受け売り仕事批判

2008-11-12 18:05:28 | 本の話
佐野眞一著『だれが「本」を殺すのか』

その中でインタネットの「青空文庫」を作った
富田倫生とのやりとりが紹介されています。

富田さんはノンフィクションライター志望だったそう
で、ノンフィクションを書くということについて話が
すすむ部分から引用します。

佐野「ノンフィクション作家は膨大な資料を駆使し
   ながら自分の作品を組み上げていきます。
   その資料は他人がすでに書いているものなのだ 
   から、自分の作品の中の自分オリジンのものは
   一体どれだけあるんだ、という気持ちになる」

富田「削いでいったときに何も残らないんじゃないか」

佐野「結局は書けなくなりますよ」

さすが。仕事へ真剣に向かい合っておられます。
仕事というものは、そこまで考えて初めてホンモノに
なるのでしょう。

学者の仕事でも、専門から少し外れると引用ばかりに
なり、ありきたりのことしか言わない場合を見受け
ますね。

引用ばかりすると、ちょっとした井戸端会議になり
学会の常識、メディアの流行、あるいは逆にアザトイ
結論、こういうまとめになる恐れがあります。

私は学習塾という仕事をしているので、その部分に
関わる「有識者」の妙な話で上記のことをしばしば
感じることがあります。

ノーベル賞もらってても素人と同じジャン、などと
ひどく生意気なことを思うのです。

教育学の先生だって怪しいことが多い。

専門部分の「名前」で専門外のことを安っぽく語り
場合によっては井戸端会議を繰り返していますね。
新書でも、ほぼそれだけで済ませちゃうなんて・・

上記の佐野、富田の爪の垢でも煎じて飲ませたい
思いに捕われます。


話がそれてきました。
名前で安易に本を書ける人へのネタミでしょう。
私、どうにも(小人物)ですねえ。


学校や塾の先生だって「受け売り仕事」です。

生徒の前でエバッテいる姿は、体育会系の先輩が
ただ先に生まれたというだけで大きな態度をする
のとよく似ていますね。

自分のオリジンはどれほどあるか?

ひどい場合には無知を威張って誤魔化します。
「いいんだ、オレの言うとおりで。
 指導書にはこう書いてあるんだから、やっとけ」


もちろん、医学における臨床医にあたる仕事ですから
立派な研究をする必要まではありません。

誰かの研究の成果を臨床に生かせばよろしい。

だったら何がプライドを支えてくれるのでしょう?

ただの受け売り仕事で口を糊するだけでは寂しい!