わが家は月おくれのお盆なので、今日8月13日の夕方、迎え火を焚いた。迎える精霊は、息子の妻、すなわちチッチャな怪獣(孫娘)の母親だ。
息子の妻は、一昨年の夏、まだ1歳に満たない孫娘を残して急逝した。昔風に言えば、産後の肥立ちがよくなかったのだろう。
それから暫くの間、息子たち父娘は、私たち老夫婦の家で生活を共にした。私たちにとっては突然の子持ち生活だったので、精神的にも肉体的にも、戸惑いの多い日々が続いた。情けない話なのだが、私も妻も病気をしてしまった。子育てには、多くのエネルギーが必要だ。改めて実感させられた。
その後、息子たち父娘は大田区に移り住み、もうかれこれ10ヶ月が経過した。
一昨日から、わが家に可愛い怪獣がきている。父親とは別行動となっているのだが、表面的には問題がないように見える。私も妻も、すでに従者の立場だ。
祖父母に対し、甘やかすなと言われても、なかなか難しい。「無責任な立場だから……」とはよく言われるが、それとも違うようだ。
俳句作りで言われる注意として、「孫俳句は避けるべき」というのがあるのだそうだ。「可愛い、可愛い」で作ったのでは、自分だけが気分よくなっているだけで、他人の心は打たないらしい。観る対象が孫では、すべてを観きれないのかもしれない。
ブログでも同じことが言えるのかなあ。
若くして逝ったチッチャな怪獣の母親の御霊を迎えるため、私たち4人は、門扉の傍らで迎え火を焚いた。孫娘も、意味は分からずとも、一緒に両手を合わせてくれた。歳月とはありがたいものだ。少しずつ成長してくれている。
言わずもがなだが、俳句の上で、迎え火は秋の季語だ。昼日中は炎暑の真っ直中。しかし、焚きながら見上げた空の薄い雲は、思いなしか秋の色をしていた。
早逝の魂ははにかみ門火燃ゆ 中村草田男
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