goo blog サービス終了のお知らせ 

農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

灰谷健次郎の兎の眼の中でやさしく語っている。水田構造のすべてをコンクリートで覆わないでほしい

2025-07-03 10:24:37 | 日本不耕起栽培普及会
多古の染井地区での水田の構造改革の検討会で所英亮さんは江戸時代に行われた基盤整備をそのまま残すべきであると訴え、残った。空中散布をやめたら、ホタルがかえってきた。ドジョウやかめの生息も当たり前であるしコウノトリまで飛来した。機械が入りにくいという人間さまの都合で水田の規模を拡大し、農家の人もその土地の耕作をやめた。そこが生き物の楽園となった。江戸時代のコメの収量は4,5俵であった。今は化学肥料、農薬を使い除草剤に頼る。私は定年してからコメ作りを始めたが、年金で生活できる範囲で人が食べるものを作れば安全を維持できるのではないか。太陽パネルを使って地域で必要とする電気を活用する。原発なんて生き物の生息を
狭めるだけで全く益はない。
私の近所周りも前のオリンピックの時マキの木が高く売れたからと植えたまま残され北側の竹藪は土地の切り売りで残り、今ではウグイスガ朝から晩まで鳴いている。モントゴメリーの世界である。

昭和の時代の体験と同じように再現できれば良いがそこが難しい。

2025-07-02 16:13:23 | 日本不耕起栽培普及会
カワセミがいた(多古自然公園)、サシバが鳴いた(多古、佐倉和田実験田)亀がいた(多古染井水田)佐倉実験田、コウノトリがやってきた(多古染井水田)香取の藤崎芳秀水田(コハクチョウ、タシギ、トンボの羽化、アブの幼虫、メダカの大群)タニシ、サカマキガイ、平巻貝、ヘビ類(マムシ、シマヘビ、カナヘビ)シラサギ、アオサギ、ハクセキレイ、
などなどしかしこうした普段普通にいた生き物が少なくなったというのがただしいか。佐倉でもジャンボタニシが外来種ということで村を上げて対処しようと奮闘している。アイガモと同じで対処法がはっきりすれば、逆に除草の友となる。コメ作りを25年続けて、収量を気にしないやり方ではあったが同じ生き物として生存権を与えることを前提に取り組んできた。ここ15年の変化としてネオニコチノイドという水生の農薬の使用で環境が大きく変わったのではないかとおもわれる。

加瀬さんの畑、で大豆、落花生、サトイモなどに挑戦

2025-07-02 15:48:46 | 日本不耕起栽培普及会

コウボシ、メヒシバなどの芽生えの中大豆と落花生、サトイモを植えてみた。
へそ曲がりでアゼクロ
へそ曲がりソラタカク
落花生
ソラタカクの直播そしてその脇にも小糸在来と丹波黒を6月29日に雨を予想して播いてあるが雨が降らずまだ発芽してない。肥料は全く入れてないが稲わらを敷きくさとして入れる予定である

戦後の時代の生き方を考える

2025-07-01 10:24:52 | 日本不耕起栽培普及会
朝ドラのアンパンを見るにつけ1961年大学をスタートさせた私にとって現代の若者がどのように生きているかと比較すると果たしてつながるのかとかんがえさせられる。千葉大時代はひたすら農業の現場主義にこだわりとにかく現場に行ってそこから新たな技術を学ばねばならない。それとソビエトのレーニンの哲学ノート、その後東京教育大学で鈴木芳夫さんと学術会議会員の福島要一さんの率いるミチュ=リン会で活動したことである。東京農工大学の柳下先生が引き継いだ〈農の会〉であるがなす科どうしの交雑、接ぎ木の研究であった。

この時期梅干しとラッキョウ漬けである。以前は妻がやっていたが聞きながら減塩で挑戦

2025-07-01 09:24:42 | 日本不耕起栽培普及会
今回は南高梅5キロで減塩、焼酎50ミリ、塩50gすでに10日目あたりである。カビの発生もなくじゅんちょうである。7月20日あたりには3日ほど日に当てるよていである。それまでに赤しそを準備する予定である。

7月20日までこの状態を維持する
ラッキョウは1キロほど用意して塩付け状態で前年度の梅スがあるのでそれで味付けしようと考えている。
6月27日開始毎日攪拌している。