農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

埼玉訪問記続き五十嵐さん・生方さん

2009-05-22 07:20:26 | インポート

五十嵐武志さん森田ゼミ講師 東武動物公園駅近辺

みんなの畑、日本工業大学の学生を対象に自らも森田塾の1期生と言う事でゼミの講師として活躍している。昨年は南房州の平久里(へぐり)むつう整体の前田さんの所で一年いて岩澤信夫さんの自然耕塾生だった。

工業系の大学でありながら菜園や花壇を地元の農家から借りて不耕起栽培を試みたり、大豆や小麦を作り文化祭に生産物を使った料理をふるまったり、花壇作りで地域の人々の心をとらえている。また、上原さんの水田に連れて行きザリガニ取りの体験をしたり、千葉の多古、桜宮自然公園の稲刈りイベントに参加いただいた。紫イネでオニギリを作って文化祭で販売した。また一人一テーマでの課題研究も行っている。

森田研究室は―文武両道―すべての活動に対しても疎かにしないといった考えのもと、人間的暖かみのある農業の周辺にヒントを得る活動をしている。活動の報告書をいただき工業人が将来農業とのふれるきっかけを作っているように感じた。

生活の元となる食、食の元なる農業を日本人として自国の農を大切に考える若者が育っていってほしいと感じた。

生方忠史さん 入間郡尾越生町如意968-94

五十嵐さんの案内してくれた学園の菜園、花壇を離れたのは午後4時頃だったと思うが、それから川越を通って2時間、越生町には6時半、夕暮れ直前であった。有機農業のメッカ、小川町に近くイノシシも出そうな地域に感じた。

2枚で5畝程度の水田、湧水を堰き止めてくみ上げた一枚の水田は粘土が多く湿田であった。美味しい米ができそうである。先のもう一枚は隣の水田所有者から水漏れするから冬の間は水を入れるなと言われかなり乾いていた。

生方さんは地域の方に呼びかけ野菜作りのグループを作り直売場への出荷も試みている。直売をはじめると欠品できないと忙しくなる。また、水道もないので川から水を運んできたり天水に頼るやり方なので雨の少ない時期、種を播いても発芽してくれないと困っているようだった。

自然耕塾オリザ塾、多古の桜宮自然公園、そして今は日本不耕起栽培普及会の事務局への写真、ビデオ担当で通っているが3時間もかけて本当にご苦労様という感じでした。

岩澤信夫さんの塾をきっかけに多くの人が集い、様々なドラマを演じておられる。それぞれの地域のリーダーであることを感じるしだいである。

今回の参加者

澤村榮男、今井孝、横田智泰、鳥井報恩

見学ルート 見沼田んぼ(小林節子)→上原一夫、上原奈都美(2005年)→五十嵐武志(2007年、日本工業大学)→生方忠史(2005年)

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埼玉訪問記続き上原一夫松美さん夫妻

2009-05-21 20:28:00 | インポート

上原一夫さんの不耕起栽培 杉戸町大字椿522

午前中の見沼の田んぼ見学に時間をかけすぎたために30分ほど予定よりずれ込んでしまった。五十嵐武志-宮代楽しい会(みんなの畑)森田塾ゼミ担当の案内で訪問、生方忠史さんも同席

家を取り囲むように水田があり、既に苗出ししてあった。

昨年はザリガニの異常発生で日本工業大学の森田塾ゼミのグループが軽トラック1台分捕獲したそうである。(※冬期湛水の開始が早いほどザリガニ↑ 草の発生↓と思われる)

ヒキガエル、イトトンボなど生き物の活動は豊かである。(※毎年江戸川水系を通じメダカが田んぼで見られる)

上原さんは有機認証にもこだわり片倉チッカリンの味好・みんなゆうきペーストなどの有機肥料を使っている。やさしい稲作りである。夫妻とも兼業農家で祖父母がハウスの管理を行い、近代機器を駆使してハウスの温度は自宅室内で点検できるようにしている。

将来の玄米出荷が増加するのを見越して色彩選別機も300万円で購入されている。また小動物園並に烏骨鶏、チャボ、ガチョウも数羽いて、有精卵のガチョウの卵を記念にいただいた。

(※は上原さんの話)

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埼玉訪問記

2009-05-18 06:57:52 | インポート

田植えで忙しく埼玉訪問記が中途半端でありましたので改めて記載します。今年の多古桜宮公園での田植えは天候の関係で苗の育ちがよく昨日ほぼ終わりましたが遅すぎた感がありました。

埼玉県さいたま市緑区内の見沼田んぼを小林節子さん

村上明夫さんに案内していただく

見沼田んぼは1,260haあるが、実際に栽培されている水田は7%しかない。減反政策や後継者不足などで畑作転換が行われている。湿地としての水田と畑地の植木とで水田に水を入れる、水を入れないで、特に冬期湛水は慣行のイネ栽培農家から、なんの根拠はないが植木が根腐れするから、といやがられている。

しかし、首都圏から25km範囲に一千万トンの貯水池として残されたことは大きい。バブルの頃は東浦和駅近くで坪100万円するのに見沼田んぼ内の水田農地の売買価格は2万円にしかならず、不公平感が高まった。そこで埼玉県や関係者が協議会を作り農家が耕作できなくなった田んぼを公有地として借り上げたり買い上げたりする制度を作った。

この制度で借り上げた公有地の田んぼで、小林さんのグループ(NPO法人見沼じゃぶじゃぶラボ)が不耕起栽培でのお米作りをしている。これらの土地の借り上げ費用は10a当たり8万円は県が見沼環境創造基金(埼玉県&さいたま市が拠出)から農家に支払っている。

ところが農家によってはこれでは安すぎるからと、公有地とした農地を止めて、直接、農家が土地を貸すという事例も出ている。

見沼代用水は享保6年徳川吉宗の時代、利根川大堰を作り82kmの用水路を半年足らずで完成させた。当時の農民のエネルギーは凄いもので今のように重機などない時代であるから凄いと思うし、上流と下流とから同時に工事をはじめて開通させた誤差がほとんどなかったと言われている。建設から300年経った今も現役で利用されている。この頃は幕府が財政難を立て直すために盛んに新田開発を行い、見沼田んぼもその時開削された田んぼです。

NPO法人「見沼保全じゃぶじゃぶラボ」

水=湿地の意味を含んでいる。「海は命の母、湿地は命のゆりかご」

高度成長が始まる前までは、見沼のほぼ全域が田んぼでした。「水っぽかった」わけです。

生き物と田んぼの共存を目指し「不耕起移植栽培」のお米作りを始めました。一緒に活動する人を募集中です。

小林節子さんは自然耕塾2004年の修了生で自宅の二階を開放して、8畳ですがそこで10a分の苗を作っておられる。カメラをセットして定点観察もできるようにしている。

水田での水苗代にも挑戦したそうですが、水田を作った場所が悪く水位を一定に保つことが難しかったそうです。

岩澤信夫さんの不耕起湛水化栽培を何とか定着させたいと努力されております。

昨年はアフリカの陸稲でネリカ米にも挑戦、海外との交流も視野に入れて日本の水利技術-エネルギーを使わない伝統文化の掘り起こしも行っている。

(※本文は小林さんに一部追記修正していただいています)