C11湿原号

2011-03-23 | 今鉄
2011年2月末のC11重連、湿原号に行ってきました。


ジャンボジェットともいよいよお別れが近いでしょうか。

人類進歩の停滞を象徴するジャンボ

科学進歩のスローダウンを象徴するジャンボ

昭和40年代から飛んでいるジャンボ・・・  

(B-747は嫌いではないですが、「2001年宇宙の旅」はまだ遠いなァと思います)


「懐かしの塗装」が1機居ると思ったら釧路行き、乗る飛行機です。


茨城から福島に掛けての上空、上層の雲、下層の雲が全然違います。


仙台から三陸海岸上空でしょうか、二時の方角から来た飛行機とクロスしました。

北米大陸から韓国へ向かう航路でしょうか・・・

エアバスA-340かなと思います。


釧路に到着したB-767


釧路行きバスは2台用意されていましたが、ANA743便到着後1台で済ませてしまう判断をしたのか「満員」の1台で市内に向かいました。


夕陽がサンピラー現象のようになりました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E6%9F%B1

中国、黒竜江省や内蒙古自治区ではマイナス30℃前後になると時折現われる現象ですが日本の北海道のように暖かい(?・・・比較で言えば満州に比べると確かにずっと暖かいです)地方で現われることがあるとは知りませんでした。


「鉄」をしに行くより増田さんに会いに行くのですから「こちら」がメインです。


翌日、ぴかぴかの晴れです。 まず釧路川鉄橋のロケハンに行きました。


実際に撮影したのは釧路湿原~細岡です。

風が無かったのですが、汽車が来るときは可成り吹いて写真になりませんでした。 がっくり・・・








車掌車の上から狙って居る様に見えるのは我々を狙っているのでしょうか・・・・


塘路、遙か遠くを並走中です。


ルルラン踏切手前東側の平原で待ちます。 2人とも女性カメラマンのようです。


絶気の上に白煙がこちらに流れてきていて此処も撃沈です。


ルルラン踏切から釧路方を見ます。


標茶の「孫悟空」で御昼ご飯です。


味噌ラーメン ¥400だったか¥450だったか¥500だったか忘れました。


返しは「前向き重連」ですからしっかり撮らなくてはいけないのです・・・・

まあ茅沼に来ました。


女性カメラマンです。

茅沼での鉄車の台数は60台・・・70台居たかも・・・という程度でした。


入線してきました。 鶴は煙がこちらに流れてくるので嫌がって飛んでしまいました。


発車はサービスで煙を吐いていますが、風のせいで却ってそれが仇となっています。


東釧路駅へ先回りしました。


C11171 上からの撮影は大事です。


C11207


C11171








たんちょう釧路空港、鉄チャンじゃなくてヒコチャンが大勢何かを持っています。


待っていたのは新しい鶴丸を付けた日航機でした。


ANA搭乗のお客さんもにわかヒコチャン(「にわか」じゃないヒコチャン鴨)になっています。


可動ゲートは使わずタラップで降りてセレモニーが始まりそうな感じです。

鶴丸だけに鶴の聖地に近いたんちょう釧路空港に飛んできたようです。


我々のANA744便はA-320です。


その機内です。

3-3の6列中央通路は厳しいですよね。

2-3-2 7列のB-767と比べると天国と地獄です。






C11192 [早] [会]

2011-03-19 | 鉄道模型


HO1067C11192 [早岐] [会津若松] が明日3月20日発売されます。

C11192はC11型機関車を代表する「三次型」の中期に川崎車両(神戸)で製造された機関車で、炭庫後面の通風口など普通デフながら九州の香りを会津に持ち込んだ機関車です。

新製配置は仙台局(会津若松では無さそうです)ですが、かなり早い時期に九州、早岐に転属しており、早岐のヌシと言って良い機関車です。

1965年10月から1968年9月にかけて寝台特急【さくら】の佐世保発着編成(2001・2002レ)の佐世保線早岐~佐世保間8.9kmの牽引に活躍したC11の一両です。

【さくら】佐世保編成は早岐でスイッチバックさせる必要がありましたが、早岐まで牽いて来たDD51を機回しするのに時間が掛ります。

その割には早岐と佐世保の間の運転所要時間は短い事。

【さくら】の20系客車は機関車を最後尾とした推進運転に対応していません。

それらの理由から早岐機関区所属、佐世保線・大村線・松浦線で運用されていたC11を早岐~佐世保間の牽引機に起用しました。

この【さくら】佐世保編成には1965年10月から1966年9月までは基本編成(パンタグラフを撤去したカニ22使用)、その後はマヤ20形簡易電源車を使う付属編成が使われていました。

C11は基本的には後ろ向きで、ヘッドマークは本務機に装着されたままとなっていましたのでC11にはヘッドマークは装着されないことになっていましたが、早岐配属時代のC11192はヘッドマーク取付用のステーを装備しており、予備のマークを炭庫背面に装着したり、機関車を方向転換して正面向けにして、マークを装着しての運転もあったようです。

ATS発電機が助士席側ボイラー前部という個性的な設置位置です。



C11192は会津に転属となり、ヘッドライトをLP-403からLP405(シールドビーム)に交換、旋回窓取付などの雪国装備に衣替えして最末期まで活躍しました。

C11192はサイドの水タンクの振れ止めのステーを装備していますが、俊足を誇ったC11の欠点;高速になるとサイドタンクがボイラーと別々に振動して最悪の乗り心地になる(機関車としては痛む)事、サイドタンクが外側に倒れてくる傾向が有る(新橋駅前のC11292はステーを撤去以来タンクが外側に倒れてきています)ので取り付けられたモノです。


C11192            川崎重工兵庫工場=2363              
車歴;
1940-09-14 製造→ 配置[仙鉄達754];仙台局
1955-08-01 現在;早岐
1973-04-09 会津若松
1975-01-24 廃車;会津若松


会津に転属後も九州独特の炭庫後面の四角い通気口は健在でした。

C55流線型(C5343も当然同じでしょう)C62、C11の三種類は他形式の蒸機と比べ運転室が酷く暑かったと言われていました。

C11のキャブが暑かったのは日本全国同じはずなので全国で早くに採用されていれば良かったのにと思います。

C11の特定ナンバー蒸機の発売はこれで一段落となります。 発売予定はまだありますが2年程度インターバルがあると思います。






津波が来るぞ

2011-03-17 | ノンジャンル
複数の社員の親族が行方不明になっています。

津波にやられたようです。

いや、 怒りの声は「オオカミ少年」にやられたかもしれない!!というものです。

オオカミ少年 → 気象庁の津波警報、注意報です。

(素人目に見てもばかばかしい)はっきり不適当な津波警報がだらだらと、頻繁に出された後で

本当に「危ないぞ!!」という今回の津波では完全に「逆方向」

かつて37mに達した三陸に於いても3mとか6mという予想高サで警報を出した・・・



やはり今回 「また津波警報か」 という油断をさせたことが「命を奪った」という怒りが渦巻いています。

オオカミ少年とは何か?と言うことを思い出して強く反省し、国民に対して陳謝するべきです。





原発から20km~30km区域屋内避難指示

2011-03-16 | ノンジャンル
要介護度地震、津波、原発のトラブルについては天災なので仕方が無い部分もありますが、南相馬市の特別養護老人ホームの窮状については人災の要素がかなりあります。

NHKの放送でご覧になった方もだいぶ居られると思いますが、福島第一原発から20km~30km区域が屋内避難指示になりました。

その指示「国」から出されたもののようです。

はっきり言って「無責任なだらだら津波警報」の同類です。

南相馬市の特別養護老人ホーム福寿園は食料が尽きようとしています。

http://lovekaigo.net/area/fukushima_4.html

10㎞避難、20㎞避難で避難民を受け入れた極限状態の中、踏み止まった職員が泊まり込みで維持して来ました。

しかし、屋内避難指示になっていますので救援物資を運びこむことができません。

食事を通常の1/3に減らして飢餓に耐えて来ましたが、その状況にとどめを刺した格好になりました。

特別養護老人ホームは要介護度1~5のうち最も重い5、4の人が中心(特養ホーム入居中の高齢者の要介護度は全国平均で4を少し超えたところに有ります)で普通の老人からは程遠い厳しい状況に有ります。

http://www.city.tomisato.chiba.jp/syozoku/007/kaigohoken/kaigo03.html

国はもっと情報をきちんと集めて責任ある判断、指示を出すべきでしょう。

また、太平洋沿岸地域からは船で日本中に避難するべきでしょう。

地方自治体ではなく国が推し進めなければどうしようもない事です。

民間の船を徴発  ・・いや一時的に提供頂いて全国40か所の都府県に分散避難するしかありますまい。






地震被害

2011-03-16 | 鉄道模型
東北関東大震災による犠牲者数、被害の全容がつかめるのはまだ相当先だと思います。

モデルスIMONは対策を講じていた為に被害は限定的で済みました。

私の身近なところで結構大変なことに成ったのは実は私の工作室です。
模型室・ビデオ(編集)室の別名もあります。

自宅はマンションの5階(最上階)です。

4階には両親が住んでいます。 4階には子供部屋×2もあります。

比べてみて4階に比し5階の被害の大きさに驚いています。

金庫、冷蔵庫など重いものほど大きく動いて居ます。 そしてその向こうに物が落ちて傾いた状態で止まって居ます。

なかでも部屋に入れない状態になったのが私の工作室で、地震以来毎日少しずつ片付け、棄てるモノは棄て、掃除をしながら復旧作業に励んでいます。

あと2日ほど、地震から一週間で「外観上の復旧」をするのが目標です。


モニターは大きく動いたのに対してIMON木製車両ケースはゴムの足が引っかかって動きませんでした。

模型・ビデオテープ共、整理用に空箱を棄てずに積んでいたので余計見た目に酷い状態です。

空箱が多数有ったのがクッションになって「幸いする」事を祈るばかりです。

裸だった「模型仕掛品」と「部品分類収納ケース」3つ(小さな透明プラスチック製引き出し合計33杯)がひっくり返っており、撮影済みビデオテープや箱に入った模型と共に床一面に折り重なってしまいましたので「踏んで壊す」と「足に刺さる」が怖くてなかなか踏み込めません。

10cm前進に30分程度掛けてゆっくり片付けていくしか有りません。


工作机に辿り着くのはまだだいぶ先ですが、手掛けていた夕張11形の多くの部分は奇跡的に机から転落していません。

ゴムマットがぎりぎりのところで踏みとどまっている状態が判りますでしょうか。


マスターピースのHO1067ED61は裸の状態で転落してしまいました。


とりあえず、ある程度復旧可能かどうかは工作机が復活しなくては調べる場所も道具もありません。

裸で転落したのは全てブラス製HO1067でEL3両、EC2両、PC1両、FC4両の合計10両です。

こういう被害にあうと模型を続ける意欲を無くすものだという事が実によくわかります。

ただ、自分の場合これまでにもいろいろな惨事に見舞われてきましたのでこの様なときにどうするべきなのかを一応知っています。

「深く考えずに今日は寝る」のが一番です。


一畑のデハニ50は逆さに落ちた様子です。

(田舎電車としてこっちの塗装が好きだったのでこの色にしてしまいました・・・ 荷物室ドアの奥まり感を客用扉と区別してあるのが素敵ですね)


箱入りの模型は後々被害の具合を調べて行かなくてはなりませんが、割合「上」に置いてあったこの類のDVDソフトのソフトなケースが模型を救ってくれたのではないかと期待して居ます。


今日深夜か明日にでも工作机を解放したいと念じています。


目を左上に転じると編集用モニターがケーブルが外れないお蔭で転落を免れている姿が迫力満点です。

業務用ケーブルコネクターはコネクターをつまんで回さなくては外れない様になっているのです。



津波の被害に逢った東北地方太平洋岸や原発周辺の被災者の皆様と比べれば100万分の1程度の被害ですが、被害が、実態が徐々に判ってくるのが怖いです。

そして余震が怖いです。