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理解力なき有能性が理解力そのものを凌駕してゆくという

2019-01-09 08:29:55 | 読書ノート
ダニエル・C.デネット『心の進化を解明する:バクテリアからバッハへ』木島泰三訳, 青土社, 2018.

  米国の哲学者デネットの新著。意識とは何か、なぜ意識があることが可能となったのか、を探求する大著である。結論を先に記せば、意識とは脳や神経系の物理的構造によって生み出される「ユーザーイリュージョン」である、ということだ。徹底的に唯物論的な立場であり、心に神秘の存在を認めない。そして、この見解に対して沸き起こるさまざまな疑問を整理してゆく。原書はFrom bacteria to Bach and back: the evolution of minds(2017)である。

  意識は進化のプロセスにおける適応によってチューニングされてきた。多くの生物は自分自身に理由を分かっていなくても、十分に合目的的に行動・作動ができる。著者はこれを「理解力なき有能性」と呼んでいる。動物と人間の間に意識が「ある/ない」と分けられるものではなく、神経系の複雑さに従って段階的に準・意識なるものを想定できる。人間の意識もまたそうなのであり、それは自分の身体や神経系の働きを完全に理解しているわけではない。例えるならばコンピュータのメカニズムは物理的なものだが、ソフトウェアがそれを自覚することができないようなものだという。

  ただし、文化(本書ではドーキンスに倣ってミーム概念が使われる)によって、人間のみがダーウィン的な環境からの脱出ができたとされる。重要なのは言語である。理性・理由なるものは言語をより高度に処理するためにインストールされたソフトウェアだ。ここでニワトリと卵の問題が起きるのだが、言語と人間の脳の共進化の可能性を指摘することで、著者は起源の問題を回避している。そこでのミーム自体が繁殖力を持つという議論はとても興味深く、個人的には心当たりがあって説得される(人生のあらゆる局面でまったく役に立たないのになぜか覚えているCM曲などが思い出される)。

  その後は、意識を実体的なものと考えてしまう人間の傾向についての批判となる。最終章はAIについてである。人間は思考をAIに委ねることによって、現在ある理解力を退化させてしまう可能性がある。したがってAIによって人間が操作されることが懸念される。ただし、AIはまだ自分自身で行動の目的を設定できるほど洗練されていない。AIが道具に留まるよう、社会に分散されて保持されている人間の現在の能力の維持を訴えて締めくくられる。
  
  以上。長いし難しい内容ではあるけれども、面白く読めた。先だって8年前に『ダーウィンの危険な思想』を読んだ際のエントリを見返してみたが、恥ずかしながら全然分かってなかったことがわかる。以降、関連する議論を追いかけてきたこともあって、以前よりは理解できるようになったような気がする。が、完全にわかったというわけではない。本書を読むのに、予備知識として進化生物学の知識は必要だろう。
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