責任者=首相が謝罪を

2009-06-06 15:11:08 | 塾あれこれ
それくらいしないと今後も変わらないのではないか?

足利事件です。
本当にひどい話。

二度と起こさないためには国が重大さを受け止める
ことが必要です。
もちろん麻生首相が悪いわけではないけど
責任者というものは立場上謝らねばならないことが
あります。


この事件、91年12月に逮捕だったそうです。

そのころ宮沢喜一が首相になったばかりかな。
♪「愛は勝つ」がスーパーなどでよく流れていました。
その翌92年きんさんぎんさんブームとか貴花田初優勝とか。
93年に米大統領がパパブッシュからクリントンに代わって
います。

大変な昔ですね。
携帯電話だって普及率は小さかったですね。

そんな以前から冤罪を背負わされていたわけです。

何とむごい話でしょう。

個人的な話ですが、93年初めに私たちは婚姻届を
提出しています。
菅家さんの長い年月とほぼ同じだけ我々も夫婦という
ものを続けているわけですが、色々ありました。
それを考えるとなんという長さでしょう。

62歳には見えない菅家さんの顔からは時間の長さだけで
なく、厳しさも窺えます。
本当は私たちが思うよりはるかに厳しい毎日でしょう。

(花輪和一著『刑務所の中』青林工藝舎
 漫画家が懲役3年の実刑を受け、その経験を絵にした
 本で、リアルです。)

菅家さんの場合は、何より無実を証明するという前途が
見通せない不安が大きかったでしょう。
また、いつまで続くか分らないという無期の大変さ、も
あったでしょう。

私などには想像も付かない精神力ですね。


それにしても警察検察は戦前の取調べから変わって
いない様子じゃないですか。

これもひどい話です。

戦後半世紀たって旧態依然とは。

裁判所も問題が多そうですね。

結局変える気がないということでしょう。
捜査の大変さ=自分達の都合が先にたつのです。

だから首相が謝るべき、
そうしないと変わりそうもないでしょう。

誰のほうをむいて行政を行うのか、
きちんと考えるべきなのです。

確かに、被疑者の人権ばかりを強く言うとの批判も
被害者などの気持ちとしては分かるような気がします。

けれども冤罪のひどさ痛みは誰も償えません。

失った人生を取り戻すことはできないのです。

さまざまな経験を繰り返しながら出来上がってきた
現代の刑法の考え方に今一度光を当てるべきです。

疑わしきは罰せず。


学生のころ『刑法総論』が難しくてねえ。
でも勉強した甲斐は少しあったかもしれません。

個人の感情だけでは社会はよくならない、ということを
学んだのですから。