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kan-haruの日記

風景・風物詩(B15) 初詣風物詩 穴守稲荷神社

2007年01月11日 | 風景・風物詩
穴守稲荷(東京都大田区羽田5-2-7)は、川崎大師と多摩川を挟んで対岸の東京国際空港の近くに鎮座しております。7日に川崎大師に初詣の帰りがてらに思いたち、10数年振りに穴守稲荷(地図参照)に足を伸ばしてみました。

穴守稲荷の歴史
穴守稲荷は昔、1804年(文化元年)頃、現在の東京国際空港内の開墾地であった鈴木新田の堤防上の一祠に風浪の害をなくすために稲荷大神を祀ったのが草創であると社史に記されております。
稲荷大神の「稲荷」は「稲実る・稲生る」の意味から、大自然より与えられた生産活動と希望・発展につながり、豊受姫命を祀った穴守稲荷は、商売繁盛・家内安全・心願成就・病気平癒・交通安全・厄除・開運祈祷などがあらかたでした。
1887年(明治20年)頃から参拝客が増えだして、明治27年には和泉茂八が温泉を発見し料亭や旅館が門前に進出したため歓楽地となりました。

1902年(明治35年)には、京浜電車の穴守線(現京急空港線)が蒲田(現京急蒲田)駅から穴守駅(海老取川の手前)まで開通し、参道にはおびただしい数の鳥居と茶店、土産物店などが立ち並び、1913年(大正2年)には穴守駅を海老取川を渡り伸延して穴守稲荷に達して、その発展ぶりは目をみはるほどであったそうです。
穴守稲荷神社は、夏目漱石の「我輩は猫である」にも登場し、「序でだから御三の顔を一寸紹介するが、それはそれはふくれたものである。この間さる人が穴守稲荷から河豚の提灯をみやげに持って来てくれたが、丁度あの河豚提灯の様にふくれている。」。当時は河豚の提灯がお土産だった様です。

戦後の穴守稲荷神社
1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争の終戦により、当時の国営(逓信省管轄)民間航空専用空港東京飛行場が、駐留アメリカ陸軍の管理下に置かれ、ハネダ・アーミー・エアベース(羽田陸軍航空基地)と呼ばれました。同年に行われたアメリカ軍による拡張工事の際は、周辺住人が48時間以内の強制退去を命じられ、言葉通り着の身着のままで追い出されたといわれます。これにより、空港拡張地にあった穴守稲荷も、48時間以内の強制退去を命ぜられ、いったん羽田神社に合祀されたが同年9月に地元崇敬者有志により境内地700坪が寄進され、1948年(昭和23年)仮社殿が復興し、1965 年(昭和40年)には再建されました。

しかし、空港敷地内にあった昭和4年に立てられた、穴守稲荷参道の三の鳥居は、移動させようとすると、ブルトーザーが故障したり、作業員が怪我をしたりして、不可解な事故が続いたため、放置されることになり残されました。
立退きから50年以上経った1998年秋には、赤い鳥居はB滑走路の建設により空港の敷地から弁天橋の近くに移設されました。

穴守稲荷初詣り
川崎大師初詣り後、川崎大師駅前でタクシーを拾い穴守稲荷へと向かいました。穴守(地図参照)には、国道409号を東進し産業道路に出て、左折北進し大師橋を渡り萩中公園入り口交差点で右折し、京急穴守稲荷駅前通りから2つ目の一方通行の通りを左折すると穴守稲荷の東門です。
タクシーを降りて、豊受姫命を祀った本殿を参詣して、お稲荷さんの境内を廻って見ました。境内の中央に立つと正面に拝殿があり、稲荷社であるので狛犬ではなく、狐の神狐像で左が父親狐で、右には子狐をかばう母親狐で1936年(昭和11年)に深川大盛講の奉献のものです。本殿は拝殿の背後にあり稲荷大神を祀ってあります。

拝殿の左には社務所があり、ご朱印を戴いてきました。


本殿右には奥之宮があり千本鳥居をくぐると「お穴さま」とも呼ばれる奥之宮です。穴守稲荷では絵馬と同じように願い事があるときは、鳥居を寄進しました。
古くから伝わる羽田節の一節に、「羽田ではやる お穴さま 朝参り 晩には 利益授かる」とあり、「花柳界、遊郭」の人々に強く信仰され、移転前の穴守稲荷神社には、万を超える鳥居が寄進され、大変な盛況であったといわれています。

・・・奥之宮の千本鳥居(写真拡大)・・・・・・・・奥之宮社殿・・・・・・・お穴さま(写真拡大)

ここの「お砂」を持ち帰り敷地内や玄関に撒いたり、身につけると所願いがかなうと古くから信仰を集めており、移転前には境内近くの海砂を袋に詰め、「お砂様」とか「福砂」と称して売られており、持ち帰って庭先に蒔くと御利益があると信じられていたそうです。
奥之宮の右手奥には、築山があり「築山稲荷」が祀られております。
築山の手前には、縦に様々なご利益を持つたお稲荷様がならんでおり、奥から順に「稲荷大明神」、「出世稲荷社」、「海運稲荷」とその右側には、昔競馬場があった名乗りか「必勝稲荷社」があります。

・・・・・築山(写真拡大)・・・・・・・・・・・・築山稲荷・・・・・・・・・・稲荷大明神(写真拡大)


出世稲荷社(写真拡大)・・海運稲荷(写真拡大)・・・・・・・・必勝稲荷社(写真拡大)

境内中央の背後側には、神楽殿があり節分、初午、例大祭に開放しております。右手には手水舎があります。
久振りの穴守稲荷をお参りして、戦前の幼稚園の頃父親に連れられて穴守稲荷に来た時の微かな想い出として、当時は大きい築山に上ったことと、参道は今の江ノ島のようにさざえのつぼ焼きなどの飲食店などで賑わっていたことなどの遠い昔の記憶があります。
昔の穴守稲荷神社の賑わいの風情については、穴守神社のHPの中の「戦前の穴守稲荷神社」のページに、戦前の穴守神社模型、明治頃の境内全景図、昭和12年頃の境内周辺地図、絵葉書(明治~大正頃)12葉などの貴重な当時の資料が掲載されておりますので、ご参照ください。
また、穴守稲荷神社関連ブログ記事として、明治40年頃東京の山崎染物店の主人が、草津へ湯治に通い、病気が平癒した記念に信仰していた、穴守稲荷を分霊し祀ったと記事(「旅ものがたり(3) 同窓旧友たちの旅 草津温泉(その2) 」)も参照して見てください。

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