農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

長野県上田市・宮下和美さんの田んぼ訪問記

2013-03-20 19:53:43 | 日本不耕起栽培普及会

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2013/03/16

鳥井報恩

田んぼ訪問記/長野県(上田市)・宮下和美さん

 2013年3月15日(金)~

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妻の父親が96才で亡くなった。その葬儀にかこつけて実家の長野に向い、ジャム工場のある宮下和美さんを訪れる。前々日の約束であったが心よく応じていただいた。3時間の面接ではあったが、機関銃のように彼

の理論の組み立て、水田の昨年の実績と周辺の休耕水田の借地計画を語ってくれる。

標高870mでのコシヒカリ限界点を越えての栽培に挑戦し、イトミミズを園原水田よりいただき-イトミミズのフンは糖分と位置づけて、棚倉のミネラルとEM酵素をドカンと施すことで立派なコシヒカリが育つことを実証した。その際、園原さんの低温にいためつけられた成苗…地域の人々を説得するのには最高の品種である。今年の計画で17aの水田の一部を市民農園として5万円(60kg)で契約をすませ、看板を立てて深水管理を始めていた。

今の所、河川改修で水が来ない水田もあるが、山間であるため水は豊富である。上流の生活排水の流入しない湧水を何ヶ所か利用できないかと検討している。

EMを増量して、ドカッと施す方式で増収も可能ということで、1000?500?単位の大型タンクを使い、4,000円、2,000円レベルでの低価格での培養を可能としている。36℃の温度での増量ということのようです。

また上下2枚の田を作ったところ、上の田は黒ボク土で減水がひどくヒエの見本田のようになったが、その減水分が下の田に溜まり、栽培期間中深水であったためヒエは2本しか生えなかった。また、下の田には赤土粘土分が多かったので、イトミミズやミジンコの活動で、水田がにごり続け光線の透過がさえぎられ、コナギの発生が抑えられた。

このことを体験して、上の田に粘土分を含む赤土を客土することで、土ににごりを与えようと、秋口に不陸を直して客土をしたそうです。

元々宮下さんは、果樹・野菜を無農薬無除草剤、有機肥料にこだわり、水田用培土も赤土の山土を秋のうちに採取して、熟成した堆肥分を混ぜ合せ、毎年自家生産している。

ジャムの原料となるホウズキ、イチゴ、ブルーベリー、ルバーブも無農薬栽培を完ぺきに完成させていて、地域での農薬半減のエコ農法などとは一線を画している。

農協や改良普及センター、県の指導機関、共済組合など農業の行政機関との接点は乏しい。今回、2,000万円の借金も農協を通しての融資は得られず、商工会の仲立ちにて国民生活金融公庫で米穀商としての融資である。

家屋敷を抵当に入れ生命保険も掛けたが、必ず返す気概で63才だが100まで生きることを前提に身体を張っている。

宮下さんがこれほど無農薬・無除草栽培にこだわるのは、シックハウス症候群で酵素阻害物質が身体に蓄積しており、砂糖やアルコールなどを分解する酵素の働きを阻害され、砂糖やガスなどを少量でも身体に取りこまれると、その物質除去に3日間かかり絶食を余儀なくされ水も飲めないため、点滴をしてまでして働いている反動からである。

戦後の7ケタ農業で導入されたトマト栽培で村は栄えたが、その結果が農薬で汚染された大地が残された。それ以前の農民の苦労を知っているので、この農薬を使わない農法への回帰は望めなかったが、高齢化で耕作放棄者が増えていることを、不耕起栽培普及へのチャンスと捉えて地域に働きかけ、栽培面積を増やそうと積極的に活動している。今年2haの水田に水を張り、通年で放棄水田を直して、数年後には10haのまとまった農地にホタルを舞わそうとしている。

酒についても全く同じで、低迷する生産量、消費量の減少をうれえて、再起をはかろうとする動きが出てきて、宮下さんに偶然とおもえるチャンスがやってきた。

お酒がおいしくできない原因は除草剤にあるようである。香りを引き出す酵素が除草剤によって阻害されていることを知った。ネットで調べたクミアイ化成工業KKが出している資料では、除草剤は主に植物の生長を司る転移酵素を阻害する物質によって構成されていることを明らかにしている。このことを酒造組合に訴えたところ、彼らの知るところとなり、偶然にも訪問の時に、協同での取り組み開始の電話があった。

宮下さんは、今、会員がやらなければ誰もできないと、岩澤信夫さんと同様に走っていると実感している。

くやまれることは、生前の岩澤さんに会えなかったことである。同じ方向に走っている自分の存在を岩澤さんの死去によって、あらためて認識した。

市民農園のすすめについても、今、宮下さんは中原にある(北原南と呼ばれている地区があった)社会福祉法人まるこ福祉会とんぼハウスに働きかけ、2反歩の田んぼ作りに挑戦させ、子どもたちの昼食からはじめ、父母にできた米を売り、仲間にも売り、障害のある人々にもこの米を食べてもらい、作るのにも参加してもらい元気になる、岩澤信夫さんの遺言の実現に向けての第1歩である。

※上記は、宮下さんに一部修正と補足を加えていただきました、宮下さんからは「岩澤先生と並んだ評価を頂くことは光栄ですが、もう少し落とした表現にてお願い致します」とのコメント等もいただき、宮下さんの考えと少し違う表現もあったようですが、鳥井が感じた宮下さんの思いとして、そのままの文面にしています。

2013.3.15(金)

今井孝さんと訪問、前日、東横インに午後9:00入り、翌日、宮下さんが8:15迎えに来てくれ、11:30には上田駅に案内してくれた。

2013/03/18鳥井追記)

3時間という単時間での訪問を通して得られたこと、岩澤信夫の残した地方塾は各地に波及し、静かな胎動を感じる。長野の山間地や千葉県佐倉市和田地区など水の豊かな土地は縄文の時代からの遺伝子を受け継いで、蘇らせる力が加わっているように感じた。今ががんばり時だと。

【関連するホームページ&ブログ】

自然農場 美ヶ原ベリー園のホームページ  http://www.hnk.jp/jam/

宮下和美「無農薬のススメ」ブログ  http://kuiin.blogspot.jp/