社会福祉法人ウェルス東京理事会&地震について

2011-03-12 | 鉄道模型ではない仕事
特別養護老人ホームウェル江戸川を運営する社会福祉法人ウェルス東京の理事会がありました。


自宅から千駄ヶ谷駅まで送ってもらい電車を待ちます。 エスカレーター休止中。


209系500番台がやってきました。


錦糸町に長時間停車して時間調整をしながら平井に到着しました。

電車の運行数をJR東日本の判断として間引きしていますので地獄の混雑です。


評議会の情景、評議会、続いて開かれる理事会ともに過半数をギリギリ確保しました。

交通手段が無くて来れない評議員、理事が多かったのですが、地元から選ばれたメンバーのお蔭で助かりました。


井門憲俊は取手で帰宅できず、用意された緊急避難場所で泊ったとのことです。

避難場所はスポーツで有名な取手一高の体育館、市の職員の献身的な姿に感動を覚えたとのこと。

それに対してJRは駅を閉鎖して凍え死ぬなら死ねと言う姿勢で国民の怒りを買っていたようです。


ウェル江戸川の会議室で放送を見ます。

電車は本物です。 Nゲージではありません。

常磐線電車が地震を感じて津波を予期し、駅に停車して乗務員、乗客が跨線橋(高所)に避難し、電車は津波で流されたが全員無事という事です。

これは実に良い判断だったと思います。


午後2時(24時間近く経過)時点でも大津波警報。

馬鹿な事はおやめなさい!

日本にはリーダーが居ないのか?

第三波が過ぎたら直ぐに救助に全力を挙げ、四波以降で多少なにかがあってでも早く救難しないと1時間毎に数十人単位で命が失われてしまいます。

津波の恐ろしさを舐めています。

当初の3mとか6mとかいう予想高サにも怒りをおぼえます。

明治時代の三陸津波は高サ37mに達したそうです。

それよりも遙かに小さな地震だと思ったのでしょうか??

津波に興味がある私から見ると、地震直後の手ぬるさ、助けに行くのが嫌だから行かない為のガードなのか「バカバカしい警報」には呆れてしまいます。

三陸地方では明治時代の津波で2万人以上が亡くなっていますが、今回も情報が集まって来た時点で被害の大きさ、この直ぐの時点でなにか出来なかったのか?に驚く事になると思います。


さて、本社に帰ります。 特養ホームの車が実際に運行している情景が見られました。


駅まで送ってもらったのは新車です。


日本財団から8割ほどの補助を貰って購入した新車でした。

笹川さんありがとうございます。


さて、被害が大きかった秋葉原店に寄ってみます。

雑誌類を収めていた棚が倒れ、パソコンのモニターが壊れ、ケーブルが切れてしまいました。


MONTAのブラス委託品などは地震対策が有効だったために被害なしです。


こちら側も殆ど被害無く済んだようです。

秋葉原店本体のNゲージ展示棚が大きな被害を受けました。


秋葉原も人が閑散としています。


中央通りも車は閑散です。

郊外へ向かう道路は信号毎に1台という厳しい情勢が続いているようでした。


今回の地震、揺れが始まってから揺れが強くなるまで可成りの時間がありました。

また

常に不思議に思っている疑問があります。

地震とは;地殻内に溜まっていたひずみがなにかのきっかけで解消される動きをする事から起こると言われています。

きっかけの最大のモノが有るとすればそれは地震じゃないのでしょうか?

「最初の震源地」とそれがきっかけで起こった「最大の震源地」があるのが「普通」なのではないのか?という疑問です。

S派、P派と言ったことぐらいでは説明しがたいモノが地震の揺れ具合、被害の集中具合だと思います。

「最初の震源地」「最大の震源地」という「地震は大概複数の震源で起こる」と考える私の考えを図にしてみました。


X1が最初の震源です。 X2がそれをきっかけにして引き起こされた地震震源です。

①地点; 地震波が同調してとてつもない被害をもたらす地点です。

②地点; 地震波が打ち消し合って意外に被害がない地点です。

③地点; 違う方向から揺さぶられて複雑な揺れ方をする地点です。

X1、X2の揺れの周期が一致するとは限りません。

今回の地震、東京で本当に揺れが烈しくなってきたのは最初の揺れの「30秒以上1分以下」経ってからでした。

確かに「エネルギー最大の震源」位置(最大震源地)を特定するのは難しいと思います。

それに対して最初の地震の地点(第一震源地)は割り出しやすいでしょう。

第一震源地でエネルギーの解放があったとは限らないと思います。

地震研究に於いてはそんな簡単な間違いに基づいて研究していては話にならないじゃないでしょうか。

地震学会が私に答える必要はないですが、世間に対してもっと納得の行く地震メカニズムの解説をしてくれることを願います。

(私は平均4カ所位が震源になるのが大きめの地震なのじゃないかなと感じています)


福島原発の事故が物凄い事故かなと心配をしています。

スリーマイル島の原発事故が日本に起こったと考えられます。

スリーマイル島をしっかり研究していなかったとしたら犯罪的な怠惰と言わざるを得ません。

福島第一、第二共に20kmとしたり第二は10kmに戻したりという「お粗末」も犯罪的だと思います。






地震からの帰宅

2011-03-12 | ノンジャンル

大井店ショーウィンドウの様子です。

OJ、HO1067、16番のブラス製品は地震対策で左右に殆ど動かないようにアクリル板を設置していたお蔭で被害は僅かでした。

可哀そうにディスプレーされた車両が「被害を受けているかな?」という感じです。


大井店ビル屋上からお台場の火災の煙が見えます。

当初の映像では最上階で出火、そのフロア内で人が走り回っている姿が見える衝撃的なモノでしたがその後はテレビで映されませんでした。


19:30頃の大井町駅東口の様子です。

JRは早々に今日の運休を決めてしまいました。

駅構内に照明器具落下などの被害があったようですが公共交通機関の使命を放棄していると思います。

帰宅時間を遅らせるようにという政府からの指示があったので居酒屋は満員です。


大井町のタクシー乗り場、バス乗り場はそれぞれバス停ごとに長蛇の列です。

この情景を確認してからそれぞれ帰宅の途に就きました。

時に21:50です。


奥井さんは池上車庫行のバスに乗り込めたようです。(結構のろのろで時間は掛ったようです)

都道26号線から区役所方向へ左折して進みます。

私は神宮前の自宅まで徒歩しか頭にありません。


品川消防署大崎分署で消防車が出動準備をしていました。 (その後実際にサイレンを鳴らして出動します)


大崎駅手前で新幹線300系が上っていく姿を見ました。

お客さんも乗っているように見えました。


大崎駅西口前を直進し、山手通り下をアンダーパスして北へ向かいます。

さつき会館前あたり、南行き山手貨物線上の駅間に259系NEXが停止していました。

平行する道路はすさまじいばかりの渋滞です。

どんな道路も路地も歩く人でいっぱいです。


目黒駅には内回り、外回りの山手線電車が停めてあります。


目黒~恵比寿間。

歩く人はますます多く、道路はピクリとも動かない状況になってきました。


恵比寿駅を過ぎました。

山手線、山手貨物線の恵比寿駅渋谷寄りの鉄橋が見えています。 道路は地獄です。


大崎駅前の巨大ビルに続いて二回目のトイレ行きです。


帰宅難民の様子です。


左側は山手貨物線、オーバーパスする東横線が走っています!人も乗っています!


明治通りに出ました。 その明治通りは渋谷に向けて微動だにしない厳しい渋滞です。


回送のバスが多く走っています。


六本木通りから並木橋方向へ右折する車が六本木通り下り線を支障しています。

しかし、交差点を過ぎた渋滞最後尾の車が一歩も前へ進めていないので支障ともいえないかも・・・


246号線下り方向を見ます。 信号一回で1台程度しか進めません。 三車線で三台並んでいる中の一台行ければ「良かった!」という感じです。


246号線上り方向を見ます。

こちらも全く微動だにしません。


こどもの城1Fのレストランが帰宅難民に開放されているようです。


この道もちらりとも動きません。

23:46に帰りつきました。 (所要時間1時間56分)

21:50大井町駅前から歩き始めてから携帯電話付属の万歩計は11,000歩少々という結果が出ました。

自動車の方々が非常厳しい状況です。

こんな日は自動車を置いたまま徒歩で帰った方が全然無難と思いました。


東京メトロと都営地下鉄、西武小田急京王東急などは殆どの路線で終電後も深夜運転しているようです。

JRは他の民鉄を見習わなくてはいけません・・・