僕よりずいぶん賢いな

2008-10-09 14:16:51 | 塾あれこれ
結構しばしば出会います。
ああ、この子は俺より賢いや。。
同じ年齢で比べての話です。

(前回の話を続けて、競争心と平等ということについて
 相容れない処があるか、を書くツモリが、悪い癖で
 違う話を先に申し上げます。)

威張ってナンボの仕事ですので「キミは俺より賢い」
とはコメントいたしません。
言えるくらいの度量があればよいのですがね。


私よりエライのは前の塾でも結構いましたし、
現在の塾でもこれまでに何人もいました。

逆に「点はでているけれどねえ」もあります。
この場合、親や本人が勘違いをしているオソレが
強いので、なかなか難しい話になります。

たとえ過信のオソレが強くても万一自信をなくしては
いけないし、そうはいっても足らざるところはきちん
と伝えなくてはならないし・・

もちろん場合によれば過信を注意すべきですしね。


初等教育の段階で一般的には下記のような能力が
頭がイイ、と見做されているのではないでしょうか。

処理速度が速いし正確である。
物覚えがよい
反復処理にミスがない
従順な勉強姿勢である
注意深い
集中力がある
持続力がある
理解力がある

などなど。
私は学者ではないのでオオザッパな話です。

でもそれらは頭の良い子に見られることでありますが
そうであるからといってすぐに、頭が良いことに結び
つくとは限りません。

学年が上がるにつれて行き詰ってしまう子も多いの
です。
ただ計算力があるだけなのに、算数は得意!とかね。


モノゴトを論理的に捉え、発想力が豊かで柔軟である
そういった子こそが「賢い」と思います。
そのように育ってもらえばノーベル賞も手が届くかも
しれません。

点が出ていなくても「賢いお子さんですね」と申し上
げることはしばしばあります。
たいがいセールストークくらいにしか受け取って頂け
ませんけれども。

本気になってもらわねばつまらない教育で芽を摘まれ
てしまうことも多いので残念ですが。

間違いを正すことと鋳型にはめ込んでしまうことを
混同している大人が多いのです。

私も不本意ながら「それではマルをもらえない」
と伝えることもあります。

けれども採点基準をクリアーできるかどうか、と
考える力があるかどうかは全く別物です。

つねに気をつけているつもりですが、世の流れの
中でいかほどの理解を得られているか自信はあり
ません。

この子はえらいんだけどなあ、と思っても
私以外の周りの誰からも評価を受けていない子を
眺めている気持ち、分ります?

いずれ普通の子になってゆくのです。
せめてお父さんお母さん、できれば担任の先生が
認めていれば違うかもしれないのに。

普通でいいんでしょうね。