海岸から30キロは離れている旧干潟町にある里山の山間合いであるがおそらく塩害だと思われるが柿の実が真っ黒に変色してしまった。自宅は海岸から6キロ地点にあるが、自宅周辺のセイダカアワダチソウや榎の葉はすっかり枯れてしまい、近所の農家の大豆やオクラは葉が黒くなり大根、コカブなども植えて間もないものは枯れている。自宅の古いベランダの屋根の波板は今回の台風で飛ばされてしまった。今回の台風は風台風で直接塩害をうけた。
柿の収穫を楽しみにしていたが木になっているまま真っ黒になり、最後12,3個を残し収穫したが皮をむいてみると飴色になっていて食べてみると大変おいしい状態であった。塩味が作用して甘味が増したのかもしれない。
秋冷えの秋雨前線が居座って農作業はできない。うるう年の19年に一度という経験したことのない異常気象の通過時期だろうか?西会津の鈴木二三子さんが数日前テレビで昨年秋から土の温度が上がらない、雪が降らず、夏にはシベリアからの風がふかなかった。いねにとっては厳しい年になると伝えていた。新聞は例年作況指数で全国のコメのとれ高を報道していたが今はない。テレビは牛や豚の料理ばかりを流し、東アジアのモンスーン気候型のわれわらが歴史的に何を主食にしたかのベースを忘れさせている。西洋、アメリカの乾燥地帯の肉食を当たり前のように垂れ流している。
われわれの健康は米と大豆そしてこうじをベースにした発酵文化を守っていけばあとは野菜と海のものを食べていけばいきのびられる。山に広葉樹の木を植え、狭い土地を棚田にしてコメ作りを守ってきた。周りの林が杉ヒノキに限られているのも戦後の植林の政策が誤ったものであったがなかなか修正がむつかしい。とりあえずはコメ作りの基本と大豆の作り方から取り組んでいる。豆塾で岩澤信夫さんが提唱している、へそ曲がりの多収穫技術をためしている。品種は小糸在来、丹波黒、地元のアゼクロである。
アゼクロは佐倉の和田地区で水田の畦周りで育てている大豆であるが1株で1キロの莢がとれた。その土地に適応すれば水と太陽のおかげで力強く育てのである。
夏みかんは普通5月あたりまで木で収穫されるがここ数年収穫を忘れてなりっぱなしで今年は10月まで生らしておいたがこれがそこそこ酸味が抜けて非常に美味しいことを発見、ミカンの外観も成長して木からとる時もしっかりして水水しさもある。ただ中の種子はたまに根を1,2本発芽し始めていることもある。自然の力は偉大である。
先日の富有柿の話であるが渋みが多少あって食べる時期がもんだいになる。後熟が必要である。100個を超える数だからどのように保存するかである。ためしに干し柿と同じように昨日皮をむいて干してみている。少し固めのものを選んで皮をむき1日干した状態、1日のを食べてみたがそこそこいけそうである。表面のかわは干し柿のように固くなく食感はいい。むいた時の皮も再利用したい。