風のガーデンⅢ

2008-11-22 11:39:56 | 塾あれこれ


ドラマ中、老医師の車が農道で故障しました。
北海道の広大な畑の中です。

少しずつ車の周りに人が集まり、何時間もかけ
日が暮れてやっと直ります。
最後は皆でエンジンを(押しがけ)ですね。

このシーン、カメラは遠くから撮っており人を
アップにしません。
どんな人が集まってくれ、どんな作業をしているかを
細かく見せることをしないのです。

田舎の人の親切って(自然)ですよね。
大「自然」の中の小さな人間存在だから。

車の周りに集まった人たちはまるで蟻ん子たちが
協力しているようにすら見えるのです。

人間も大自然の中では動物なのです。


上記シーンは短いカットをいくつか繋げるだけで
大したエピソードの扱いではありません。

挿話自体も平凡で、だれでも書けるが、陳腐にもなり
やすいものです。

ところがこのドラマではひと味もふた味も違います。
ドラマ全体のテーマとつながっているのです。
こういうところまで細かい神経が行き届いて初めて
良い作品ができるのは言うまでもありません。

老医師は亡くなりそうな老人へ往診の途中でした。
生きること死ぬことの小さな暗示です。

往診先でオオゲサに大丈夫か?なんて場面は一切
ありません。モチロンですね。

暗示をうけて車の小さなエピソードのイメージが
変わるのです。

ああ、あれは皆が生きているということだった。


とても平凡ではありますが、生と死は対立しない、
車を直す人もいずれ亡くなります。

よく生きることがそのまま(亡くなること)に繋がる、
すなわち、死を受け入れる事こそが良く生きること。

いま往診を受けて死のうとしている人も
ついこの間まで車を直しに集まっていたのです。

たしかにドラマの主人公がそうであるように
死ぬことはツライ
怖い、痛い。

でもカメラをロングから捉えたらいつか皆通る道、
ごくごく平凡な話なのです。


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