sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

いらっしゃいませ。カフェという名のブログです。
ごゆるりと御覧くださいませ。
掲載画像等の無断転用はダメですよ。

ValentineはPeppermint Leafで

2017年02月18日 | Live(ポップ/歌謡系)
2月14日、Live JukeでPeppermint Leaf(ペパーミントリーフ)のバレンタインライブが開催されました。


Peppermint Leafはシンガーソングライターの三輪真理さん(以下、マリさん)率いるャbプス主体のバンドで、久しぶりに公の場で拝見できる機会に恵まれました。今回はバレンタインライブが企画されましたが、今回はドラムの石井聡至さんが欠席、ゲストにギタリスト&ヴォーカリストの砂原智也さんをお迎えするというイレギュラーな構成でお届けされました。

Peppermint Leaf:三輪真理(Vo&Pf)、岩藤洋(B)
ゲスト:砂原智也(Vo&Gt)


というわけで開始。マリさんと岩藤さんの2名で登場。






まずは『媚薬』『Silent Bossa 』『などなどマリさんが手がけた、ちょっと大人な感じのラブソングを出題。今回はあいにくドラムレスという形態になってしまいましたが、そのぶんアコースティックな色合いが増したように感じました。マリさんのやさしく爽やかな歌声、シンプルだけど味わい深いアレンジとメロディで、繊細な世界観を表現されました。オリジナルの他にカバーもあり、ラブソングということで松田聖子さんの『Sweet Memories』も取り上げられました。

途中からゲストの砂原さんが御登場となりました。ギターの音色が加わり、さらに2ヴォーカル化ということで一層華やかになりました。




ここでは砂原さんが書いた曲にマリさんが詞をつけた『時の横顔』などを演奏されたりしました。


続いて後半は…。








ここからは砂原さん、マリさんの各ソロコーナーがありました。砂原さんはマリさんの『Love and Love』を弾き語りで演奏してみたり、マリさんは『サイレントシネマ』を演奏されました。そのほか、バンドのメンバーの結婚式のために書いたという『Dear ~この場所から』をデュエットで披露されたりもしました。
後半はカバーも多く、イヴァン・リンスの『Love Dance』、原田知世さんの『ロマンス』、さらにはバレンタイン=チョコレートというわけでPerfumeの『チョコレートディスコ』もありました!

アコースティックを基調としながらも、幅広い音楽性で大いに楽しませていただきました。ラブソングをメインにしたこだわりの選曲で、バレンタインならではの愛に満ちたひとときを(ワシには縁がない話ですがね)、華やかに彩られたのでありました。

なお、Peppermint Leafは次期アルバムのレコーディングを進められてるそうです。アルバムが完成したら、またライブなどが期待出来そうであります。また、お会い出来る機会に恵まれたらいいなと思う次第であります。強引にズラズラ書いてまとめましたが、これで締めくくりとします。

先日の一部始終は一足先にマリさんのブログでも取り上げられています。
http://blog.goo.ne.jp/orangeblue522/e/52f3ba3d446fe125161769310eda8cb3


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイートなアンサンブル

2017年02月13日 | Live(ジャズ/インスト系)

2月12日、Hiroshima Jazz Vocal Ensembleのバレンタインコンサートが、BLIE LIVE広島(広島市南区宇品)にて開催されました。



Hiroshima Jazz Vocal Ensembleはジャズヴォーカリストの川本睦子さんの呼びかけで、主に広島を中心に山口や岡山で活躍される若手ヴォーカリストによって結成されたジャズヴォーカルのアンサンブルです。日本国内ではジャズヴォーカルアンサンブル、すなわち、ジャズの合唱は珍しい形態で注目されているとか。2015年にに結成されて以来、ちょうど2年の節目を迎えられました。
この団体もむつこさんをはじめ、面識ある方々が出演される事もあり、またまた行ってきました。

ヴォーカリストは総勢11名!サメ[トミュージシャンは広島では屈指の存在の3名が出演されました。以下出演者氏名(敬称略)。

川本睦子、AYACO、コジマサナエ、平川沙也香、藤岡真由子、今田学、菊本央、倉田美和、増西亜木、山田愛子、住田卓也(以上Vo)

サメ[ト:なかにし隆(Pf)、中野力(B)、折田新(Dr)


今回の大義名分はバレンタイン。極上の甘い愛の歌をあなたに…。バレンタインスペシャルと題してお送りされました。
なお、撮影禁止のコンサートだったゆえ、画像はありません。

参考までにステージです。これは休憩時間中に撮影したものですが、譜面台の数が出演者の数の多さを物語ります。


毎度の悪いクセで前置きが長くなってしまいましたが、いいかげん本編へ(汗)

セットリストは下段にも書いてますが、オープニングはジャズスタンダードの『L-O-V-E』でスタート、それもヴォーカリストのみなさんはいきなりステージに立つのではなく歌いながら客席を通り抜けてステージへ向かうという、変則的な現れ方で颯爽と登場!
以下、『The Way You Look Tonight』『Tenderly』と続いていきましたが、各出演者のそれぞれの声や個性がぶつかりあいながらも調和し見事にひとつの声として成立する、緻密でエモーショナルなコーラスワーク/ハーモニーは毎度のことながら脱帽モノでした。また3名のサメ[トミュージシャンの演奏もヴォーカリストの存在を際立たせながらも、それぞれの音を奏でられ、とても心地よいものでしたねえ。
そのほか、むつこさんによる『My Funny Valentine』の広島弁バージョンというトンチの効いたアイデアなど、絶妙な遊び心もありました。アンサンブルの他、各出演者によるソロコーナーもありましたよ。
あと、復興支援ソング『花は咲く』のアンサンブルバージョンも披露されました。考えてみたら今年も節目のときがやってきます。想いをのせて美しい日本語を美しく表現されました。
他にもジャズスタンダードやポップスなど披露されましたが、バレンタインということで愛をテーマに、甘く、情熱的に、リスナーの心の奥底へ届けてくださいました!

今回も完成度の高い演奏を拝見できました。ただでさえ人数が多く、それゆえに一同が集まって練習する機会も限られてたとおもいますが、そのゆえ最後まで演奏を成立させ、多くの反響を頂いたことは、大きな喜びだったことでしょうねえ。このアンサンブルは活動を重ねるにつれて評価も高まっています。頻繁な活動は難しいでしょうけど、今後もまた楽しみであります。みなさま、おつかれさまでありました。そして、ありがとうございました。


最後に、参考までに今回のセットリストを記載しておきます。アンコール以外、事前にプログラムが配られてました。

1st Set
1、Opening L-O-V-E
2、Ensemble The Way You Look Tonight
3、Ensemble Tenderly
4、Solo お楽しみソロコーナー
5、Ensemble Four
6、Ensemble Route66

2nd Set
1、川本睦子 My Funny Valentine~広島弁ver~
2、Ensemble Precious
3、Ensemble Blackbird
4、Ensemble Virtual Insanity
5、Ensemble 花は咲く
6、Ensemble Sing Sing Sing

Encore
Ensemble September


2月14日追記
動画が公開されたのでひとつ貼ってみます。Esperanza Spaldingの楽曲、『Precious』のカバーです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

noon Tour ~la voyage de filles~ 2017

2017年02月11日 | Live(ジャズ/インスト系)

カローラ50周年記念祭に割り込んで違うネタを投入します。

ジャズヴォーカリストのnoonさんの広島公演が2月10日、Speak Low(広島市中区中町)で開催されました。彼女にお会いするのは昨年1月の広島公演以来でした。





noon Tour ~la voyage de filles~2017と命名された全国ツアーの一環であります。今回のツアーはピアノストの広田圭美さん(以下Tamaさん)と一緒に各地を回られます。

noon(vo)、広田圭美(Pf)

ツアーは始まったばかりですので細かくは書きませんが、おおよその雰囲気だけでも…。

2015年秋に世界の音楽紀行をコンセプトにしたアルバム『Love Voyage』をリリースされ、翌2016年にアルバム発売記念のツアーを開催されました。今回のツアーはその延長線上といえますが、今回はTamaさんと一緒に、女性たちの旅をコンセプトにされました。

noonさんのみずみずしくゆるやかな歌声の彼女ならではのオーガニックな雰囲気や空気感、Tamaさんのアクティブ感たっぷりなピアノ、両者の息のあったプレイはとてもハッピーな気分にさせてくださいました。
曲名は書きませんが、世界各地の、フランスだったりアメリカだったり、ブラジルだったり、そして日本もあり、ジャンルもポップスやジャズスタンダード、シャンソン、映画音楽、ボサノバなど多種多様な世界中の音楽を女性ならではの視点で表現されたのでありました。
生憎の寒波の広島でしたが(昨年の広島公演も寒波だったか)、身も心もあったまるようでした。また、ステージ上で楽しそうだった彼女たちはとても微笑ましく映りましたよ。

Tamaさんには挨拶しそこねてしまいましたが、noonさんに1年ぶりということで御挨拶、各地での新たな出会いや久しぶりの出会いにnoonさんは喜ばれてましたよ。また撮らせていただきました。手に持ってるのはアルバム『Love Voyage』。


今回もお世話になりました。まだまだ寒い日が続きますが、引き続きツアーを楽しんでくださいませ!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トヨタ カローラ 50周年記念祭 PART2

2017年02月09日 | クルマネタ

カローラ50周年企画の続きです。2代目と3代目を取り上げます。

2代目 KE/TE20系 1970年5月~1974年4月(一部モデルは1977年12月まで)


(4ドアセダンSL、1970~71年頃)


(4ドアセダンデラックス、1971~72年頃)


(2ドアクーペ1600レビン、1972年~)

初のフルモデルチェンジでカローラは2世代目へと移行されました。基本的には初代のキープコンセプトでしたが、より大きく豪華に発展していきました。さらに、東名高速道路の開通などハイウエイ時代が本格的に到来した時代背景もあり、より高速走行を重視した設計となり、全体的にスポーティーさも増しました。ボディ形態は2ドアセダン、4ドアセダン、2ドアクーペ、バンを設定。エンジンは当初は初代から継承された1.2リッターOHV(3K型)でしたが、1970年9月に1.4リッターOHV(T型)を追加設定、エンジン排気量の拡大が続くようなりました。
なお、初代後期に登場したカローラスプリンターは、この世代から『スプリンター』としてブランドが独立し、カローラの姉妹車としての位置付けに。以後、約30年に渡り、カローラとの姉妹関係が続いていきました。
話をカローラに戻しますが、1971年になると1.4リッターにスメ[ツグレードのSRを追加、それにあわせてカローラ初となる5速MTのミッションの採用も始まりました。
1972年3月、クーペに本格的なスポーツモデルが登場となりました。その名も『レビン』で、エンジンはセリカ用だった1.6リッターDOHC(2T-G)を搭載、カローラとしては初のDOHC(スポーツツインカム)でした。セリカより小さく軽い車体だったこともあり、高い走行性能を誇り人気を集めました。また、モータースメ[ツでも大活躍でした。
1973年4月には、1.6リッターOHV(2T)搭載モデルを追加され、エンジン排気量の上限がアップしました。
1974年4月、カローラは3世代目へモデルチェンジされますが、2代目も廉価版としてバリエーションを縮小しながら併売、1977年末まで継続販売されました。


3代目 KE/TE30系、50系 1974年4月~1979年3月


(4ドアセダン1400?1600?ハイデラックス、1977年~78年頃)


(ハードトップ1600レビン、1974年~75年頃)



(クーペ1600レビン、1977年~)※2017年10月画像追加

最初にお断りしておきますが、この3代目は販売台数が多かったにもかかわらず見かけることが皆無なため、自分で撮影した画像はわずか3点のみとなりました…。本当ならリフトバックなども掲載したかったんですけどねえ。

さて、この3代目が登場した時代背景は、高度経済成長期から一転して、公害問題やオイルショックによる原油高騰、自動車の普及による交通死亡事故の増加など、自動車の存在自体が疑問視される風潮が芽生え、モデルチェンジは無駄な消費という声もあがってきました。しかし、安全性、経済性、快適性を進化させる観点からモデルチェンジはむしろ必要な事でした。
この3代目モデルは機構面は先代を発展させ、車体サイズはわずかしか変わらないものの、ひとまわり大きく重厚な印象に生まれ変わりました。
ボディ形態は2ドア/4ドアセダン、バンの他、新たに2ドアハードトップが加わりました。エンジンは先代同様に1.2リッターOHV(3K)、1.4リッターOHV(T)、1.6リッターOHV(2T)、1.6リッターDOHC(2T-G)を搭載、ミッションは4速MT、5速MT、2速ATに加え新たに3速ATも採用。なお、スポーツグレードのレビンはハードトップに設定されました。
安全面も重視され、車体は衝撃吸収構造となり、巻き取り式の3点式シートベルトも新たに採用されるなど、様々な試みが行われました。
さて、公害問題の深刻化から、国内でも排ガス規制が本格化していきます。そのため、当モデルは目まぐるしい変化が続いていきました。
1975年末、昭和50年規制に対応するため、低公害技術のTTC-C(触媒方式など)を採用、これでツインキャブやDOHCは中止、結果、レビンも一時中止に。
1976年1月には新たなボディタイプとしてスポーツワゴン風の3ドアリフトバックを新設、スタイリッシュさと実用性を両立したのが目新しい部分でした。同時期にTTC-L(希薄燃焼方式)を採用した1.6リッター(12T)を追加搭載しました。
1977年1月、マイナーチェンジを実施。ここから型式が30系から50系に変更。新ボディタイプとして2ドアクーペを新設。全車51年規制対応となりました。一時中止だったレビンはカローラ初のEFI(電子制御燃料噴射)を採用した1.6リッターDOHC(2T-GEU)を搭載することで復活、今度はクーペに設定となりました。また、同じエンジンをリフトバックにも搭載されました。GTの名称でした。
続いて1977年9月、1.2リッターが1.3リッター(4K-U)に拡大され、53年規制をクリア。1978年5月にはまたマイナーチェンジを実施され、1.4リッター以外の全車が53年規制をクリアされました。
全部は記載出来てませんが、こうしてみると3代目は排ガス規制との戦いでした。ここでの苦労があったからこそ、さらなるレベルアップに繋がっていくのでした。

ここで一旦区切ります。次回へ続く。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トヨタ カローラ 50周年記念祭 PART1

2017年02月07日 | クルマネタ

トヨタの、いや、日本を代表する小型乗用車のカローラが1966年11月のデビュー以来、2016年11月で生誕50周年を迎えられました。


カローラはごく普通の存在の実用車ながら、信頼性の高い手堅い設計、求めやすい廉価な価格設定、日常での使い勝手の良さや高い経済性、プラスアルファの付加価値、多種多様なバリエーション展開などの多くの要素で、老若男女幅の広い世代から、それも国内にとどまらず世界中で高い支持を集めてきました。

自分で撮影した画像を中心に並べながら(もっとも、全バリエーション揃ってないですが)、我がブログでその軌跡を辿っていこうと思います。途中で違うネタを挟むかもしれませんが、複数回の連載となります。

ひとくちにカローラといっても、バリエーションが多彩です。現在のカローラアクシオに該当するセダン系をメインに扱いますが、カローラフィールダーならびにワゴン/バン系、半ば独立した系統ながら歴史的経緯からレビン(クーペ)、ランクス/FX(ハッチバック)、セレス(4ドアハードトップ)も取り上げます。ただし、明らかに姿カタチが異なるハイトワゴン系のスパシオとルミオンは対象外とします。それと、カローラⅡはまったくの別車種ですので、これも対象外。また、長年の姉妹車だったスプリンターも取り上げたいところですが、今回は外すことにします。もっとも、手持ちの画像が足らん…(ただし、初代のカローラスプリンターは記載)。


前史(カローラ登場前夜)

さて、順番からしたら初代を…、と言いたいところですが、カローラを知ってもらうにはカローラが登場するまでの時代背景を振り返っておく必要があるでしょう。
時は終戦の混乱が一段落した高度経済成長期の1950~60年代、トヨタはクラウン、コロナと立て続けに乗用車のラインナップを拡充していきましたが生活水準の向上に伴い、市場では廉価なオーナードライバー向け小型大衆乗用車の登場が求められるようになりました。1961年、トヨタのボトムラインを担う大衆車、パブリカが登場しました。


(初代パブリカ UP10系)

後のスターレットやヴィッツの源流ともいえたパブリカは、安価な実用車として企画され、現在の軽自動車に近いサイズの2ドアセダンでエンジンは空冷の0.7リッターを搭載、駆動方式はオーソドックスなFR(フロントエンジン・リヤドライブ)でした。また、パブリカ登場に伴い、販売網の整備も行われ、トヨタ店、トヨペット店に続く新たなディーラーとして『パブリカ店』が設立されました。これが後へカローラ店へ発展していくわけです。
しかしながら、パブリカはトヨタの期待に反して販売は伸び悩みました。当時、クルマといえば高嶺の花といえる存在で、せっかく購入するのなら実用性だけじゃなく、所有する事の満足感も求められていました。パブリカはあまりにも機能性優先かつ必要最低限に割り切っていたため質素すぎたのでした。まったく売れてなかったわけでもないのですが、大衆車というジャンルを開拓したかったトヨタにとっては誤算でした。
パブリカ自身も後にマイナーチェンジで商品力を高めていく努力はしていき、販売は回復していきますが、パブリカでのつまずきとその反省がカローラの登場につながっていくのでした。

以下、本編となります。画像を並べながらカローラの軌跡を辿っていきましょう。なお、グレードや年式は推定です。それと、搭載エンジンのシリンダーは歴代通じて直列4気筒です。ミッションはマニュアルはMT、オートマはATと記載します。

初代 KE10系 1966年11月~1970年5月


(2ドアセダン1100デラックス、1966年~69年頃)


(4ドアセダン1200デラックス、1969年~)


(3ドアバン、1967年~)


(カローラスプリンター1200SL、1969年~)

1966年11月、パブリカよりも大きく、コロナよりも小振りなサイズとなるブランニューモデルの乗用車、カローラが登場しました。
実用性、快適性、走行性能などなど、クルマに求められる各要素において、平均点以上を目指す『80点主義+α』の設計思想で開発されました。80点主義というと、平凡という印象を与えてしまいますが、実際には『平均点』ではなく『平均点以上』、むしろ高い完成度を目指したハードルの高い目標でもあるんです。まして、カローラは幅広い層をターゲットにしたクルマです。多くの人の要求に応えるというのは想像を絶する苦労があったことでしょう。その一定以上の水準を満たしたうえで、高級感や上級感を盛り込んで、所有する満足度を高めたのがカローラならではのこだわりでした。
パブリカよりやや大きなサイズの車体は発売当初は2ドアセダンのみの展開でした。搭載エンジンは新開発となる1.1リッターOHV(K型)を採用しましたが、1リッター級のエンジンが多いライバルに対抗するため、少し排気量を高めたのでした。それゆえ『プラス100ccの余裕』という売り文句が生まれたのでした。それも上級志向のカローラのコンセプトにはふさわしかったのでした。
駆動方式は当時としてはオーソドックスなFR(フロントエンジン・リヤドライブ)、フロントサスはマクファーソンストラットで、今ではスタンダードな形式ですが当時は革新的だったそうです。リヤサスはオーソドックスなリーフリジットでした。ミッションは4速MTで、これまた当時では先進的なフロアシフトを採用されました。
そうして登場したカローラでしたが、高い完成度、手頃なサイズ感、比較的手の届きやすい価格設定など、クルマそのものの魅力と緻密なマーケティング戦略で、トヨタの目論見とおりにヒットして、大衆乗用車の決定打となりました。
販売はパブリカと同じパブリカ店で取り扱われていました。
翌1967年には早速バリエーションを拡大、4ドアセダンと商用バンをラインナップに追加、ミッションも新たに2速ATが設定されました。
さらに1968年にはツインキャブレター装着のスポーツグレードのSLの追加やフロントディスクブレーキの採用など高性能化を図られました。
また、同じ時期に派生モデルとしてスペシャリティな2ドアクーペ『カローラスプリンター』が登場して、市場の拡大に対応しました。同じカローラの一員でしたが販売はパブリカ店ではなく、新たに新設されたオート店(現在のネッツ店)で扱われました。
1969年9月には『プラス100ccの余裕』だったエンジンの排気量を拡大、1.2リッター(3K)へ進化されました。
1969年、取扱販売店だったパブリカ店は販売の主力がカローラに移行したため『カローラ店』へ名称を変更されました。また、パブリカは同年2代目へモデルチェンジされますが、カローラの登場もあり、ファミリカーというよりはエントリーカー的な位置付けにコンセプトが変わりました。販売もスプリンターを扱ってたオート店へ移管される事になりました。

カローラは日本国内だけでなく世界各国でも販売され、1代でそのブランドを築き上げ、自動車史に名を残す存在となりました。

思ったより長文になったので、2代目以降は次回へ…。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする