高島俊男著文春文庫『お言葉ですが…⑨』に
『小生(=高島先生)が子供のころ、「おせらしい」
という言葉があった』と書かれています。
(おせ)・・なんと懐かしい言葉でしょう。
上記の文に続けて引用したいところですが叱られる
といけませんから、大意だけ申します。
『方言である。
各地に似た言葉はあるのではないか。
子供が大人びてゆくことを褒めるときに使う。』
そうして次に、現代は反対に子供であることの優位な
社会であり、それに疑問を呈されるのです。
○
ここでは懐かしさだけに触れておきます。
(おせらしい)という文字を目にしたとたんに
子供の頃の思い出がぱっと浮かんできました。
どれも瞬間的断片ですが、あるときは近所の大人が
あるときは親戚のオジサン、オバサンが使って
おられました。
その顔、声音、言われた人物の面映そうな表情など。
「ずいぶん大人に成長したね」そんな感じでしょうか。
現在では死語になりつつあります。
・・なってる?
(忘却の河)に沈みますか。
そのうち特殊な辞書にだけ残るのでしょう。
○
辞書に残っても(言葉の剥製)です。
命はありません。
どう働いていたかは分らないでしょう。
どのような音であったのか。
使い方はどうであったか。
映像は浮かんでこないでしょう。
体格が大人になった?
立ち居振る舞いが子供を脱した?
考え方がしっかりしてきた?
社会的に認知される存在になった?
どれくらい肯定的か?否定的にも使うのか?
皮肉で使うことはありえたか?
(大人っぽい)と同じか、違いがあるか?
(立派になった)(ませた)(ひねた)
などと、同じか違うのか?
しかもデータは豊富に必要です。
言葉と言うものは個人差や地域差が大きいから。
言葉が生きて使われている間は個人差は問題に
なりませんが、いったん死語になると言葉を
甦らせるには一定の量が必要でしょうから。
○
高島先生は同じ本で、語源探しは難しいと
書いておられます。
それで触れておられないのでしょう。
何かと悩んでいたらカミサンがさっと辞書を
引いてくれました。
大背=オーセだろうと。
(大兄?「吾がせこの」のセです。
背中じゃないでしょう。)
色々な説があるかもしれませんけれども
何かピッタリくる感じですね。
(感じだけで納得するのはアブナイのですが)
方言は「河に沈みかけ」ても力があります。
私がオセラシイに反応したように。
聞けば懐かしくても私達はすでに使わない言葉が
沢山ありますね。
大人たちが方言を使わなければそこで途切れます。
今の子供達は言葉が弱くなるに違いありません。
方言で育つから日本語が豊かになります。
立派な詩人をみれば分ります。
そのほとんどは日本語でも方言とのバイリンガル!
中也、賢治、茂吉、まどみちお、山頭火、山之口獏
ああ、きりがありませんね。
『小生(=高島先生)が子供のころ、「おせらしい」
という言葉があった』と書かれています。
(おせ)・・なんと懐かしい言葉でしょう。
上記の文に続けて引用したいところですが叱られる
といけませんから、大意だけ申します。
『方言である。
各地に似た言葉はあるのではないか。
子供が大人びてゆくことを褒めるときに使う。』
そうして次に、現代は反対に子供であることの優位な
社会であり、それに疑問を呈されるのです。
○
ここでは懐かしさだけに触れておきます。
(おせらしい)という文字を目にしたとたんに
子供の頃の思い出がぱっと浮かんできました。
どれも瞬間的断片ですが、あるときは近所の大人が
あるときは親戚のオジサン、オバサンが使って
おられました。
その顔、声音、言われた人物の面映そうな表情など。
「ずいぶん大人に成長したね」そんな感じでしょうか。
現在では死語になりつつあります。
・・なってる?
(忘却の河)に沈みますか。
そのうち特殊な辞書にだけ残るのでしょう。
○
辞書に残っても(言葉の剥製)です。
命はありません。
どう働いていたかは分らないでしょう。
どのような音であったのか。
使い方はどうであったか。
映像は浮かんでこないでしょう。
体格が大人になった?
立ち居振る舞いが子供を脱した?
考え方がしっかりしてきた?
社会的に認知される存在になった?
どれくらい肯定的か?否定的にも使うのか?
皮肉で使うことはありえたか?
(大人っぽい)と同じか、違いがあるか?
(立派になった)(ませた)(ひねた)
などと、同じか違うのか?
しかもデータは豊富に必要です。
言葉と言うものは個人差や地域差が大きいから。
言葉が生きて使われている間は個人差は問題に
なりませんが、いったん死語になると言葉を
甦らせるには一定の量が必要でしょうから。
○
高島先生は同じ本で、語源探しは難しいと
書いておられます。
それで触れておられないのでしょう。
何かと悩んでいたらカミサンがさっと辞書を
引いてくれました。
大背=オーセだろうと。
(大兄?「吾がせこの」のセです。
背中じゃないでしょう。)
色々な説があるかもしれませんけれども
何かピッタリくる感じですね。
(感じだけで納得するのはアブナイのですが)
方言は「河に沈みかけ」ても力があります。
私がオセラシイに反応したように。
聞けば懐かしくても私達はすでに使わない言葉が
沢山ありますね。
大人たちが方言を使わなければそこで途切れます。
今の子供達は言葉が弱くなるに違いありません。
方言で育つから日本語が豊かになります。
立派な詩人をみれば分ります。
そのほとんどは日本語でも方言とのバイリンガル!
中也、賢治、茂吉、まどみちお、山頭火、山之口獏
ああ、きりがありませんね。