♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■大切なのは目の高さ / 関根弘興

2018年04月27日 | Weblog
2018/3/23放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 迷子が泣いている。さてあなたはその時、どうしますか?
 これはある遊園地で仕事をする人が面接で受ける質問の一つだそうです。
 さてあなたはどうしますか?

 答えはですねえ、まず子どもの目の高さまでひざまずいてにっこりと笑って、「どうしたの?」と聞いてあげることなんだそうです。大切なのは目の高さという訳ですね。

 でも子どもでなくても上から下へと一方的な言い方をされると人は反発してしまいますよね。聖書は、神様は愛なる方です、と記しています。この愛は自らが人として私たちと同じ目の高さにまで降りてきてくださる程の徹底的な愛なのですよと教えています。神なる方が私たちと同じ場に来てくださったお方、その方こそイエス・キリストです。

 イエス・キリストは決して御殿に生まれた訳ではありません。豪邸で教祖様!と呼ばれて過ごした訳でもありませんでした。身分が低く人々からのけものにされていた人たちの目の高さにまで降りて一人ひとりに「私の友よ」と語られ、病む人を癒やし、絶望の中にいる人に平安を語っていきました。でもイエス様の最後は、何とあのむごたらしい十字架刑だったんですねえ。なんという不条理でしょう。徹底的に愛の使徒として歩まれたイエス・キリストは、十字架につけられて殺されてしまったんです。

 でも聖書は、何とその十字架につけられるためにイエス様は来てくださったのですよと教えているんです。一体どういうことでしょうか。

 本来私たちは、みんな罪人です。正しい神様の前にみんな裁きを受けても当然な存在です。しかしイエス様は私たちに代わって一人ひとりの罪をご自分で背負われて身代わりとなって十字架の苦しみを受けられた、と聖書は教えます。私たちはこのイエス様の中に本当の愛を、比べることのできない愛を見ることができるんです。

 聖書のことばをお聞きください。
 第一ヨハネ3章16節
 「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。

  (PBA制作「世の光」2018.3.23放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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