広島市西区のカーテン屋

2009-06-13 12:03:12 | 塾あれこれ
わが広島にケチはつけたくないけれど典型的な
昔はよくあったなあ、こんなしょぼいの
というお話です。

今週火曜日カーテンのチェーンがぽろりと外れたのです。

「ん~、ひろしまじゃの~・・」


現在の家に越してきたころはまだ我が家もバブリーな
気分が多少残っていました。
中古の狭小住宅ですが、長期ローンも組み無理した
お買い物です。
ついでにカーテンも良いものを探そう、となりました。

西広島とここ五日市の間にあるFという町にVという
カーテン屋というか輸入の洋品店(死語!)というか
広島にしてはオシャレかなあ、という店があります。

今時のお母さん向って感じもあり、団塊世代としては
ちょっと明るすぎるような気もします。

その店で苦労してジミなカーテンを探しました。

今思えば自分達のレベル以上の背伸びした買い物を
しちゃったようです。
どうも後がいけません。

家が狭いので横に引くタイプでなく上に引き上げる型を
選びました。少しでも広く使えるように。

カーテンレールから全て店の仰るとおりに付け替えて
もらいました。

何年かたつと上下させる機構が滑らかでなくなり
ヘンだなあ、と思っていると突然動かなくなります。
そのうち毎年修理になってきました。

無料修理から次第に部品代請求と変わっていくのも
仕方ありませんね。

店が考えた設計が最初から怪しいという気もしますが
こちらから証明できませんしね。

ついに昨年カーテンを上下させる機構そのものを
新しく買い変えてくれ、なんて言われましてね。

「良いものです、これで十年はもちますから」

ン万円も取られたのですよ。

いや貧乏に成り下がった身にはつらいことでして。

でもな、いつも壊れる度に呼んでいては申し訳ないし
ということで我慢しました。

さてそれから、一年と三ヶ月の6/9{ぽろん}ですよ。
あ~あ


私はね、大学生のときアオヤマで買ったブレザーを
40過ぎても着ていた男です。
自慢じゃないがものを大切に使います。
(キモ!かもしれない)

その私が扱うカーテンですから乱暴に使うワケがない。
たとえ無神経な男でも十年繰り返せば学習するでしょう。

んとに情けなかった(ポロ)でした。


で、電話したらお休みの日。

留守電に入れて翌日、営業開始時間の10時を過ぎても
電話してきません。

11時半にやっと掛ってきました。営業の方でしょう
「今日はカーテン担当に大きな仕事がありまして
 明日また、担当のほうが電話を差し上げます」
ごめんなさい口調のテンコ盛りです。

ならば、なぜこの時間まで電話ができないの?

最低限、電話が遅くなったワビを嘘でも言えよ、な。

次の日、木曜です。
夕方まで電話がありません。

生徒が来るので仕方なくこちらから電話。

「担当が出ております。連絡をして見ます」

「でいつごろ電話くれますの?一時間もかかるの?」

「ハアそれくらいですね」

話のやりとりがあって、この時間ではもう生徒が来る
から、家の近くまで来てからケイタイで
「今から行く」でも修理できない旨を連絡しておき
翌日=昨金曜日に電話をもらうことにしました。

金曜の朝8時前でしたね。
「今から行っていいか?あと15分!」ですって。

それで、やってきたオッサンは何も出来ず
ははあ、と数分眺めたあとで
「今日はカーテンの担当が休みですから明日電話させます。
カーテン下がったままですがよろしいでしょうか?」

私「いいですよ。死にやしません」

イヤミのつもりでしたが効かなかったようです。

見るだけならオッサンが前日来い、っての。

で、本日土曜午前9時前に電話。
無事直していただきましたが、そのとき、あれを言うぞ
言うぞ・・・・

・・・来た~~~

「ふつうは外れないんですけどね」


良いものを作って販売しても
サービスがお粗末だと、という話でした。

私に子供がいれば、しっかり教えておくような教訓です。

よい物を作ることが基本ですがそれだけでは足りません。
営業はそのためにあり、そして組織の人間全てが
営業ということにもシンケイを使わなきゃいけないの
ですね。

でもそれは難しいことなので。。

お金持ちが行くような店に、貧乏人が行くとバカをみる
ということになるのです。

ウチがお得意様なら上記のようなことはありえません。

官と民のセンス

2009-06-12 10:44:23 | 塾あれこれ
新型インフルエンザが広島県でも確認されました。

その男性への対応で、役所は発熱外来への案内を
しなかったとか、いかにもオソマツな話がニュースに
なっています。

やはり新型インフルエンザで福岡では対応のまずさを
めぐって県と市が責任の押し付け合いです。

いかにも役人の世界というニュースですね。
日本の役人はもう少し優秀だと思っていましたが・・

彼らの目に一般国民は何と映っているのでしょうか。
人々をよほどバカにしているからこれで通ると思っている
のではないかしら。

とまあ、毎度お役人の悪口ばかり書いていますが
言われても仕方がないですよね。

とはいえ、言われる役人も別に平気なんですからシマツが
悪い。
蛙のつらにナントヤラ、です。


当塾の現在の話はなかなか出来ません。
仕事の話は山口塾に勤めていた話が中心になります。

法令順守、個人情報保護、業界へのエチケットなどを
考慮しますと今のことは殆ど書けなくなるのです。

また、ロコツな宣伝も恥ずかしいからできません。

世間には控えめなフリしての(じつは宣伝)なんてのも
あり、それはもっと恥ずかしい。

どうせ小さい塾ですからじたばたしても、なんて言い
つつ、官よりはマシという(じつは宣伝かな?)話。

私が、ではなく通塾下さっている生徒の保護者が
キチンとしておられるという話です。

通塾している生徒の兄弟がこの夏季休暇を利用して
南半球へ約一ヶ月の語学研修に行かれるのです。
日本に帰国するのが8月中旬。

南半球は冬ですから、万一インフルエンザに罹って
いることを考えて、兄弟の帰国後一週間は通塾を
控えたい、という連絡を頂いたのです。

有難い配慮ですね。

もちろんその間の振替をすべくご返事を申しあげ
ましたが、この保護者の用意周到さ、しかも兄弟の
塾の夏期講習まで目を配られる心。

「万一にも他の通塾の方にご迷惑をかけないように」と
仰られました。

上記の(官)と我々民間の意識の違いは歴然ですね。

『酸素のはなし』

2009-06-11 10:48:32 | 本の話
生徒には勉強を強要するくせに自分ではやらない、
教員とはこんなものかもしれませんが
ご他聞にもれず私も勉強しませんね。

何しろ読む力も記憶する事も、更にはその維持も
ガタガタであります。


三村芳和著『酸素のはなし』中公新書

新書を読む程度で勉強?
なのですがそれでもタマにはお勉強を。

ところがけっこう細かい。
もちろん地球の歴史のように大きな話もありますが。

内容を記憶にとどめることは難しいかも。sigh・・・

「還元的TCA回路・・酸素下で糖を燃やすときに
二酸化炭素が放出される反応がおきるが、この逆の
反応により二酸化炭素を固定する方法だ。
 この反応には電子の放出源(NADH、FADHなど)
が必要となる。水素細胞など無機物をエネルギーとし
酸素を電子受容体として二酸化炭素固定をおこなう
独立栄養生物が主にこの反応をおこなっている」

とか

「VHL蛋白はHIF-1αの水酸化されたプロリンと
結合し、これが目印となって蛋白質分解の標的となり
プロテアゾームという酵素でHIF-1αが壊されてしまう。
VHL蛋白がまともにできないVHL遺伝子異常では・・」

書き写すのもたいへんです。
ほんとうはこの後に大切なことが書いてあるのですが
長くなるので写すのが面倒です。

極端に難しいわけではないけれども、大変でしょう?

今の高校生や大学生はこれを覚えなくてはなりません。
私たちのころは科学もまだ進化していなくて
もっと簡単な内容でしたがそれでも私など苦手な化学的
表現は覚えるのが大変でした。
光合成でカルビン回路なんて出てねえ、たいへんでした。


永田和宏著『タンパク質の一生』になるともっと面倒。
(頑張って少しずつ読んでいます)

これぐらいでネをあげていては学生諸君に
笑われますけれども。

どんどん使っていればそれほど苦労しなくても
どんな難しそうな言葉でも覚えられるものです。
NADH→ニコチンアミドアデニンヌクレオチドとか。  

二段階、三段階に分けて頭に入れればよいものを
訳もわからないまま全てをマル覚えしようとするから
すぐ「剥落」しちゃったのですね。

難しい単語まで一緒に分ろうとするから大変で
大きな流れを理解して、その後で、たとえば
TCAとはトリ カルボキシリック アシドといい
云々 とか理解を深めればよいのです。

少なくとも私はそういうほうが入りやすい。

学校の授業で話を淡々と進められ、試験前にマル覚え
をしてあと忘れる、というより定着しやすいでしょう。

難しい言葉やアルファベットが出てきたら読み飛ばす
気持ちで半分無視して次へゆけばよいのです。

案外おおよそのことが掴めるから不思議。

バードウォッチング

2009-06-10 10:11:53 | 塾あれこれ
野鳥観察などクッダラネエと思っていました。

・・何だねえ、あの(らしい)格好。
いかにも「私は自然を守ります」みたいな。

ああいうのは胸に色々バッヂをつけるのもお好きな
ヤカラとお見受けしていました。

鳥を見てどうする、写真とって自然保護ですか?
車でやってきて何がエコだよ。

鳥にとっても他の人間にとってもジャマだから
凝りたいならば自分だけの世界でやって欲しいなあ。

・・という具合です。

それが散歩するようになって、ふわ~と空を飛ぶ鳥に
好いなあと思い始めたのです。
ワッチャーの気持ちも少しは分ります。

そうは言っても恐竜の子孫ですからね、鳥は。
ウェブサイトなどで余りにくっきりとした写真など見ると
可愛いというよりもオトロシイ。

でも、なぜ鳥を見ると良いのだろう?

こちらが飛べないのに、あちらが飛べるから?
今では安物の詩人でも言えないセリフですね。

やはり、身の回りに自然が少なくなったからでしょう。
あまりに平凡な感想ですが。

ガーデニングをしても犬猫を飼っても自然の擬似体験に
すぎません。
自分達人間に都合のよい、管理された世界です。

ネコにも自然を見つけられます。
それならば人間だって動物ですから。
ネコも人間も違いはないというほうが正しいでしょうか。

それに比べると鳥たちは「自然」ですねえ。

清少納言が聞いたホトトギス、芭蕉が見たカラスと
同じ鳥たちと今でも出会えるのです。


物事の識別に弱い私は椿もバラも同じに見えるのです
から、鳥の種類も見分けられません。

それでも少しずつ分る鳥が出てきました。

カラス、ハト。
ハシブトとかハシホソとかドバトだの細かいことは
言わないようにして。。。

それから良く見るのはスズメ、ムクドリ、ヒヨドリ、
更にモズやメジロも区別がつくようになってきました。
笑わないで下さい。これでも進歩してるんだから。

川などではサギ、セキレイ、カモメ、ウ、トンビ
それらにも種類がありますが、ま、置いといて・・

渡り鳥で、ツバメ類、シギ・チドリ類、カモ類。

声に特徴があるのも存在を確認できますね。
ウグイス、ヒバリ、ホトトギス、オオヨシキリ
姿は見えません。

他にはアジサシやカワセミを見かけます。
アジサシは先日も見ました。ただし数羽。
良いですね、あのダイビング。


人口百万を越える町で繁華街まで30分の住宅街としては
標準的な鳥の種類でしょうか。

識別能力の劣る私の短い散歩だけでの体験ですから
注意すればまだまだ出会えるのでしょう。

でも数よりも写真よりも普通の鳥で十分です。
(環境が戻って種類も増えるのがベターですが)

カラスの着地。
人間の子供みたいなハズミをつけたポンっての。

あるいはセキレイの早歩き。
地上を速く動くときは両足をそろえてピョンピョンが
鳥では普通でしょうがセキレイときたらものすごい勢いで
足を交互に動かしています。

先日はツバメが川床の砂地で何か突いていました。
あれは何をしていたんだろう?

『悪文』

2009-06-09 10:21:11 | 本の話
中村明『悪文』ちくま学芸文庫

もとは1995年(ちくま新書)で出たものを2007年文庫に
されたそうです。
同じ著者同じ文庫に『名文』という本があるので
そちらも読まないといけないかもしれません。

文章を書く上で気をつけなければならないことを
教科書風に、けれども読みやすく、書かれたものです。


日本料理の高名な先生が文章の書き方も教えるのか
なんてそそっかしく間違えましたが
アチラは中村孝明さんでしたね。

『鉄人』で道場六三郎のあとをやってた方です。

そういえば彼が関わった(らしい)レトルトカレー
「雲仙ビールカレー」は旨いですよね。
我が家にとっては価格が高いのであまり食せませんが。

中辛ですので、私はビンダルウペーストをたっぷり効か
せた辛~い焼き飯を作り、その上にこのレトルトを
かけます。・・・旨い。


ええ、まったく違う話になってしまいました。
悪文の代表だね。

自分の考えがまとまらないのに書く文章
読む側に向けての気配りのない文章

こういうものを戒めておられます、ははは。

もちろん、細かい「てにをは」や「誤字」などへも
丁寧に言及されていますが、それよりも大きな
スタンスで(悪文とは何か)を指摘しておられます。

適当に書いている私は冷や汗ばかりがでますね。


「この日本語はおかしいだろう」という文例の中に
私は平気で使っているなあ、なんてものがあり
サスガに恥ずかしい思いがします。

「あのお宅ではいまだに白黒テレビだそうですよ」

この表現に違和感をいだくほどの語感が私には
ありません。
ヤバイなあ。

(いまだに)→(もっていない)が正しい語感。

こういうものは、私のようにいったん狂ってしまうと
あとで直すのが大変です。

言葉を覚えるのは見聞きが中心ですから普段身の回り
にどのような日本語が飛び交っているか、が問題に
なりますね。

マスメディアの日本語のひどさはどうでしょう。

こんな(狂ってしまった)私でさえ唖然とします。

天下の大新聞の日本語で目立つのがマイナスの語感
であった言葉をプラスに使っていることです。

たいへん気になるし問題でもあります。

有名な例では「耳ざわり」をプラスに使うとかね。
耳ざわりが良い、はヘンでしょう。。
これくらいなら私にも分ります。

さすがに(目ざわり)はまだ悪い方に使われている。

先日も新聞で「引っかかる」をプラスで使っていました。
「人として引っかかる存在になりたい」?!

私は、その言い方に(引っかかる)

インタビューで誰かが言ったのならまだしも
記者の感想として書いているのです・・

新聞社にもずいぶんエライ方がおられるでしょうに
こんなの許しておいて良いのかね?

嫌われたくないものだから言わないのか、
注意を聞かない若者が勝ってしまう組織なのか。

いずれにせよ「文法だけ」では到底掬い取れない
言葉の奥深い世界を守らなくてはいけません。


放送局はもっと難しいですね。
アクセントという要素が加わりますから。

梅干をつける

2009-06-08 14:36:10 | 塾あれこれ
梅干は私の担当。
「もう今年は止めたら」というアリガタイ
勧告を無視し続けて毎年漬けております。

といっても2~3kgですから可愛いものです。

昨年の6/11におよその話を書いていますから
もし参考になさりたい方はそちらをご覧下さい。

カミサンは冷蔵庫で糠漬け(少量です)
私は年に一度の梅干


梅干はもっとも簡単な保存食の一つですね。
2kgならば梅酒の壜でできます。

重石も不要と言う説がありますが私は
1kgでやっております。

焼酎で、壜も、梅も、手もきれいに洗い殺菌を
心がけているだけです。
沢山漬けるならば別でしょうが少量ならこの程度の
注意だけで失敗しません。

その代わり、昔の味、酸っぱくて塩辛~い!!!!
こうでなくちゃいけませんよね。

紫蘇はなくてもよい、という方もおられますがやはり
欲しいですね。
面倒くさければ市販の灰汁を抜いたもので大丈夫。

土用干は手抜きをせずに、したいものです。
(でも、しなくても十分にいただけます)


先日珍しく外で昼ごはんを頂きました。

流川(広島市内)の寿司屋さん。
広島では名前は知られている店です。
美味しい所でした。

その店で大将が自家製の梅を漬けると言われ
ました。
10~15kgだそうで意外に少ないなあと
いうのが私の感想です。

寿司屋さんなら色々使いみちがありますから
もっと多いかと思っていました。
私が聞きだしたわけでなく、アチラが勝手に話を
されたのですからウソを言われることはないでしょう。


私も昔は梅酒、青梅甘露煮、梅ジャム、など色々と挑戦
しましたが結局梅干だけ続けています。

大きな家で涼しい場所が確保できれば沢庵を漬ける事が
できるでしょうが、今の我が家ではムリです。
やってみたいみたいですがね。
甘味料の入っていないホンモノを食べたいのです。

内田百も言ってましたが甘い沢庵はいけません。

日本人はどんどんと味を忘れてきたのではないか、
そんな気がしますね。

『ぼくの妹』

2009-06-07 14:03:59 | 塾あれこれ
新聞のテレビ欄で俳優が揃っていたので見始めました。
視聴率は今ひとつ良くないようですね。

出来が良いドラマだと思います。
シナリオは池端俊策、さすがです。
今の日本では受けが良くないかもしれませんが。

最初はサスペンスか、コメディーか、など分りづらい
まま、何だか見てしまいましたね。
ストーリーが少しずつ私の予想を外れ
(ん~、そうくるか・・)
という面白さがあります。

演出は甘いように思いますが俳優が揃っていますから
演技力で見せます。
中ではジュニアがどうしてもちょっと弱い。
周りが上手すぎるので余計に目立つのでしょう。


人が生きるということは別れの連続だといえます。

色々なことに別れを告げなければ生きていけません。

人との別れは悲しいことですが、また会えます。
たとえ永遠のお別れをしようとも、いつも話は
できるものです。

毎日手紙を書けば宜しい。
もちろんペンや紙は不要です。
「ねえねえ・・」と話しかければよいのです。

このドラマにはいろいろな別れが織り込んであります。
私にはそれが主題のようにさえ思えます。

でも、別れはまだよろしい。

つらいのは喪失ですね。

掬い取ろうとして流れ去るのを見守るしかなかった
時間のかなたにいつしか消えてしまう・・こと、ひと。

これは(別れ)とは違う取り返しのつかない哀しみを
伴います。

瀬戸内の明るい海を眺めていると、吹いてくる風のように
訪れて消え去る(喪失しそうな何か)

明るいまでの哀しみ。


ドラマ、どう進むのでしょう。
今日も期待しましょうか。


つい、ケチをつける悪い癖ですが、

途中CMに入る前での「予告編」は止めてもらえないかな?

お笑い番組で「CMのあとは○○が爆笑ギャグ・・」って
予告を入れるでしょ。
あれと同じ事をドラマでやっちゃいけません。

見る側のレベルを見下しているのかな。

倉本聡の『風のガーデン』が頑張ったように
視聴者には媚びないぞ、という姿勢が欲しいものです。
ドラマのTBSが泣きますぞ。

責任者=首相が謝罪を

2009-06-06 15:11:08 | 塾あれこれ
それくらいしないと今後も変わらないのではないか?

足利事件です。
本当にひどい話。

二度と起こさないためには国が重大さを受け止める
ことが必要です。
もちろん麻生首相が悪いわけではないけど
責任者というものは立場上謝らねばならないことが
あります。


この事件、91年12月に逮捕だったそうです。

そのころ宮沢喜一が首相になったばかりかな。
♪「愛は勝つ」がスーパーなどでよく流れていました。
その翌92年きんさんぎんさんブームとか貴花田初優勝とか。
93年に米大統領がパパブッシュからクリントンに代わって
います。

大変な昔ですね。
携帯電話だって普及率は小さかったですね。

そんな以前から冤罪を背負わされていたわけです。

何とむごい話でしょう。

個人的な話ですが、93年初めに私たちは婚姻届を
提出しています。
菅家さんの長い年月とほぼ同じだけ我々も夫婦という
ものを続けているわけですが、色々ありました。
それを考えるとなんという長さでしょう。

62歳には見えない菅家さんの顔からは時間の長さだけで
なく、厳しさも窺えます。
本当は私たちが思うよりはるかに厳しい毎日でしょう。

(花輪和一著『刑務所の中』青林工藝舎
 漫画家が懲役3年の実刑を受け、その経験を絵にした
 本で、リアルです。)

菅家さんの場合は、何より無実を証明するという前途が
見通せない不安が大きかったでしょう。
また、いつまで続くか分らないという無期の大変さ、も
あったでしょう。

私などには想像も付かない精神力ですね。


それにしても警察検察は戦前の取調べから変わって
いない様子じゃないですか。

これもひどい話です。

戦後半世紀たって旧態依然とは。

裁判所も問題が多そうですね。

結局変える気がないということでしょう。
捜査の大変さ=自分達の都合が先にたつのです。

だから首相が謝るべき、
そうしないと変わりそうもないでしょう。

誰のほうをむいて行政を行うのか、
きちんと考えるべきなのです。

確かに、被疑者の人権ばかりを強く言うとの批判も
被害者などの気持ちとしては分かるような気がします。

けれども冤罪のひどさ痛みは誰も償えません。

失った人生を取り戻すことはできないのです。

さまざまな経験を繰り返しながら出来上がってきた
現代の刑法の考え方に今一度光を当てるべきです。

疑わしきは罰せず。


学生のころ『刑法総論』が難しくてねえ。
でも勉強した甲斐は少しあったかもしれません。

個人の感情だけでは社会はよくならない、ということを
学んだのですから。

アラカンねえ

2009-06-05 10:32:55 | 塾あれこれ
たかじんが「アラカンっていうたけど、嵐寛寿郎ちゃうで」
と口走り、つまらなさに自分で照れていました。

いまや嵐といえば例の超アイドルで決まりですが彼ら
の登場以前は嵐といえば寛寿郎でした、ぞ。
アラシカンジューロー=アラカン

バンツマと並ぶ国民的スターでしたね。

竹中労著『鞍馬天狗のおじさんは』を読むとアラカンが
よく分ります。

殺陣は独特の(踊り)だったけれど
生き方はマネのできない豪放なものだったそうです。
晩年の映画やTV出演はヨゴザンシタねえ。


しかし、ムリヤリでしょうね。
アラウンド還暦=アラ還という言い方は。

団塊と呼ばれるのが嫌だから使う、なんて人も
増えるかもしれませんがね。

中身が変わらないでネーミングだけ変えても
仕方ないと思いますが、どうでしょう?

アラカンになったとたんに(離婚したら財産は
全て奥さんに)なんて本当のアラカンを真似る
人が出てくるかしらん?

ありえませんよね。
団塊は団塊。
何がアラカンじゃ。。。


政治改革、などと名前を変えても結局利権を握る形が
変わっただけ、誰が牛耳るか一種の権力闘争、なんて
のよりは可愛いですけれども。

ネーミングには注意が必要ですね。

世代論、というのは本当はマユツバです。

使いやすい言葉ですから「団塊世代は~」なんて
私もしばしば書いていますが本当はよくありません。

血液型による性格判断よりは若干マシくらいでしょうか。
いや本当らしい分、かえってタチが悪いか。

「丑年生まれは~」小学校帰りに運勢のヨビコミ?を
見るのが好きでしたね。
その一年の人は同級生皆同じ運勢か!なんて内心ツッコミ
ながらですが。

世代論など十年ひとくくりですから・・アヤシイ!

もちろん年齢が近いと経験が似通うことはあります。

団塊世代なら、東京オリンピックとかね、
「あのときミヤケ選手は・・」
なんて話題、ピンと来ますからねえ。

経験や知識が共通だと似た空気が出ることも当然です。
そこで世代論に陥りやすいのです。

(井上→団塊)はありえても
(団塊→井上)が成り立つのはウチのカミサンくらい
でしょうから世代論は正しくない!

逆、真ならず。


何の話を書くつもりか不明になってきました。

「あれ?何だっけ・・」
これは不変の老化現象。

いつもの同じ話で・・

2009-06-04 17:42:48 | 塾あれこれ
すでに消滅した山口塾に勤めていたころ
(古巣がなくなったのは寂しいですね。
 ノウハウも資料も全部おいてきたのに)
ご他聞にもれず保護者会をよく開きました。
その場で何を話すか。

いつも同じような話なのです。
20年近くの間、あまり変わりませんでした。
前の話が後の保護者の方に伝わることはほとんど
なかったような感触を受けました。
たかが塾の話す内容ですからね、仕方がないけれど
言う側は「また同じ話をしなければならないのか・・」
少なくとも私はそうでした。

もちろん事情に詳しい方もおられ
「しょうがないなあ、また同じ話だ」と思われていた
でしょうけれど、少数派。
おおむね「またか」という反応は少なかったようです。

いまここに書くのも気恥ずかしいくらいですが
(小学生の間は女の子のほうが国語の平均点が高い)
(受験は算数で決まる)
(親の背を見て子は育つ)
まあこんな程度の話でも毎回のように出ていた、かな?
もちろん受験のシビアな話が多いですけれども。

同じ話をしながらホンネでは
「~は昔から言われていることだし、もう常識になって
 いるだろう。あらためて言うほどのことはない」
という気持ちがありました。

またそれらの『常識』は(必ずあてはまる)ということ
でもないので付帯する説明をどこまでするか、も
悩むことでありました。

ことわざ、故事成語、言い伝え、そんなものに近い
感じがあるのです。
できれば突っ込んだ話だけをしたいのでしたが。

たとえば
(お母さん、家で勉強を教えないで)
これは正しいことですが、条件があるということ。

教えて良い場合だってたくさんありますし、
反対に教えるから良くないこともあります。

近年では親が我慢していると祖父母に教えてもらう
のもあるようで(それも親の見えない所で・・)
これをどう考えるか。

子供同士が教えるのはどうか。


上記くらいなら保護者懇談などでも説明出来ますが
一度言っておきたくて結局できなかった話の一つに
「教師の評判を子供の前で言わない」という
ものがあります。

(当ブログ06年11/26を参照下さい)

こういう話は大勢の前でないとできません。
けれども(自分を棚に上げて)という感じになり
そうで、ついに言えませんでしたね。


いつもする話、へ戻りましょう。

これらは数が多いし、意識の中に(ご存知だろう)
という思い込みもあるし、本当は申し上げるべきところ
抜け落ちてしまう恐れがありますね。

去年、手のヒラの骨折をしたとき
担当の若い医者は手術をしてもギブスで固めても
一長一短という程度の話しかしませんでした。

今、萎縮がおきている薬指を使うとヤハリ不便です。
毎日、腹がたちますね。
手術をしていれば違っていたのではないか、と。

確かに手術のリスクはあるでしょうけれども。

医者にしてみれば「それぐらい知っているだろう」
だったのでしょう。

でも言って欲しかったなあ。大病院は忙しくても。
知っていた上で自己判断したかった。

知らなかった私もモチロン恥ずかしい。。
世の中、すべからく「知らないと負け組」

そうは言っても全ての事を知る訳には行きませんから
しつこいと思われるかもしれないけれども
言わなければならないようです。

・・いつのまにか小言幸兵衛になりかけていますね。