干し柿ってそのまま頂くことが多いですね。
(今年の出来がいまから楽しみです)
日本料理は他のものと比べてシンプルです。
日本文化をよく象徴していると思いますね。
フランス料理って手順や手法が細かいでしょ。
細かなレシピとフランス語の論理性には
通じる処があるのです。
◎
日本の論理は和食に似ています。
シンプルに、ばっさりと話をしますね。
外つ国はどうかというとオオムネ細かく論を
展開していきます。
世界に向けて論を述べるには西洋で発達した論理展開
でないと通じにくいでしょう。
若い頃大学の教養課程で習いましたが、難しくて・・
丁寧に論を展開するには気質も必要です。
私はタイルでアラベスクを作るような作業は嫌い!
上手な論理であればよいのですが、結局何を言いたい
のかよく分らない、先ごろ亡くなられたキャスターの
多事争論みたいな、色々と丁寧に触れてはいるんだが
結局何?ということもしばしばおきるようです。
そこで論を進めるにはどうしても明晰性が求められる
ことになります。
定義を大切に、論理展開を誤らず、可能な限り視野を
広くしておく、などなど。
逆にいうとそういうチミツな表現を必要とする
マダルッコシイ世界なのです。
◎
私は日本的論理が好みです。
相似、連想、類推、飛躍、逆転などを華麗に使いこなし
ている論理には気持ちが高揚しますね。
禅問答などもそう。
ただし私がフォローできるのは極くわずか。
自分のアタマが情けない。。。
◎
西洋式が正しさにおいて勝る、でしょうか?
理屈はどうとでもなるのです。
理論物理学だって、結局実験の裏づけを得て
どの理論が正しいか初めて分る、のですよ。
べたべた話を続けることが正しいと思い込む
のはマジメな先生によくあることです。
大学の先生で何を言ってるんだかゴチャゴチャと
という方がおられましたね。
「分らんのは君らの頭が悪いからだ」
たしかに私のアタマが悪いのですが、とはいえ
論理って何のためにあるんでしたっけ?
相手に伝える、納得させるためのものじゃない?
分らない、分りにくい、長ったらしい、形式的
正確さだけがトリエの論はやはり苦手ですねえ。
正しいかどうかの保証すらないのだから。
日本式論理が遠慮することはありません。
◎
ところで昨日はあえて舌足らずな、ちょっと和式の
論の展開をしてみました。
塾の先生が良い仕事をするためには
「出来のよい臨床医の仕事に学べ」
というツモリでした。
文章として不成功でしたかね?