とても信仰心が厚いとは言えない。言うつもりもない。
そのことは承知しているが、さればとて、決して無信仰ではない。
神仏を敬う気持ちは、十分に持っている。
暮れには、
十二月鎮守にお礼申しあぐ 鵯 一平
と詠んだ。
洒落や冗談ではない。
年の暮れともなれば、神仏にお礼の気持ちを表したい。
その思いを句にしたものである。真底偽りのない心情である。
生来の横着者なので、初詣はしていない。
高校入試の年にしただけだ。この時は、合格祈願だった。
繰り返すことになるが、私は神仏を敬う気持ちは強いつもり。
お願いごとよりは、感謝の気持を表したい。
形に表していない信仰では、ほんものではない、と言われれば、返す言葉はない。
だが、神仏を敬う気持ちに偽りはない。
毎年大晦日の深夜、テレビで、除夜の鐘と初詣の実況放送がある。
たとえ紅白歌合戦を見なくとも、寝床の中で、その実況放送は見ている。
そして、厳かな気持ちで、新年を迎えている。
映像の除夜に寝床で手を合わせ 鵯 一平
神仏に思いが届いていると信じているところ、その思いこみは凄い。
勝手気儘な信仰とお笑いか?
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