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ドラマ中、老医師の車が農道で故障しました。
北海道の広大な畑の中です。
少しずつ車の周りに人が集まり、何時間もかけ
日が暮れてやっと直ります。
最後は皆でエンジンを(押しがけ)ですね。
このシーン、カメラは遠くから撮っており人を
アップにしません。
どんな人が集まってくれ、どんな作業をしているかを
細かく見せることをしないのです。
田舎の人の親切って(自然)ですよね。
大「自然」の中の小さな人間存在だから。
車の周りに集まった人たちはまるで蟻ん子たちが
協力しているようにすら見えるのです。
人間も大自然の中では動物なのです。
○
上記シーンは短いカットをいくつか繋げるだけで
大したエピソードの扱いではありません。
挿話自体も平凡で、だれでも書けるが、陳腐にもなり
やすいものです。
ところがこのドラマではひと味もふた味も違います。
ドラマ全体のテーマとつながっているのです。
こういうところまで細かい神経が行き届いて初めて
良い作品ができるのは言うまでもありません。
老医師は亡くなりそうな老人へ往診の途中でした。
生きること死ぬことの小さな暗示です。
往診先でオオゲサに大丈夫か?なんて場面は一切
ありません。モチロンですね。
暗示をうけて車の小さなエピソードのイメージが
変わるのです。
ああ、あれは皆が生きているということだった。
○
とても平凡ではありますが、生と死は対立しない、
車を直す人もいずれ亡くなります。
よく生きることがそのまま(亡くなること)に繋がる、
すなわち、死を受け入れる事こそが良く生きること。
いま往診を受けて死のうとしている人も
ついこの間まで車を直しに集まっていたのです。
たしかにドラマの主人公がそうであるように
死ぬことはツライ
怖い、痛い。
でもカメラをロングから捉えたらいつか皆通る道、
ごくごく平凡な話なのです。