農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

新しい年にあてよいお年をお迎えくださあい。

2021-12-28 09:16:33 | 日本不耕起栽培普及会
謹賀新年2022年元旦
年末のこころの時代で今森光彦さんが20歳の頃インドネシアのスランウエシ島の棚田の山で道祖神を見て自分の滋賀県大津市仰木の里山をすぐに連想した。その後蝶々などの生物写真家として活躍された。60歳過ぎて3ヘクタールの土地を入手し大学生や企業に呼びかけ休耕地の再生を行って3年になる。大木のヒノキの木を切ってクヌギを植えた。里山らしさが復活し何10種類の蝶々が飛翔し始めた。環境農家として登録新たな道筋である。千葉の多古桜宮自然公園でも新しいせだいを取り込んで活動を広げていきたい。


今回規模の小さい家族経営とか兼業農家、年金暮らしの私のような研究者?の土を検査する

2021-12-17 10:59:27 | 日本不耕起栽培普及会
今日も冬にふさわしくない大雨でブロブがはかどった。
この2週間で50点ほどの土を集め土壌医のグループの呼びかけに答え千葉、埼玉の上原一夫で動いた。日本不耕起栽培普及会の会員で桑山昌平さんがここ3年土壌医の資格をとり、農地の土の検定を3年がかりで取り組むという話を聞きつけ始めた。柏在住の土壌医の高野典子さんを訪れ、耕さない水田や畑に興味があるということで50点ほどの場所を開けてくれた。そこで多古、香取、金江津、銚子、佐倉、野栄などの私の知人を頼りに12月24日までに集める計画である。写真は多古桜宮と佐倉に小川さんの谷津田の調査採取状況です。

麹・みそづくり、定着する

2021-12-17 10:04:02 | 日本不耕起栽培普及会
悪戦苦闘の歳月であったが理論的なことと現場がマッチして今年は若い人に任せられるようになった。麹はセミナーハウスの脇で煮炊きをして30キロの米を2回に分け、白米と5分づきで行った。発酵機は昨年丸谷さんがヒーターとサーモスタットをセットに手作りしてくれた。あとはこたつ方式と床マットで35℃をキープできるようにした。お米のふかしのポイントはお餅を蒸かすときと同じで手でこねて決める。麹は水分を嫌うので水気を避ける。あとは冷まして40℃で麹菌を散布玄米の場合は白米の2倍量を散布する。麹箱に入れて発酵機で2日半で出来上がる。
みそづくりは近くのふるさと館の施設を借りて6人づつ、2つかにかけておこなう。1日目は12日に行い9時から午後2時には終了した。18日明日残りをおこなう。様々な経験を繰り返し玄米での麹にも理屈が分かるようになった、10年くらいはかかった。今は白米と玄米で味がどのように差があるか栄養価を含め検討したい。写真は12日の参加メンバーです。

開戦80年、私と同じ年に思うこと、1931年満州事変からはじまっていた。

2021-12-08 14:35:38 | 日本不耕起栽培普及会
戦後教育を受けた私の世代以降は現代の政治感覚を正しく教えられないで、古代史で現代を素通りされてしまった。東京新聞の12月7日号で89歳の鈴木賢士氏が過去の自分史と絡めて30年の雑誌記者生活を経て50代で写真家に転身、中国残留孤児や、原爆、沖縄戦など「戦争の後始末をしていない問題」を追いかけてきた。12年前ビデオカメラを買い動画で30本の作品を完成平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞している。鈴木さんは「戦争が始まったのは12月8日ではありません」と強調した。満州事変の発端となった31年の「柳条湖事件」で満州鉄道を爆破し中国東北部を占領した。それから45年まで15年、日本軍は戦争中でした。1945年広島・長崎の原爆を受けたり、過酷な沖縄戦、主要都市の空襲、様々な経験を踏まえての戦後である。平和憲法を獲得できた80年の現在ではあるが私たち一人ひとりが健康で文化的な生活が維持できるために戦争のない社会を再度構築すべき時にきている。
写真は我が家の二階から珍しくきれいに紅葉する紅葉と満開の山茶花です。温暖化のためか月に2回も台風並みの雨が降っている。山茶花、ハゼ、モミジ、小菊などが咲いている。