国家権力の差別的行使

沖縄タイムス2007年6月13日

国家権力の差別的行使
    調査の正当性確保に疑問
           吉川 秀樹(大学・大学院非常勤講師、ジュゴン保護キャンペーンセンターメンバー)

 吉川氏は海自を投入して辺野古海岸を調査したことを「武力行使をもいとわない国家権力の威圧以外のなにものでもなかった。」と言い、「沖縄には国家の権力をもって対処し、本土ではその差別的権力の行使を隠蔽する」という日本政府の態度が最悪の形であらわれたと述べている。

 吉川氏は国家を権力の権化のように見ている。吉川氏はジュゴン保護を正としていて国家は悪という風にみている。
 吉川氏は国の行為を批判しているが、国の行為を批判する前に吉川氏は辺野古海岸に飛行場をつくることに賛成か否かをはっきりさせなければ、吉川氏の国に対する批判の根拠が単なる正義の味方が国の不正を正す批判となるだけである。
 
 吉川氏は飛行場建設について賛成か否かを明確にしていない。もし、吉川氏がジュゴン保護の立場から辺野古海岸の飛行場建設に反対であるなら、辺野古海岸調査そのものに反対ではないだろうか。もしそうであるなら「調査の正当性確保に疑問」という批判をやる意味があるのか疑問である。もし、そのような理由で調査に反対であるなら「正当な調査」なら認めるということになり、飛行場建設反対の理由がなくなってしまう。

「沖縄ジュゴンは存在し、辺野古・大浦湾を重要な生息地とする。」
「しかし、早急な絶滅危機に瀕しており、早急な保護が必要とされている。」

という理由で吉川氏は辺野古に飛行場を作ることに反対している。政府はそのことを考慮して陸上V字型案にした。ジュゴン保護の立場なら政府案に賛成するのが妥当である。
 政府は陸側を主張し、名護市や県の方は海側を主張している。ジュゴン保護の立場なら政府より名護や県に抗議するべきである。しかし、吉川氏は政府批判だけである。このような国家憎しの批判のやり方でいいのだろうか。

吉川氏は「事前調査が唯一行うべきことは、政府が基地建設のために破壊しようとしている辺野古・大浦湾のかけがえのない自然破壊の真の姿を、私たちに、そして私たちの子どもたちに伝えることなのだと。それができない事前調査なら即中止されるべくである。」と国を批判している。

 吉川氏は辺野古に飛行場を作ることに反対しているということがこの文章ではっきりと現れている。飛行場を作らないためり事前調査なら正当であるが、飛行場を作るための事前調査なら不正であると言っているのだ。

 政府は飛行場建設をするのを前提として事前調査をしているのである。つまりは自然破壊を前提にしているのだ。自然保護の立場から事前調査を調査を主張している吉川氏とは反対の立場である。自衛隊が調査に参加するとか正当な調査をするとかという問題は本当は吉川氏にとって関係ないということが分かる。吉川氏の本心は飛行場建設に反対であり、国の事前調査はすべて否定しているのだ。

 そうであるなら、ジュゴン保護のために辺野古に飛行場建設を反対する理由を中心に主張するべきではないだろうか。国家権力の差別的行使と感じるのは吉川氏の被害妄想である。
 吉川氏のように国家を敵視するのは今までの大衆運動である。このような運動は国の作業に抵抗したり邪魔したりして国の目的を断念させようとする。
 そのような運動に欠落しているのは日本が民主主義国家であることへの認識である。国は国民選挙で選ばれた議員によって運営されている。大衆運動は国会に影響与える運動を工夫し、議員拡大に連動させていくことである。

 大衆運動は反国家では駄目だ。国家への権力幻想をなくすことだ。「国家権力の威圧」「政府の持つ権力をまざまざと見せつけ」などと見ると国家はまるで国民から離れた独立した生き物のように見えてくる。

 しかし、国家とはそういうものではない。日本は議会制民主主義の国家である。国民が選んだ議員で国家は運営されているのだから過半数論理が基本にはある。
 それに日本は法治国家であり、もっと法治国家を強めていくべきであるし、民主社会に変革していかなければならない。だから自衛隊の事前調査を国家の威圧として見るのではなく、自衛隊の事前調査は法を遵守しているかどうかを問題にし弁護士を交えて研究し、法に違反しているのなら厳重に抗議し裁判闘争に持ちこむべきである。
 違反していなくても自衛隊の行為は民主主義社会で容認できるかどうか研究するべきである。

 このような地道な闘いを基礎にして大衆闘争はやらなければならないと私は思う。大衆運動は民主主義国つくりを常に年頭に置き、思想の広がりを課題にし、理解する議員を増やしていく行動が必要である。ただ昔のように上に改善を訴えるという考えはだめである。

 自民党の長期政権をなさしめている原因はいろいろある。私は日本の大衆運動のあり方もそのひとつだと思う。
 社会党や共産党だけが参加し応援する大衆運動ではなく自民党も巻き込むような大衆運動がない。理由は国家イコール国民を弾圧する権力と見て大衆運動は反国家、反体制の態度が強かった。
 しかし、日本は民主主義国家である。大衆運動は反国家や反体制でやるものではない。要求を国家に反映させる目的でやるべきである。民主主義としての国家、法、権力に対する理解を深めることが大事である。
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