新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

香りがいのち

2008年01月14日 09時56分02秒 | 写真俳句・エッセー

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臘梅や香(か)のうしろより人のくる

 寒い冬のさなか、葉のない枝に臘梅は花を咲かせる。

 江戸時代に中国から渡来してきた花で、名前の由来には諸説がある。

 臘細工を思わせる人工的な透明感から、臘梅という名前がつけられたという説が、説得力がありそうだ。

 また、中国から渡来してきた来歴から、別名として「唐梅」とも言われている。

 俳句では冬の季語。

 この黄色い花は、何の変哲もない花だ。花を見ただけでは、きっと一顧だにされないに違いない。

 しかしその花が放つ艶やかな香りは、人を立ち止まらせずには置かない。

 臘梅のいのちは、類いまれなその香りにある。

 花言葉も色々あるのだろうが、私の調べたところでは、「慈愛」となっていた。

 あの艶やかな香りからは、とても「慈愛」を思い浮かべることはできないのだが……。

 もっともあの香りについて、「清らかな香り」と受け止めるか、私のように「艶やかな香り」と受け止めるか、これも問題の一つ。

 「艶やかな香り」と受け止めてしまえば、「慈愛」とはならない。

 と言って、「妖艶な香り」でもない。

 もっとも、私の嗅覚は鈍い。

 趣味、嗜好も偏っている。「艶やか」願望もありそうなので、臘梅の香りを正当に受け止めているという自信はない。

 諸兄姉は臘梅の香りを、どのように感じられておられますか。

 1月12日のこのブログに、次のような俳句を載せた。

  臘梅や去りにし人を思ひたる  鵯 一平

 臘梅の香りから、過ぎ去った昔を思い起こした句であった。

 二番煎じ的だが、あの強烈な香りから、次の句が浮かんだ。

  臘梅や香(か)のうしろより人のくる  鵯 一平 

 艶やかな香りに誘われてそちらを向いたら、楚々としながらも艶やかに微笑む女がやって来たという句。

 やはり通俗的で恐縮。

 写真は、平成17年1月13日撮影。

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心の砂漠時代

2008年01月13日 12時24分12秒 | 身辺雑記

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マンサク(1)  2002年1月27日

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マンサク(2)  2002年1月27日

  飽きもせずに、今日もまたマンサクを載せた。平成14年1月27日に撮影。

 マンサク(1)は枯葉がからまっていて、マンサク(2)は枯葉が散っていた。

 同一の木なのだが、陽当たりの違いによるものなのだろうか。

 作家の五木寛之氏はある著書の中で、「今は心の戦争時代だ」ということを書いていた。

 自殺者が急増してきたことを捉えての言い方だった。

 そんな感じがしないでもない。

 平成9年の自殺者数は、2万4000人台だったのが、次の年の平成10年では、3万2000人台へと急増したという。

 その後も3万人台を下回ることなく推移している。

 その内訳的な特徴としては、高齢者の自殺が圧倒的に多いのだそうだ。

 原因は様々なのだろうが、識者の話によれば、「心の病」に起因する自殺が多いとのこと。

 近頃は、親の子殺しや、子や孫の祖父母殺し、親殺しも目立つニュースだ。

 この問題も、心の荒廃を物語っているように思える。

 先の戦争(太平洋戦争)が敗戦という形で終わった年、私は国民学校(今の小学校)5年生であった。

 8月15日の正午、天皇陛下(昭和天皇)の玉音放送で終戦(実は敗戦)を知ったのだが、大人たちの泣き叫びを見ながら、私も涙が出て仕方がなかった。

 なぜ泣いたのか、あまり記憶にはない。

 なにしろその日まで、子供ながらも、特攻隊に志願するつもりになっていた時代だったのだ。

 あの日から親たちは、食べるために、なりふりを顧みず、必死の形相で働いた。

 引き続いて私たちの年代も、「所得倍増論」などに煽られながら、家庭を顧みずに働いた。

 東京オリンピックから高度成長時代を経過して、日本は世界有数の経済力を持つ國となっていった。

 日本民族の優秀性が証明されたようなものだ。

 そのころ、総中流化と言われ、それなりに納得出来そうな時代が現出し始めた。

 一方では学歴偏重の傾向が進み、子供たちは友達遊びより塾通いに追い立てられていった。

 政治経済のグローバル化の進展もめざましく、否も応もなく国際競争時代に突入していった。

 隣り近所を尊重する農耕民族の風潮は否定され、狩猟民族的な市場競争化が進展し、利益至上主義が跋扈した。

 やがてバブル経済時代を作り、無理がたたってバブルが弾け、日本経済は大きな傷手を受けることとなった。

 あらゆる価値の上に「利益」が置かれ、働く職場にも能率主義が導入された。

 時と場合によっては、人間関係にもヒビが入りかねない。

 総中流家庭と言われていた日本社会は、いつの間にか格差社会と言われ始めている。

 どこから踏み間違えたのか知らないが、「心の戦争時代」とか「心の砂漠」と言われる世相が現れ、目を覆うばかりではないか。

 痛ましい殺人等が増加する一方、3万人以上の自殺者は減少しない。

 なぜこのような時代となってしまったのか。

 どうすればいいのだろうか。

 答えは出されていない。

  

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塩味の利いた思い出

2008年01月12日 06時12分27秒 | 写真俳句・エッセー

Photo
臘梅や去りにし人を思ひたる

 春にはまだ早い日、臘梅が咲きはじめる。

 枯葉が散りきっていない枝に、蝋に似た硬質な感じの小さな花が咲く。

 一帯には、芳しい香りがふわーっと漂い流れる。忘れがたい香りだ。

 その香りが、遠い日のぼんやりとした記憶を、ほんのり呼び覚ましてくれた。

 若かった日のちょっぴり塩の利いた思い出だ。

 あっ、そう言えば、あの日田舎の駅のホームで、小さなロウバイが咲いていたっけ。

   臘梅や去りにし人を思ひたる   鵯 一平

 
 甘っちょろいですねえ。

 ガン細胞を身体中に住まわせている老青年には、相応しくないとお思いでしょうか?

 私も少しばかり照れくさい。

 しかし、病気に怯えているのも真情ですし、党首討論に怒っているのも真情。

 過ぎ去った日の塩味を感じているのもまた、一つの真情なのですよ。

 もっとも、ボケると幼児還りをすると言いますから、そちらの症状かも知れませんね。

 もうこうなったら恥の掻きついでです。55年ほど前の高校生時代(私にもあったのですよ、念のため)、ノートに書き留めて諳んじていた詩を書きます。

 島崎藤村の詩、「初恋」です。

  (一)   略

  (二)  やさしく白き手をのべて
       林檎をわれにあたへしは
       薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
       人こひそめしはじめなり

  (三)   略

  (四)  林檎畠の樹(こ)の下に
       おのずからなる細道は
       誰(た)がふみそめしかたみぞと
       問ひたまふこそこひしけれ

 孫に会うため、カミさんと二人、いそいそと出かけます。

 

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お粗末な党首討論

2008年01月11日 09時07分41秒 | 政治・経済

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ロウバイ咲く 2005年1月13日

 掲げた写真は、平成17年1月13日、市民の森のロウバイ。

 ほかの木がまだはっきり芽吹く前に、いち早く花咲かせていた。

 あたり一帯に芳しい香りが漂い流れ、早春とさえ言いたくなる雰囲気だった。

 一昨日、福田首相と民主党小沢代表との間で、党首討論が行われた。

 双方とも口下手なこともあるが、平板で迫力のない内容だった。

 この二人、つい先般に大連立について話し合いをした間柄なので、やりにくい関係だったこともあるのだろうか。

 この討論に先立ち、記者質問に対し福田首相は、「私は受けて立つ立場なので、相手の話をよく聞いて、しっかり答えたい」、と言っていた。

 おかしな話ではないか。

 ほとんどが政府提案の法案を審議している国会なのだ。

 首相としては、なんのかんのと言って抵抗している野党の代表に対し、政府の意のあるところを説明し、迫力を以て協力を迫るべきではないのか。

「受けて立つ立場」とは、考え違いもはなはだしい。失望しながら聞いていた。

 やはり案に違わず、二人のやり取りは空疎なものであった。

 小沢代表の国家像は、国連に隷属する日本だ。

 国連が決めたことなら、憲法をも越えて協力するという国連優先論者。

 国連が決めたことなら、どんな事でも従いますよ、といった調子だ。

 国連あって日本なし。

 もっとも、彼の腹の中は見えない。

 湾岸戦争の時の屈辱感がトラウマとなってもいるようだ。

 國の命運をかけ、国連をリードし活用する積極論はない。

 福田首相には、明解な国家像は感じられない。

なにしろ、「周囲の國が嫌がることはしない」と明言している首相なので、なにも期待できない。

 福田首相は、すべて受け身。

 中国や韓国の嫌がることはしないのだから、危なっかしい人だ。

 そんな二人の討論なのだから、聞かなくともよかったようなものだった。

 明解な国家像と強いリーダーシップを有する新しいリーダーの登場を待つのみだ。

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ロウバイとマンサク

2008年01月10日 08時34分12秒 | 身辺雑記

 私がよく行く市民の森では、ロウバイとマンサクがほぼ同じころに咲いている。

 と言っても、ややロウバイのほうが早い感じ。

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ロウバイ  2007.1.27

 上の写真は、昨年の1月27日に撮ったロウバイである。

 よく晴れた日で、まだ周囲の木が目を覚ます前に,パッチリと花を咲かせていた。

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マンサク  2007.1.27

 下の写真は、同じ日に同じ市民の森で撮ったマンサクである。

 ロウバイに比べ、マンサクは寝ぼけ眼で、枯葉が巻き付くようにして花を守っていた。

 俳句の季語では、ロウバイは冬で、マンサクは春となっている。

 僅かな目覚め方の違いを、季語は敏感に捉えているようだ。

 これから仕事場へ行ってきます。

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