農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

医食農の統一を考える(6回目)

2007-06-10 09:30:59 | 農を語る

「イトミミズ・ユスリカの養殖で米をつくる」

 岩澤信夫さんは千葉県の台地で大栄町や栗源(くりもと)町はサツマイモの産地であるがこうした台地で立派な農面道路ができているがこの便利なはずの道路がくせもので実際にはダムの働きをしていて排水が悪くサツマイモが湿害を受ける。

 最近では雨が降ると大雨であるが、北総では台地にありながら水が溜まり畑は浸水する。

 佐原の藤崎さんが岩澤信夫さんの指導のもと20年の不耕起移植栽培の実践で湛水化することで10aあたり40キロの米ヌカと米を美味しくする棚倉のミネラル50キロで他の肥料は入れない。

 米ヌカもイトミミズやユスリカに餌をやって小動物を養殖するという感じで水田を管理する。イトミミズの活動が強すぎる場合は、イネの葉の色をみながらその活動を押さえる必要もある。

登熟期の早い千葉の事例

 米ヌカもイトミミズやユスリカに餌をやって小動物を養殖するという感じで水田を管理する。イトミミズの活動が強すぎる場合は、イネの葉の色をみながらその活動を押さえる必要もある。

 3年前10a当たりの米ヌカは100キロで坪当たりの植えつけ株数は50株、1株当たり2~3本であった。「不耕起でよみがえる」に記録が有る。その時の葉色はいつまでも青々していて、不耕起栽培の特徴であると勝手に判断していたが、収穫後の食味計値で蛋白含量が多く、ベロ度計では美味しく感じるのに計測値が70前後で低い。そこで1昨年岩澤さんとの話し合いでこの蛋白含量を引き下げる手段として、蛋白をイネに多く吸収させる、1株当たりの植えつけ本数も4~5本と増やし分げつを減らし未熟粒の比率を押さえた。また坪あたりの株をこれまでの50株植えを60株とした。

 これまでの不耕起栽培の豪快なイネの姿は消えた。米ヌカ40キロ、100キロで他の肥料はやらない。こうなると収穫直前のイネの姿はみじめであった。しかし脱穀して玄米にすると9俵、10俵の数字が出てきた。岩澤さんが予想していたように株数を増やし、1株当たりの本数を増やすことで未熟粒が減った。玄米出荷が増えているなかで2人の決断は正しかった。


医食農の統一を考える(5回目)

2007-04-17 10:18:23 | 農を語る

大型の基盤整備は生き物の環境を壊している

 戦後60年で米づくりも一変してしまった。大型の補助金つきの基盤整備が押し進められ、暗きょ排水設備がとりつけられ水田の期間はたった4ヶ月であとは畑状態にかわる。佐原の藤崎さんの奥さんが嫁に来たときはあの界隈はまだ道路がなく水路を使って行き来していた。昭和38年頃の話である。それが現在では藤崎さんの周辺でも冬乾燥した年には水田の砂まで飛散して砂漠化する状態である。

 水田の1区画も最近の基盤整備は1ヘクタールとか大規模なものを20%を含むように計画されている。そこでは従来あった畦はすべて取り払われ排水路は直線化される。畦は小動物が生活の場にしていて、畦草も小動物が生存する時に何らかの役割を果たしていると思われる。そこで人間の生活の便利さを中心に計画が実行に移され、必要のない農面道路が作られたりする。30年も昔灰谷健次郎さんが沖縄の生活を紹介した本のなかでカニや亀が生きられるために水田の改造も生き物の目で生きていかれる空間を多少とも残すべきであると主張していたが、そのことは現代でも同じことが通用している気がする。

 このことは生き物をツルグレン装置にかけて調べている時代に畦には多様に小動物が生息していることを確かめた。宇根豊さんはトビムシたちを「ただの虫」と名付けたが、水中と畦、畦と周辺の溜池そして里山これらはまとめて生態系をおりなし環境を形成する一員である。


医食農の統一を考える(4回目)

2007-04-04 20:09:56 | 農を語る

不耕起水田は小動物が豊かに生息する環境私が佐原の藤崎さんの水田に始めて訪れたのは2001年の6月8日でその時すでに水田のなかにメダカが多数泳いでいてサヤミドロも一杯であった。当時は湛水技術が導入される直前であったため収穫後の水田はところどころ乾いていてイトミミズやユスリカ以外のトビムシやダニ類、アブの幼虫などツルグレン装置にかけると多種類の小動物が観察できた。これは慣行栽培、あるいは代をかいた無農薬でアイガモを除草に使う水田と比較して生き物の存在は圧倒的に多かった。

 そして佐原の藤崎水田では不耕起で20年、湛水化して4年目であるが不耕起20年の価値は他にない事例であり、尾瀬の湿原湿地のミズゴケで堆積している沼地と比較できるかもしれない。尾瀬の湿地は貧栄養帯であるが、常時水があって生き物がいて、そこにコメヌカと棚倉断層のミネラル(貝化石)(注)が施される。イトミミズやユスリカに秋からコメヌカの餌が与えられる。トロトロ層の形成はこれら小動物の糞である。そしてそのトロトロ層の下には稲株や切りワラ、古い根など有機物が厚く堆積している。

 田植え後の6月には水の色が白濁したり、ことしは紫色に透明に光っている。赤みを帯びた光合成細菌であるかもしれない。我々の目では色の変化しか判らないが様々な微生物の存在を予想できる。今年藤崎水田で消滅したアカウキクサは窒素を合成する共生菌が存在するらしく、繁殖後水を干しあげると窒素肥料として7~10日後にはイネの葉色が濃くなる。有機認証米でも開始して3年は転換期間としているが、不耕起栽培でも美味しくて本当の味がでるのには3年、5年とかかる。


医食農の統一を考える(3回目)

2007-03-25 11:00:35 | 農を語る

東アジアモンスーン気候型は米文化を誕生させた

 学校で教える調理も日本人が身近に食べている魚貝類や海草を主にした食材は使わず、牛乳や動物の肉を素材にした中国料理や西洋料理が中心となる。

 テレビの民放を見ているとコマーシャルが飛び込んできて除菌だ、除臭だ、除虫だ、クリーンだと人間が生き物であることを忘れさせる。日本人の潔癖さを煽り立てる。

 昔ながらの木造建築であれば壁土があって、畳があって適度に湿気を吸収したり、窓を開けて外気を取り入れることで除菌や除臭も簡単にできる。窓を南北に広く取ることで冷暖房施設クーラーなど本来は必要ない。

 東アジアモンスーン気候型に位置する日本は古来から米を主食としてきたし、日本列島は海に囲まれ海産物が簡単に入手できる。

 ところが戦後の日本は学校給食からパン食とアメリカの余剰の牛乳と西洋料理で肉食に転換させられた。それも輸入穀物である。

 医食農住がバラバラにさせられ,細切れに教えられたことを統一的に見られるようになったのは農業高校の教師になって有機的農法にかかわって自然を眺めるようになってからで農薬・除草剤を使わない畑や水田を対象に生き物の調査を行って15年過ぎた頃からである。ツルグレン装置を使い土の中に生息するいきものの比較を行ってきた。ロータリーなどによる機械化農業も生き物とはあいいれない関係にある。そこでは不耕起栽培こそが生き物との共生を可能にしている。


医食農の統一を考える(2回目)

2007-03-11 10:18:05 | 農を語る

胃や大腸は胃カメラで覗けば食習慣のよしあしまで分かる医学分野での研究も人間の体全体を診ることができない医師が多い。胃腸の専門医は胃腸しかみない。眼科の医師は目しか診ない。臓器別医学はとても大切なものを見落としている。中国医学の針灸医の分野は保険診療から長く除外されてきた。このように部分医学に対して最近手にした本で養老孟司のバカの壁と米国アルバート・アインシュタイン医科大学外科教授新谷弘実で「胃腸は語る」である。養老さんは死体を扱っていたが新谷さんは内視鏡、フアイバースコープを使って日本とアメリカの30万例の検査、8万例の手術を通して健康法を書いている。

 生き物として人間をとらえる時、玄米食が必要であるし、玄米はもちろん無農薬・無除草剤が必要である。水も塩素を含まない浄水した水がほしいし小麦粉、砂糖、塩もミネラルを含む精白してないものがよい。せっかく不耕起栽培で米を作るのだからミネラルを含む調理法も考えて食べて欲しい。文献を紹介しておくので後で是非読んでほしい。