若い頃は何でも論争しやすいものです。
アイドルの誰それはウラオモテがあるとか無いとか。
整形だとか、違うとか。
もちろん政治、経済、歴史、科学、人生設計、宗論
ファッション・・ご近所のラーメン屋の味まで、
ありとあらゆることで、ともすれば口げんか。
根拠も無いくせに見えをはった言い争いのあげく
絶交になっちゃったり。(長続きしないけれど)
現在の私が「ああいえばこういう」の能力だけは
あるのは若い頃の(ケンサン)かもしれません。
○
友達の一人に割合裕福なご家庭の息子がいました。
私「○○でなきゃ、向上ってことにならんでしょ」
彼「なんで向上しなきゃならんの?別にえかろう」
大学食堂の横の芝生だったですね。
私は絶句してしまった。
あまりに当然と思っていたことだけに意表をつかれ
てしまったのですね。
今の私がタイムカプセルで二十歳の彼に会えば
「それは、坊ちゃん、貧乏なら分ります。
そこから抜け出したいのが人情ってもんです。
だから向上したい、ひたすら、ね。
世界中みんなそうじゃないかしら。
もちろん達観すれば別ですよ。
でも普通は父母が生活に苦労していれば
子供は頑張っていつか楽をさせたいと思います」
ただそういう世界は団塊の世代くらいまでしか知らない
ですね。
日本はどんどんとリッチになってしまった。
そこで子供達は、いや親もハングリーではなくなったの
ですね。
皆が「何で頑張るの?向上するの?」
安易にオンリーワンを振り回します。
To be the only oneって実は大変なのですが、何もしない
口実に使われてしまっているようですね。
○
一般に国が富裕になると教育が乱れます。
(教育されて伸びるハズの力)が育たないのですね。
学力の格差が広がります。
ノーベル賞を沢山もらう国の大衆が簡単な計算もできず
人生を投げ出す人が多い・・
まあどこかの政治家は何でもすぐに投げ出すので
国の上下を問わず、ということかもしれません。
そんな風潮の中、自己実現の能力をどうすれば得ることが
できるか。
安きに迎合する教育であってはならない、と思うのですが
商売を半分あきらめてもらうことになるので、お勧めを
しにくい話です。
アイドルの誰それはウラオモテがあるとか無いとか。
整形だとか、違うとか。
もちろん政治、経済、歴史、科学、人生設計、宗論
ファッション・・ご近所のラーメン屋の味まで、
ありとあらゆることで、ともすれば口げんか。
根拠も無いくせに見えをはった言い争いのあげく
絶交になっちゃったり。(長続きしないけれど)
現在の私が「ああいえばこういう」の能力だけは
あるのは若い頃の(ケンサン)かもしれません。
○
友達の一人に割合裕福なご家庭の息子がいました。
私「○○でなきゃ、向上ってことにならんでしょ」
彼「なんで向上しなきゃならんの?別にえかろう」
大学食堂の横の芝生だったですね。
私は絶句してしまった。
あまりに当然と思っていたことだけに意表をつかれ
てしまったのですね。
今の私がタイムカプセルで二十歳の彼に会えば
「それは、坊ちゃん、貧乏なら分ります。
そこから抜け出したいのが人情ってもんです。
だから向上したい、ひたすら、ね。
世界中みんなそうじゃないかしら。
もちろん達観すれば別ですよ。
でも普通は父母が生活に苦労していれば
子供は頑張っていつか楽をさせたいと思います」
ただそういう世界は団塊の世代くらいまでしか知らない
ですね。
日本はどんどんとリッチになってしまった。
そこで子供達は、いや親もハングリーではなくなったの
ですね。
皆が「何で頑張るの?向上するの?」
安易にオンリーワンを振り回します。
To be the only oneって実は大変なのですが、何もしない
口実に使われてしまっているようですね。
○
一般に国が富裕になると教育が乱れます。
(教育されて伸びるハズの力)が育たないのですね。
学力の格差が広がります。
ノーベル賞を沢山もらう国の大衆が簡単な計算もできず
人生を投げ出す人が多い・・
まあどこかの政治家は何でもすぐに投げ出すので
国の上下を問わず、ということかもしれません。
そんな風潮の中、自己実現の能力をどうすれば得ることが
できるか。
安きに迎合する教育であってはならない、と思うのですが
商売を半分あきらめてもらうことになるので、お勧めを
しにくい話です。