農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

時代を読むで「上野村の正月」内山節さんを今朝読んで感じたこと

2017-01-08 09:34:05 | 日本不耕起栽培普及会

私も東京で学生をやっていた25,26歳の頃東京に住んでいたが、松戸や神奈川の空とは異なり毎朝起きると今の北京と同じ状態で汚れた油煙が空から降りてくる環境だった。私がその時思ったのは次世代の子供を育てるのには東京は適していないと直感した。その後現在の旭市の農業高校の教師を35年勤務することになるが、後継者育成ということで自分なりの努力はしてきた。農業の立地条件、海にも近く豊かな海の幸にも恵まれて私の世代は順調に過ごせたように思う。ただ自分の中でより安全な生活を求めたいという欲求があって、農薬や化学肥料を使わない農法の探求が始まっていた。これは長崎で生まれ父親が被ばくした体験とかもともと双子で相棒は3歳で亡くなったが幼少時代ひ弱な生活を送ったこと、兼業であったが愛知県でサツマイモや小麦を栽培したり鶏をかったりしていた。時にかっていた鶏が腸を出して死んだことも幼い時に体験した。教員時代もその農薬を使わない技術のありようが常に頭の中から抜けることがなかった。

上野村の生活は同じローカルな村の生活という点ではあさひもまったく同じように生活がしやすい市であった。


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