良くないこともあります。

近年では親が我慢していると祖父母に教えてもらう
のもあるようで(それも親の見えない所で・・)
これをどう考えるか。

子供同士が教えるのはどうか。


上記くらいなら保護者懇談などでも説明出来ますが
一度言っておきたくて結局できなかった話の一つに
「教師の評判を子供の前で言わない」という
ものがあります。

(当ブログ06年11/26を参照下さい)

こういう話は大勢の前でないとできません。
けれども(自分を棚に上げて)という感じになり
そうで、ついに言えませんでしたね。


いつもする話、へ戻りましょう。

これらは数が多いし、意識の中に(ご存知だろう)
という思い込みもあるし、本当は申し上げるべきところ
抜け落ちてしまう恐れがありますね。

去年、手のヒラの骨折をしたとき
担当の若い医者は手術をしてもギブスで固めても
一長一短という程度の話しかしませんでした。

今、萎縮がおきている薬指を使うとヤハリ不便です。
毎日、腹がたちますね。
手術をしていれば違っていたのではないか、と。

確かに手術のリスクはあるでしょうけれども。

医者にしてみれば「それぐらい知っているだろう」
だったのでしょう。

でも言って欲しかったなあ。大病院は忙しくても。
知っていた上で自己判断したかった。

知らなかった私もモチロン恥ずかしい。。
世の中、すべからく「知らないと負け組」

そうは言っても全ての事を知る訳には行きませんから
しつこいと思われるかもしれないけれども
言わなければならないようです。

・・いつのまにか小言幸兵衛になりかけていますね。