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トヨタ アバロン/プロナード

2014年11月09日 | クルマネタ
前回のローズライナー20周年記念祭で画像をガサ入れしてたら、トヨタのアバロンの画像があったのでネタにしてみましょう。併せて後継モデルのプロナードも出題します。

アバロン/プロナードは北米市場向けに開発されたクルマで、生産は北米のTMMK(トヨタ・モーター・マニュファクチュアリング・ケンタッキー)で生産されてました。日本では逆輸入車として販売されてました。

どんな位置づけのクルマだったのかということで、まずは前史を振り返ってみます。
1990年代初頭、北米におけるトヨタブランド(レクサス除く)の最上級セダンとしてクレシダ(クレシーダ?)が存在してました。これはマークⅡセダンの北米仕様車でした。

画像は日本国内のマークⅡセダンですが、クレシダはこれをベースに大型の5マイルバンパーの採用など外観を差別化、エンジンも2リッターはなく排気量の多い3リッターのみでした。
しかしながら、日本市場向けに小型車(5ナンバー)規格で設計された車体ではフルサイズのライバル車に比べると物足りず、さらにFRの駆動方式ゆえ室内も狭くパッケージングもいまいちでした。よって、1992年モデルで終了となりました。


そこで後継モデルは北米市場に特化した地産地消を目指すことになりました。そうして生まれたのがアバロンでした。1993年に北米で販売されました。

後継モデルといってもマークⅡベースのクレシダとはまったく別物でカムリ系をベースに開発、よって駆動方式もFFとなり、クラウンを上回る大柄な車体サイズに生まれまわりました。よってパッケージングは大きく改善、広大な室内空間を手に入れることが出来ました。エンジンはカムリ系同様に3リッターV6(1MZ-FE)を搭載しました。
目論見どおりヒットしてカムリとともに北米市場での主力車種として君臨することに成功しました。

日本国内では遅れて1995年に輸入販売が開始されました。北米ではファミリーカーの位置づけでしたが日本国内では大型の車体ゆえか豪華に仕立てられ高級サルーン的な位置づけとなりました。北米向けにはコラムシフト&フロントベンチシートの6人乗りもラインナップされてましたが、日本向けはフロアシフト5人乗りのみでした。日本国内での販売はトヨペット店でした。ゆったりとした室内空間や大らかな雰囲気などいい意味でアメリカンな雰囲気のクルマで評価も高く、当初はまずまずの販売実績でした。
といってもミニバンの台頭によるセダン離れの影響も出てきたのと、価格帯がマークⅡやクラウンと重なってしまい、それらに比べると機能優先で華も欠けてた感もあり、やがて販売は低迷、1999年で日本での販売は終了となりました。いいクルマだったんですけどねえ…。


2000年にアバロンは2代目へとモデルチェンジを実施しました。機構面は初代からのキャリーオーバーですが、シンプルだった初代に対して、やや抑揚の激しい外観デザインに変身、北米市場を重視して一層大型化されました。初代と同じく日本でも輸入販売されました。

ただし、日本国内向けはプロナードへと名称変更されました。併せて販売店もトヨペット店ではなくビスタ店に変更されました。これはイメージ一新ならびにビスタ店のテコ入れが目的だったと思われます。
初代アバロンよりも高級志向を強め、広大な室内空間を武器にミニバンから卒業するユーザーをターゲットにした販売戦略で登場しました。今度は北米向け同様にコラムシフト6人乗りもラインナップされました。
しかしながら、もはや大型FFセダンという市場は日本国内では限られており、初代アバロン以上に路上で見かける機会が少なかったです。2004年にビスタ店がネッツ店に統合されるタイミングで日本国内でプロナードは終了となり、以降後継モデルは登場していません。

一方でオーストラリアでもアバロンは販売されてましたが、やがてこちらはカムリのオーストラリア仕様であるオーリオンへバトンタッチされました。

なお、北米では2005年に3代目アバロンが登場、2012年には4代目が登場して、現在に至っています。
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