♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■キリストの教会を建て上げた植村正久 / 岩井基雄

2016年05月27日 | Weblog
2016/5/27放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の最後の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は植村正久について学んでみましょう。

 植村正久は安政4年、1858年に徳川家の1500石の旗本の家に生まれました。大政奉還によって徳川家が没落していく中で、彼は自分の生きるべき道を模索し、英語を学ぶことを心に決めます。そして彼はS・R・ブラウン宣教師やジェームズ・バラ宣教師に師事し、英語を習得すると共に、彼らの信仰を通してイエス・キリストにある救いと喜びを受け取ったのです。多感な16歳の時に自分の罪を認め、その罪のために十字架にかかられたキリストを救い主として信じて洗礼を受けた植村正久は、自分の生涯を捧げて牧師となる決意をし、東京一致神学校へと進学したのです。そして卒業後に開拓伝道を通して富士見町教会を設立し、人々に愛を届ける教会の牧師としての働きを忠実に行っていったのです。

 植村は教会のあり方についてこだわりを持っていました。後に無教会派と呼ばれるグループを導く内村鑑三とは対照的に、健全なキリスト教会を導くことに彼は使命をもっていたのです。

 植村が43歳の時、当時、日本組合キリスト教会の指導者であった海老名弾正との論争が起こりました。聖書を神のことばとして信じる植村にとって、それはどうしても譲ることのできない論争でした。彼は聖書の真理に立つ教会を建て上げることを求めたのです。今から考えると、彼の聖書の理解にも限界はありました。しかし教会が聖書に堅く立ち、健全に成長し、愛によって主体的な歩みを進めることを大切にし、教会の真実さを守っていったのです。彼の三女、植村環(うえむら たまき)は日本で二人目の女性牧師としても働き、父の使命を継承しました。教会は神の愛と真理によって建て上げられるのです。

 聖書のことば
  「神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
   新約聖書 テモテ第一の手紙3章15節

 (PBA制作「世の光」2016.5.27放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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