農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

農を語る-過ぎし日の思い出から

2005-06-29 14:38:59 | 農を語る
農を語る-過ぎし日の思い出から 05、6月27日
 市場性のあるものを作るということになると、ある程度農薬の使用は避けられない。農業高校ではそれが当たり前であった。
 ところが幼い頃は農薬など買えない時代を経ているから、そのころの周辺環境は、愛知で育ったが小川も清流で、石組された溝にはサワガニがどこにでもいた。ドジョウやメダカの泳ぐ川が身近であった。
 大学は千葉であったが、千葉の茂原・八積の湿地帯にいくと食虫植物であるモウセンゴケやミミカキグサが自生し、サギソウ、キンラン、ギンランが咲いていた。昭和38、9年、今から43、44年前のはなしである。大学1、2年の頃植物が好きで沼田真さんの植物生態学にかぶれて、銚子の臨海実験場周辺の松林に入ってコドラートを使って植生の調査を行った。この頃の体験があって、農業も生き物と共存できる環境をいつも想定して考えていた。
 教員生活の後半10年ほどは土の中に生息する生き物の観察をしながら無農薬の茶畑にかよったり、無農薬の野菜畑にこだわり生産する人を探し歩いて、そこの土をもらってきてツルグレン装置にかけて、小動物の生息に一喜一憂したものである。
 そのうち転機がやってきた。2001年6月9日佐原にある藤崎芳秀さんの水田を見て驚きであった。メダカが一杯泳いでいた。千葉県ではすでに希少動物の一種に登録されているというのに何故、そこの水田の土を何回かにわけて採取してツルグレン装置にかけてトビムシやダニなどの小動物の存在も観察できた。
 無農薬で除草剤を使わない農法、生き物の生きやすい環境とは不耕起栽培であった。自然林野の木々には改めて肥料や農薬を散布しなくても、下草刈りをしてあげるだけで育つ生態的な考えを生かすことで、土を耕さなくても、肥料を施さなくても米がとれる。
 ただこの間4年ほど佐原の藤崎さんの水田を見つづけていることで、その都度生き物は豊かであるが、その時の優先種が変わったり、マニュアル通りにはいかないことである。 こうした日常に起こっていることを感じたままに語りかけていきたい。ホームページで「農を語る」で語ってきたが、自分での操作が出来ず、娘に頼っていたが、このブログ人が可能になって、とりあえず始めてみようと思う。農業高校の教員を退職して3年目、不耕起栽培の米作りに熱中する私です。