オシムのサッカーは可能性がありました。
「日本のサッカー」が出来るかもしれない、と。
ところが今回のWC予選、何ですかねえ。
あまりにもアホくさいし、誰もが一致して似た感想を
持つことだけに、書くのは止めようと思いました。
時代劇なら「刀の穢れじゃ、切る気になれぬ」
でも、ジワっと頭にくるのですね。
サッカーというのは人をあおります。
○
頭が悪い人間は自分で考えられないですから
学習をしようとします。それもトレンドを。
精一杯勉強してマネようとしますね。
自分の内部から出たものと一致すればよいのですが
自分が何かも分りませんから、あたかも自分で
現代の先端を行くものと同一のことを考えた風に
ふるまいます。
ですから大きなことができません。
(こう書いているとまるで自分のことを白状している
ような気がします。恥ずかしい!)
新し物好きには時折こういうタイプがいますな。
○
攻撃を受けるとムキになってこだわります。
「オシムじゃない、オレ流だ」
なにね、本当の自信がないからカッとするのです。
結果を出せばよいのです。
結果は最低限の必要条件であり、また十分条件にも
なりえますから。
それが出ていないのならば反省しなきゃ。
「~はよかった」とか「あと一歩運がなかった」
とか自己弁護ばかりです。
反町とそっくりですね。
試合前には「勝って当然」と言ってたじゃん。
もし会社で結果がでなければ、どーよ。
クビでっせ。
使った若い人も、出てウロウロしているだけでは
「登用」とはいえません。
結果がでる使い方をしなければ。
チャンスを与えているのに結果をだせない、と
思っているのなら完全に「逃げ」です。
勝てない戦場に投入された若者こそ悲劇です。
それに気づかないでキャップを嬉しがる選手も
いそうだけど。
○
会社では出来なければ上司の責任。
(近頃、すこしアヤシイらしい・・)
本来、指示をされた側の責任は薄いのです。
「お前にせっかくチャンスをやったのに」
などと逃げる上司って最低でしょ。
同様に、伝わらなければ伝え手の責任。
受け手ではありません。
風上責任論です。
また、生徒が出来なければ先生の責任。
つらいけれども、そういうことです。
○
監督や親方が「できないやつら」だとすると
協会の責任は?
スポーツがらみの協会ってあやしいよね。。。