農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

見沼田んぼ訪問記(その1)

2009-04-20 07:20:50 | 日本不耕起栽培普及会

埼玉県さいたま市緑区内の見沼田んぼを小林節子さん

村上明夫さんに案内していただく

見沼田んぼは1,260haあるが、実際に栽培されている水田は7%しかない。減反政策や後継者不足などで畑作転換が行われている。湿地としての水田と畑地の植木とで水田に水を入れる、水を入れないで、特に冬期湛水は慣行のイネ栽培農家から、なんの根拠はないが植木が根腐れするから、といやがられている。

しかし、首都圏から25km範囲に一千万トンの貯水池として残されたことは大きい。バブルの頃は東浦和駅近くで坪100万円するのに見沼田んぼ内の水田農地の売買価格は2万円にしかならず、不公平感が高まった。そこで埼玉県や関係者が協議会を作り農家が耕作できなくなった田んぼを公有地として借り上げたり買い上げたりする制度を作った。

この制度で借り上げた公有地の田んぼで、小林さんのグループ(NPO法人見沼じゃぶじゃぶラボ)が不耕起栽培でのお米作りをしている。これらの土地の借り上げ費用は10a当たり8万円は県が見沼環境創造基金(埼玉県&さいたま市が拠出)から農家に支払っている。

ところが農家によってはこれでは安すぎるからと、公有地とした農地を止めて、直接、農家が土地を貸すという事例も出ている。

見沼代用水は享保6年徳川吉宗の時代、利根川大堰を作り82kmの用水路を半年足らずで完成させた。当時の農民のエネルギーは凄いもので今のように重機などない時代であるから凄いと思うし、上流と下流とから同時に工事をはじめて開通させた誤差がほとんどなかったと言われている。建設から300年経った今も現役で利用されている。この頃は幕府が財政難を立て直すために盛んに新田開発を行い、見沼田んぼもその時開削された田んぼです。

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町田・大蔵田んぼの会訪問記

2009-04-03 19:53:18 | 日本不耕起栽培普及会

町田大蔵田んぼ

320日夕方4時の約束だったが丁度5時だった。

川井ゆかりさんの仲間34人と菅原聡さんが迎えてくれた。

カルガモと小ガモが群れを作って冬期湛水の水田を泳いでいた。

慣行水田2枚、冬期湛水をやる4枚、そして川井さんのグループが管理する大蔵田んぼ2枚、合わせて8枚が区域である。

これまで他に2枚の水田がわきにあったが宅地に変貌しつつあった。

こんなに狭い水田だが鶴川からの農業用水が配管されている都市の農業用水だから富栄養化で肥料はほとんどいらないそうである。

大蔵の田んぼのきっかけは川井さんのお子さんが小学校の頃、菅原聡さんが先生で不耕起水田を始め息子さんが体験発表で総理大臣賞を受けたりしている。

息子さんが卒業した時、先生も転勤した。

その後、水田は保護者が中心に管理するようになり東京農業大学の学生などの協力も得ている。

既に5年の歳月を過ぎているが、カモ、シラサギ、カエルなど生き物豊かな水田である。

都市の中の水田であるから収穫期にはネットを張ってスズメとの競争が絶えない。

◎ まとめて

小金井の武蔵野の中には野川の川沿いにわずかな水田があった。昭和40年代にほとんど消滅した。近くには最後の農家の米が籾でカプセルに入れて保存されている。農家が消滅して米作りの講座には50名も集まってくる。40坪の水田にはびっくりであった。丁度ショボ降る雨の中、コブシ、モクレンの花が咲き春を感じさせてくれた。午後には雨も上がって、途中の公園で昼食を摂る。

ソメイヨシノが開花を明日にも待たされていた。

小川誠さんの五色塾は朝から地主まわりをして疲れ切ってる様子で無理に案内していただいたが、天気が回復してきたら本人もすっかり元気に対応してくれた。

奥さんはドイツ人でシュタイナーの出版物が600冊もあるが、ほとんど読んでいるそうでその影響を受け、息子さんは千葉県でシュタイナーの研修をやっているそうである。

町田の大蔵田んぼ、黄昏の水田でいきなりカモの群れが飛び上がり私達を迎えてくれた。

日帰りの農家まわりは丁度彼岸の休日で車が混雑していた。

運転は澤村さん、ナビは今井さん、コース企画は鳥井でした。P3200370r_2 Dscn0146 Dscn0145