♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■水戸黄門、なぜうける

2006年05月08日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 あのー、日本人の好きなドラマに忠臣蔵と水戸黄門があるというふうに言われますねえ。えー、テレビでも水戸黄門などは驚異的な長寿番組なんだそうですねえ。今の水戸黄門も何代目でしょうかねえ、私の知っているだけでも5、6人目かなあと思うぐらいですけれども、まあ悪代官や不正商人などに虐げられてなすすべもなく庶民たちが無念の涙を飲んでいる時に、そこに強い味方として現れてですね、そしてクライマックスにはとっておきの切り札。「この印篭が目に入らぬか! この方をどなたと心得る。」てなことですね。天下の副将軍が名乗り出ますと、今までふんぞり返っていた連中がバタバタと平伏してしまう。そこでまあ視聴者は溜飲を下げるっていう訳ですねえ。

 えー、水戸黄門が受けるというのは世の中には正義と公正が十分に行われていないので誰か代わってやってくれる人がいないかなあという願望の現れがあるかもしれませんねえ。みんな現代にも黄門様が欲しいと思っているのかもしれません。えー、総理大臣だろうが大統領だろうが裁判官だろうが首相だろうが、間違ったことをしたら叱りつけて平伏させる。しかもそのような絶対の権威を持ちながらその権威を悪用する心配の決してない高潔な人格者はいないだろうかということですねえ。

 ある人がですねえ、水戸黄門の好きな日本人ならキリスト教が分るはずだってこう言った人がいるんですねえ。というのはその水戸黄門という人は天下の副将軍というそういう立場を持っている訳ですけれども、そういうふうに見せないで庶民の中に入ってきて、どこの田舎の爺さんだろうかというような格好をしてですね、そしてみんなの悩みを聞き、それの解決に身を乗り出して行くっていう訳ですね。

 で、イエス・キリストって方は神様の子でありながら、しかし人間の形をとってこの地上に実はおいでくださった本当は神の子なんだ。で、ピリピ人への手紙という中に書いてあるんですけれども、「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」(新約聖書ピリピ書2章6節、7節)というふうに書いてあって、そしてやがて十字架にかかって人間の罪を全部解決してくださる。義しい者と不義なる者とを明確に裁きながら、しかし罪の解決を与えてくださるために来てくださったイエス・キリスト。このお方を本当に知っていただけたらどんなに溜飲が下がるかなと思うんですね。

 ( PBA制作「世の光」2006.05.08放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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