昭和44年の会葬礼状

2008-11-19 14:21:45 | 塾あれこれ


母が遺したものを少しずつ片付けています。
上記写真、文面だけ印刷されている葉書が
出てきました。

後々参考にしようと母が取っておいたのでしょうが
その文章の古風なこと。

以下に書き写しますが若い人のために*注をつけて
おきましょう。(塾っぽいでしょ?)

謹啓*                父幸兵衛儀
死去に際しては早速*御懇篤*なる御弔詞*を忝*うし
ご多忙中にも拘*らず遠路態々*御会葬賜り且*
御鄭重*なる御香資*を拝受し御芳志*誠に有難く
厚く御礼申し上げます。
故人の生涯に賜りました御芳情*を感謝致しますと共に
今後共相変わりませず御交誼*の程お願い申上げます
就きましては一々拝趨*御厚礼*申上ぐべきが本意で
ございますが失礼乍*ら寸楮*を以って御礼旁々*
御挨拶申上げます              敬具

以下昭和44年の日付、喪主ほかを記載しています。

謹啓 キンケイ  {拝啓と同じですが少し丁寧}
早速 サッソク
懇篤 コントク  (懇=心をこめて)(篤=厚く)
弔詞 チョウシ  {弔辞と類義}
忝うしカタジケノウシ 有難くいただき
拘らずカカワラズ  
態々 ワザワザ {国訓} 
且  カツ
鄭重 テイチョウ  {現在は丁重と書きます}
香資 コウシ   香典のこと (資=お金)
芳志 ホウシ   有難い気持ち
芳情 ホウジョウ  芳志と同じ
交誼 コウギ   親しいつきあいのこと
拝趨 ハイスウ   (趨=目上の人の前で上体をかがめ
          小走りに歩くこと。赴く。)
厚礼 コウレイ   厚くお礼を申し上げる
乍  ナガラ   {国訓}
寸楮 スンチョ   短い手紙(楮=植物のコウゾ)
旁々 カタガタ  {旁は「傍」の字の仲間}~しながら
敬具      普通は、拝啓・敬具 謹啓・謹白
        という組み合わせが多いそうです


昭和44年は1969年、喪主である父52才私20才でした。
父は旧制中学を卒業後サラリーマンをしており
何のヘンテツもない普通の人間でした。

それにしては古い文面でしょ。
参考にしたものがあるとは思いますけれども。

わずか40年足らずの年月で随分と日本語が変わって
きているようです。
今、こんな葉書を貰ったら驚くでしょうね。


1969年、随分と昔のようで、つい最近のようで。

東大安田講堂、八幡富士製鉄の合併、アポロ月面着陸
沖縄72年返還合意・・

ビートルズはレットイットビーの有名なルーフトップ
コンサートを撮りカーペンターズがデビュー
日本では五つの赤い風船の『遠い世界に』

ドラマで『柔道一直線』なんてのも始まった年です。




宮大工の本

2008-11-18 15:59:04 | 本の話


松浦昭次著『宮大工千年の「手と技」』祥伝社黄金文庫

著者は1929年生
(技術者の人間国宝)として、亡き西岡常一さんと並び
現在は「最後の宮大工」とも言われる人物です。

文庫ですが写真や図版もきれいです。

私が知らないだけかもしれませんが数多くの知識を
与えてくれる本です。

一つだけ紹介しましょうか。

大工さんの腕を視覚で現すのに台ガンナを使う姿が
よく使われます。

(カンナ屑が帯のように長く尾を引いて流れ出す)
著者はこれは大工の腕としてはマダマダと言われる
のです。

では、本当にうまい人は?

・・・答は文庫p16を読んでね。


松浦さんは「自分は不器用だから宮大工になった」と
書かれています。
最初は大工になる気はなかったとも。

仕方なく続けているうちに天職のような格好になった
ので、天職とは見つけようと思って見つかるものでは
ない、と仰います。

やりたいこと、好きなことが天職と結びつくかどうか
これも分りません。
そんなものがなくても目先にある、続けられることを
きちんとやっていけば(天職)は向こうからやって
くるのです。

「やりたいことを見つける」のも大切です。

そんな気にならないとか、探しても見つからないとか
そういう人も多いでしょう。
私などもそうでした、そんなのでも構わないのです。
30を過ぎてこの業界に入ったのに今も続いてます。

天職といえるほどに頑張っていないので反省ですが
普通の塾に負けない程度には・・かなあ?

アヤシイ。

ハンマースホイ

2008-11-17 14:32:54 | 塾あれこれ

東京はうらやましい。

近年、大きな美術展は東京だけで開かれます。
以前は関西にも巡回していましたから無理をして
見にゆく機会もありましたのに。
最近は新聞社がケチをしてるのかなあ。

先ごろ?のマチス展は見たかったですね。
Y新聞は東京ばっかり・・

さて日経のハンマースホイ展。

昨日、NHKの新日曜美術館で紹介されました。
19世紀から20世紀にかけてのデンマークの画家。

あちらを向いた女性の後姿、とか半開きになった扉
だけの部屋とか、地味な色合いで描いています。

ガランとした空間は寂しくもあり懐かしくもあり
見ようによっては神経を病んだ世界とも思えます。

柔らかな光を見つめるだけを一生続けた画家と
いえるかもしれません。
番組を見ただけの印象ですがね。

TVで紹介された多くは室内画でしたが人物以外は
家具とて殆どなく、花や犬猫など命を示すものもなく
鮮やかな色彩も存在しません。

いつも窓の外に残雪があるような、冷たいけれど柔ら
かな光が室内に滲んでいます。

いかにも北ヨーロッパですね。

日本の風土ならば同じ静かな光でも違う存在でしょう。

瀬戸内に育った詩人の心象であれば
もっと明るくて、そのくせ孤独。


孤独でありながら一人では生きてゆけない人間を象徴
するかのように、この画家も人のいない空間を描きな
がらその部屋は人工であり人の気配が残っています。

カール・ドライアーの映画を思い出しました。

やはりデンマークの映画監督。
ハンマースホイが亡くなった直後くらいから
映画を始めています。

『奇跡』
さあっと射し込む夜の灯りにキリストを思い浮かべる
あのシーンはハンマースホイの生まれ変わりが
創り上げたものかもしれませんね。

危ない、ええから私がやる

2008-11-15 10:38:36 | 塾あれこれ
ああ、危ない、もういいから、どいて私がやる、
とはDIYをしているときの我が家で
頼りないのはもちろんダンナ=私です。

上沼恵美子さんのダンナ様がご同様らしい、
重い陶器を壁に両面テープで止めて・・落としたとか

先日京都の旧家をTVが訪問する番組がありました。
そこのご主人がどうもそうらしい。
年の暮れ大きな版木を持ち出して「火の用心」と
刷るのが当主の役目らしい。
一家大騒ぎして、主人が馬連ですっていましたが
ついに娘さんが「私がやります」


私もクギ一本打てません。

モノを持とうとして「重いな~」
カミサンがそばから「私が持ちましょう」

情けないですね。

そのオッサンが手を負傷したのですから
さあたいへん。

何から何まで一人で出来ません。

年取ると骨がつくまで時間が掛かると聞きました。
薬指の中手骨(手のひら部分)が斜めに折れてる。

日常の行動に時間がかかるとか、折角のダイエトが
パ~になったとか、やむをえない、想定内です。
短気の度合いが進むことも。

意外だったのは、アタマが悪くなることです。
薬を飲むわけでなし、肩こりは昔からだし、
何で?なのですが、どうもそうらしい。

そういえば、進学塾時代、受験生が大きなケガを
すると、結果がよくないことが多かったですね。

鉛筆が持てない、などだけではなかったのです。

勿論、それでも通った子もいます。
頑張ったんだな~

ン十年たって分る、のもドジか?

火事、可哀相

2008-11-14 11:35:57 | 塾あれこれ
地震カミナリ火事オヤジ
昔はよく言われたものです。

ほとんどの火事は人が起こすものですから
その意味でも怖いものです。
自分の家から火を出さない、最大の責務ですね。

渋谷の花火爆発、
亡くなられた方、本当に可哀相に思います。

ただ、住宅街で火薬を扱うのはどういうことだろう。
出入りの業者他、知っていた人もいるでしょう。
残念ですね。


防火管理責任者、という資格があります。

一定の条件を備えた組織にはこの資格責任者をおく
必要があります。

以前勤めていた学習塾は雑居ビルにあり、
資格を取りにゆけと経営者に言われました。

何かあった時のイケニエですね。
「お前が責任者だろ」と。

しかし、やむをえません、講習に行きました。

講習会場に所定の時間に行くには車が必要なのに
私は車を持ちません!
大変なタクシー代が要るのですが、塾は出そうと
言いません。
強く言わなければ何もしない塾でしたね。
経営者は「天文学的」な収入があったのに。


教室はビルの4階にありました。
避難訓練でいつかは窓から降りねばなりません。
高所恐怖症ですから生徒の前でビビルか・・
日ごろエバッテルのでまずいぞ、と。

訓練がある前に辞めちゃった。


自宅で塾をしているので防災の心配はごく小さく
なりました。

それでも、いつ何があるかもしれません。

命あってのモノダネ。

皆で気をつけたいものです。

干し柿で考えた

2008-11-13 18:00:10 | 塾あれこれ


干し柿ってそのまま頂くことが多いですね。
(今年の出来がいまから楽しみです)
日本料理は他のものと比べてシンプルです。
日本文化をよく象徴していると思いますね。

フランス料理って手順や手法が細かいでしょ。
細かなレシピとフランス語の論理性には
通じる処があるのです。


日本の論理は和食に似ています。
シンプルに、ばっさりと話をしますね。

外つ国はどうかというとオオムネ細かく論を
展開していきます。

世界に向けて論を述べるには西洋で発達した論理展開
でないと通じにくいでしょう。

若い頃大学の教養課程で習いましたが、難しくて・・

丁寧に論を展開するには気質も必要です。
私はタイルでアラベスクを作るような作業は嫌い!

上手な論理であればよいのですが、結局何を言いたい
のかよく分らない、先ごろ亡くなられたキャスターの
多事争論みたいな、色々と丁寧に触れてはいるんだが
結局何?ということもしばしばおきるようです。

そこで論を進めるにはどうしても明晰性が求められる
ことになります。

定義を大切に、論理展開を誤らず、可能な限り視野を
広くしておく、などなど。

逆にいうとそういうチミツな表現を必要とする
マダルッコシイ世界なのです。


私は日本的論理が好みです。

相似、連想、類推、飛躍、逆転などを華麗に使いこなし
ている論理には気持ちが高揚しますね。

禅問答などもそう。

ただし私がフォローできるのは極くわずか。
自分のアタマが情けない。。。


西洋式が正しさにおいて勝る、でしょうか?

理屈はどうとでもなるのです。

理論物理学だって、結局実験の裏づけを得て
どの理論が正しいか初めて分る、のですよ。

べたべた話を続けることが正しいと思い込む
のはマジメな先生によくあることです。

大学の先生で何を言ってるんだかゴチャゴチャと
という方がおられましたね。
「分らんのは君らの頭が悪いからだ」

たしかに私のアタマが悪いのですが、とはいえ
論理って何のためにあるんでしたっけ?

相手に伝える、納得させるためのものじゃない?

分らない、分りにくい、長ったらしい、形式的
正確さだけがトリエの論はやはり苦手ですねえ。

正しいかどうかの保証すらないのだから。

日本式論理が遠慮することはありません。


ところで昨日はあえて舌足らずな、ちょっと和式の
論の展開をしてみました。

塾の先生が良い仕事をするためには
「出来のよい臨床医の仕事に学べ」
というツモリでした。

文章として不成功でしたかね?

受け売り仕事批判

2008-11-12 18:05:28 | 本の話
佐野眞一著『だれが「本」を殺すのか』

その中でインタネットの「青空文庫」を作った
富田倫生とのやりとりが紹介されています。

富田さんはノンフィクションライター志望だったそう
で、ノンフィクションを書くということについて話が
すすむ部分から引用します。

佐野「ノンフィクション作家は膨大な資料を駆使し
   ながら自分の作品を組み上げていきます。
   その資料は他人がすでに書いているものなのだ 
   から、自分の作品の中の自分オリジンのものは
   一体どれだけあるんだ、という気持ちになる」

富田「削いでいったときに何も残らないんじゃないか」

佐野「結局は書けなくなりますよ」

さすが。仕事へ真剣に向かい合っておられます。
仕事というものは、そこまで考えて初めてホンモノに
なるのでしょう。

学者の仕事でも、専門から少し外れると引用ばかりに
なり、ありきたりのことしか言わない場合を見受け
ますね。

引用ばかりすると、ちょっとした井戸端会議になり
学会の常識、メディアの流行、あるいは逆にアザトイ
結論、こういうまとめになる恐れがあります。

私は学習塾という仕事をしているので、その部分に
関わる「有識者」の妙な話で上記のことをしばしば
感じることがあります。

ノーベル賞もらってても素人と同じジャン、などと
ひどく生意気なことを思うのです。

教育学の先生だって怪しいことが多い。

専門部分の「名前」で専門外のことを安っぽく語り
場合によっては井戸端会議を繰り返していますね。
新書でも、ほぼそれだけで済ませちゃうなんて・・

上記の佐野、富田の爪の垢でも煎じて飲ませたい
思いに捕われます。


話がそれてきました。
名前で安易に本を書ける人へのネタミでしょう。
私、どうにも(小人物)ですねえ。


学校や塾の先生だって「受け売り仕事」です。

生徒の前でエバッテいる姿は、体育会系の先輩が
ただ先に生まれたというだけで大きな態度をする
のとよく似ていますね。

自分のオリジンはどれほどあるか?

ひどい場合には無知を威張って誤魔化します。
「いいんだ、オレの言うとおりで。
 指導書にはこう書いてあるんだから、やっとけ」


もちろん、医学における臨床医にあたる仕事ですから
立派な研究をする必要まではありません。

誰かの研究の成果を臨床に生かせばよろしい。

だったら何がプライドを支えてくれるのでしょう?

ただの受け売り仕事で口を糊するだけでは寂しい!   

when it's lamp-lighting time in the valley

2008-11-11 22:09:13 | 塾あれこれ
たしか『谷間のともしび』でしたね。

♪谷間、灯ともしころ

in the valley という歌詞が好きです。絵が浮かぶ。

大人になるとそんな時間には仕事をしているので
美しい光景に縁が薄くなります。

夢で故郷に帰るのですが、当然それは幸せだった過去。

トシとるとこんな歌が初めて分ってきますね。


今でもたまには灯ともし頃に歩くこともあります。

ふと気づくと近頃の新しいお家はカーテンがない。
特に二階など灯りが煌々と洩れてきます。

家が大きいからできることでしょうね。
昼間、眩しかないかい?とは年寄りのオセッカイ。。

オランダではカーテンをしないそうです。
道行く人も(見て見ないふり)とか。
宗教的な感覚らしいです。

オランダの影響か、は分りませんが
近頃の家はきれいにされているらしいですね。

家財の収納が上手とか聞きます。
見渡して何もないきれいなお部屋。
私の性格と正反対です。

本棚のある家も少ないそうですね。


本を後生大事に置いておく文化はなくなりそうです。

私はヒトサマの家では本棚をよく見たものです。
自分のを見られるのは恥ずかしいくせに。

本棚を見ればその人が何を評価しどのような考えを
持っていそうか分かる気がしたものです。

見栄で、自分は読まない本なのに飾ってだけいる場合
もありそうですけれども。


本棚を見れば分るのと多少似ていますが、文中や話の
引用でその人が分る場合がありますね。

流行の本、話題になった本ばかり引用する人は
イマイチ、みたい。

その人のオリジナリティーが疑われます。
マスメディアと同じようなことばかりを言う人って
いますよね。
そんな人の引用は・・

給付金

2008-11-10 22:25:08 | 塾あれこれ
本日二つ目の投稿。

バラマキに賛成するみたいで言いづらいです。

給付方式をどうするなどでもめていますね。
そのこと自体がエネルギーの無駄遣いです。

減税と給付金にすればよかったのでしょうが
首相が言い切ったのですから仕方ありません。

高額所得者に自主辞退を、とか変なの。

一斉に配って、あと金持からは納税時に
調整すればよいのです。
それなら時間の余裕も出ます。

シロウトとしては、なぜそうしないのか不思議
ですが、何かあるのかなあ?

お見舞いに行ったら

2008-11-10 14:52:15 | 塾あれこれ
お見舞いに行ったらもういなかった。

いつもながらのドジ話です。

手の怪我でしばらくお見舞いにいけなかったのですが
今日は思い立っていって参りました。
足がないので片道1時間、ちょっと遠いね。

受付で「何?オッサン」風に
「もう大分前に退院」と言われました。
ゴクローサン、か?

普通、確認して行くわな。

でも、だいたい、それが嫌なんですよね。
ナゼでしょう?

ま、ともかくこういうこともアリ、です。
昔は日常茶飯事でした。
今の人は忙しいのでそうもいかないのでしょうね。

その代わり自分の都合が前に出るきらいがツオい。


彼が倒れて暫くは見舞いを遠慮していました。
落ち着いたころに見舞いに伺ったのが先月18日

その時に彼は「来月20日にリハビリ専門へ転院」
と言われました。
来月?ふつか?はつか?と確認はしたのですが。

「仕事仲間に連絡を頼む、
 見舞いに来て自分がいなかったら悪い・・」

私がそうなっちゃった。


私が流した情報が間違っていた恐れが強いですね。

もし、ご迷惑をおかけした方がいらっしたらお詫び
申し上げます。

あちらが間違われた可能性もあるかな?
ご病人だからありえますね。
看護士さんにウラをとるべきだったか?
しかし、個人情報だから聞きにくいですよね。

途中に(事情で移られた)ということかも。


もしかして関係者にお詫びかな?と思いつつ
ドジ話でブログネタできた!とも思うアサハカサ。


実は~でした、と事情が分って書くのと、
そうでないうちに書くのと、どちらが面白いですか?

「もともと面白くなんかない」
はは・・失礼しました。

私は途中から書くのが好みです。

TVというメディアが同時性に優れているように
(生中継が圧倒的に面白いでしょ?
 サッカーで結果を知らずにビデオで見ても
 状況は似ているはずなのに、矢張ナマが良い)

ブログも時間の鮮度が大事な気がします。

人様の昔の出来事を読んでもピンと来ませんよね。


先の見舞いで私が相手の気に触ることを言ったか?
大いにありうることなので、それが心配ですね。


電車の優先席。
手にハデな包帯をしてるのに座れないものです。
これも、何でだろ?