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大森町界隈あれこれ(N32) 大森町風景 梅屋敷公園

2006年09月20日 | 大森町界隈あれこれ 風景
京浜急行電鉄大森町駅の南隣の梅屋敷駅から第一京浜国道にでて、蒲田方向に歩くと数分で大田区体育館と対面して梅屋敷公園(蒲田3-25-6)(地図参照)があります。
梅屋敷は、旧東海道の三原通り(「大森町界隈あれこれ(N31) 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)から谷戸(「大森町界隈あれこれ(L32) 大森町の社寺 谷戸三輪神社秋の例祭」参照)、梅屋敷にかけた一体が間(あい)の宿として賑わい、江戸時代の旅人にとって休息地で、和中散を売る店や茶屋が開かれ、大森名物の麦わら細工も密接な関係があります。したがいまして、地域的には大森村に隣接した蒲田地区の蒲田村ですが、梅屋敷公園については大森町界隈の大森町風景としました。

梅屋敷の歴史
梅屋敷(梅屋敷由来説明板)は、1820年(文政)の初め頃、和中散を商い(梅屋敷と和中散売薬所跡 大田区文化財1975年3月19日指定)山本忠左衛門の子孫の久三郎が、街道の両側に跨る約3千坪の庭園に梅を植え、休み茶屋も設けて酒肴をだしたので、遊興や見物人が集まり賑わったと云われてます。花時には、見事で広重の江戸名所百景に画かれております。


この地域は、古くから梅の栽培が盛んで、品質もよく梅干や梅びしを江戸の人に供給されたと云います。
梅屋敷には、徳川将軍家慶が、鷹狩りの途中に立ち寄り、明治天皇や大正天皇が休息され庭園はますます整備されました。
大田区の1988年(昭和63年)「明治天皇と梅屋敷」の説明板によると、梅屋敷には1868年(明治元年)から1897(明治30年)の間に天皇の九度の行幸がありました。天皇はことのほか梅屋敷の風致を好まれ、1873年(明治6年)3月6日のご観梅のときには小梅一株をみずからお手植なされ、この梅は仙粧梅と称されて後に人々に愛されたといわれています。その後、1933年(昭和8年)史蹟として保存指定を受け、1938年(昭和13年)に東京市へ寄付され、現在に至っています。

梅屋敷公園周辺の環境変化
1818年(大正7年)に、京浜国道の拡幅工事のため、公園の東側が削られ縮小されました。また、同じ頃京浜電車が梅屋敷公園の西側を通ることになり、西側も縮小され往時の面影は無くなりました。
1928年(昭和13年)には、東京市に寄贈されて一般公園として公開され、戦後は都から区に移管され区の小公園となりました。
さらに、歴史は繰り返すで今日現在も、京浜急行電鉄の高架化工事( 「大森町界隈あれこれ(P30) 京浜急行 京浜急行の高架化(その1)」参照)で、さらなる梅屋敷公園の西側の削減が行われ、工事が開始しております。
また、第一京浜国道の拡幅工事も開始され、公園の東側も削減されると梅屋敷公園の歴史文化は消える運命にあります。

消え往く梅屋敷公園を見る
昔、栄えた梅屋敷公園には、いろいろな石碑や名残がまだ少し残っておりますので、大森町界隈の歴史の面影が消えない前にと、9月16日に散策しました。
先述のように、梅屋敷公園は京急梅屋敷駅の近くですが、大森町駅から10数分の距離ですので、昔の間(あい)の宿の面影を辿り、常夜灯の置かれていたと云う谷戸や、第一京浜工事と京急高架化工事の状況を見ながら歩いてみました。

梅屋敷近辺(地図参照)には、第一京浜国道を渡り産業通り方向に進むと、堀の内三輪神社と蜜薬院があります。堀の内三輪神社(大森中3-17-15)は、1923年(大正12年)の関東大震災で、常夜灯灯篭が倒壊して破損し、東海道を拡幅して第一京浜国道が建設の時に移転して一時的に安置された神社です(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 堀の内三輪神社」掲載予定)。
蜜乗院(大森中2-17-5)は、大森の乾海苔を1670(宝永)年間に作り出した野口六郎左衛門の墓と、1868年(明治初年)にこの寺で私塾を開き、貴船(現大一)、寄来(現開桜)小学校の校長を歴任した山口琢磨の懐徳碑があります(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 蜜乗院」掲載予定)。

梅屋敷公園は、第一京浜国道に二ヶ所の入口と南側路地入口の三ヶ所があり、第一京浜国道南側の入口には「明治天皇行幸所蒲田梅屋敷」の石碑が建っております。
京急高架化工事前の梅屋敷公園(空中写真)には、昔の名残で梅の木がかなり植えられておりましたが、工事があまり進まないうちに昔の面影を見ておきましょう。
公園の中央には、池があり藤棚の下では風流に尺八を奏でる人や憩いの談笑する人で、公園の潤いを感じました。また、小滝から清流を受ける池があり、梅屋敷に相応しい梅の木も結構あり、古い石碑(石碑1石碑2)も何個か見られました。
また、公園に隣接した大田区体育館弓道場では、何人かの練習風景も見られました。

梅屋敷公園にかかる京急高架化と第一京浜国道工事
しかし、京浜急行電鉄の高架化工事は一部開始されており、閑散であった公園の一部が工事の囲いで無残にも引き裂かれ、その中には多くの梅の木(工事現場内の梅1)が見られました。

さらに、未だ工事が始まっておりませんが、近々第一京浜国道の拡幅工事が始まると、写真で見たのどかな歴史ある公園は、姿を消すのみです。歴史の文化を簡単に抹消するのは、元に戻すことはできないのです。何か、侘びしい思いをしながら帰ってきました。

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