オシムとともに消える夢

2008-10-18 08:42:23 | 塾あれこれ


オシムのサッカーは可能性がありました。
「日本のサッカー」が出来るかもしれない、と。

ところが今回のWC予選、何ですかねえ。

あまりにもアホくさいし、誰もが一致して似た感想を
持つことだけに、書くのは止めようと思いました。
時代劇なら「刀の穢れじゃ、切る気になれぬ」

でも、ジワっと頭にくるのですね。
サッカーというのは人をあおります。


頭が悪い人間は自分で考えられないですから
学習をしようとします。それもトレンドを。

精一杯勉強してマネようとしますね。

自分の内部から出たものと一致すればよいのですが
自分が何かも分りませんから、あたかも自分で
現代の先端を行くものと同一のことを考えた風に
ふるまいます。

ですから大きなことができません。

(こう書いているとまるで自分のことを白状している
 ような気がします。恥ずかしい!)

新し物好きには時折こういうタイプがいますな。


攻撃を受けるとムキになってこだわります。
「オシムじゃない、オレ流だ」
なにね、本当の自信がないからカッとするのです。

結果を出せばよいのです。
結果は最低限の必要条件であり、また十分条件にも
なりえますから。

それが出ていないのならば反省しなきゃ。
「~はよかった」とか「あと一歩運がなかった」
とか自己弁護ばかりです。
反町とそっくりですね。

試合前には「勝って当然」と言ってたじゃん。

もし会社で結果がでなければ、どーよ。
クビでっせ。

使った若い人も、出てウロウロしているだけでは
「登用」とはいえません。
結果がでる使い方をしなければ。

チャンスを与えているのに結果をだせない、と
思っているのなら完全に「逃げ」です。

勝てない戦場に投入された若者こそ悲劇です。
それに気づかないでキャップを嬉しがる選手も
いそうだけど。


会社では出来なければ上司の責任。
(近頃、すこしアヤシイらしい・・)

本来、指示をされた側の責任は薄いのです。

「お前にせっかくチャンスをやったのに」
などと逃げる上司って最低でしょ。

同様に、伝わらなければ伝え手の責任。
受け手ではありません。
風上責任論です。

また、生徒が出来なければ先生の責任。
つらいけれども、そういうことです。


監督や親方が「できないやつら」だとすると
協会の責任は?

スポーツがらみの協会ってあやしいよね。。。