波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

どうする家康浜松大河ドラマ館再び

2023-08-19 02:34:03 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

8月6日の午前は、地元の湖西市内の私が気になっているところを見て廻り、かなりハードなスケジュールとなりました。 そうしたら、午後はゆっくりと休むと思いきや……… には家でゆっくり過ごしてもらい、私にはまだ余力があったので、以前から行く機会を探していた「どうする家康」浜松の大河ドラマ館を訪れることにしました。 この日は天気が不安定で再び雨が降る恐れがあったのですけど、屋内施設の大河ドラマ館なら心配要りません それに、お出かけ日和でないほうが空いていそうですし。

………という思惑で、やって来ましたよ どうする家康浜松大河ドラマ館……… ではなく、その隣接地にある浜松城 いや、正確には大河ドラマ館がある場所も、かつては浜松城の敷地だったところなのですけど。

こちらに波と狛を連れてきたのは、今年の1月15日のこと。 画像は昨年の末の際のものですけど、あの時は「どうする家康」の予習も兼ねて、浜松市内の徳川家康関連の名所旧跡を巡りました。 しかし、その終盤で愛車のMPVが再起不能になって……… ううっ

それはさておき、久しぶりにこちらに来たので、まずは浜松城を散策しましょう 天守門に続く石段を上っていくところに、作業中のオジちゃんのケツが。

築65年にもなる模擬天守は、今回は外から眺めるだけとさせていただきます。 浜松城の最頂部となるこの天守曲輪跡からは………

今夏甲子園初出場を決めた、浜松開誠館高校の校舎がよく見えます。 「ユニフォームがカッコいい 」とか「校歌がポップ」とか何かと話題になり、多くの方にその名前を覚えてもらえたと思います。

さらに、市役所には浜松開誠館高校の垂れ幕が 浜松市内の高校が甲子園に行くのは21年ぶりということもあって、地元はかなりテンションが高かったです。 それと、ヤマハの都市対抗野球大会の準優勝もおめでとうございます。

それらを仰ぎ見ながら、私は本来の目的地のどうする家康浜松大河ドラマ館に入っていきました。 こちらにはプレオープンしていた2月に来て以来で、ずっと再訪する機会を探していました。 果たして、グランドオープンしてからどのように変わったのでしょうか?

入ってすぐのところでは、巨大な松潤家康がお出迎え。 これは以前と一緒ですね。

しかし、そこから先は一変していました。 プロローグの部分には、三方ヶ原の戦いの際に浜松城の出入り口となった出丸のあたりが再現されていました。 跳ね上げ式の門の両脇には、葵の紋ののぼりが立てられ、さらにその先には掘っ建ての見張り小屋 戦場の雰囲気ありありのところを通っていったら………

板垣李光人さん演じる虎松(のちの井伊直政)が初登場した時に着ていた衣装が飾ってありました。 彼は女装して踊っていたのですけど、いきなりアクロバッティングな動きで、徳川家康松本潤)に襲いかかったのですよね。

そんな浜松に侵攻してきた家康に対して、戦う覚悟を決めたお田鶴関口渚)。 彼女が籠城していた引間城から瀬名有村架純)に宛てた手紙も、見ることができました。

さらに、瀬名が自刃する時に使った懐剣もありましたよ 「どうする家康」では、徳川家を守るために瀬名は自らの身を犠牲にしました。 あの時は松潤家康だけではなく、私までも「どうか死なないで 」と叫びたくなりました。

次は、そのシーンで家康と瀬名が着ていた衣装が並べられていました。 瀬名はカニがデザインされている着物だったのですけど、それを選んだのにはしっかりとした理由があったみたいで。 ドラマではそこまでは語られなかったのですけど、奥が深くて衣装係さんの力の入れようも感じました。

三方ヶ原の戦いで、家康を窮地に追い詰めた武田信玄阿部寛)の普段着と戦場での勝負服もありましたよ それらは、信玄が出家したことを表すために、袈裟っぽいデザインにしたそうです。
あとは、三方ヶ原の戦いのダイジェスト映像などがあったのですけど、こちらも改めて観ると奥が深い それと同時に、作り手が真剣に取り組んだことも知ることができました。

こちらの大河ドラマ館も、出口の近くで俳優さんのパネルと一緒に記念撮影をして締めるようになっていました。 阿部寛さん武田信玄は近付きがたい迫力ですけど、並んで撮っておきたいですね。

その隣には、松潤家康と有村瀬名と板垣直政の3人(のパネル)が!今回も私は単独で来たので、彼らの間に割って入ることはできませんでした。 だからといって、知らない方が入り込んでいるのを撮るのはどうかと。 なので、そんな彼らが退散したスキを狙って撮りました。

大河ドラマ館の外には、第25回「はるかに遠い夢」でともに非業の死を遂げた瀬名徳川信康細田佳央太)に対して、多数の感動や感謝、労いなどの言葉が寄せられていました。 そのような中には………

信康さんに自害を思いとどまらせるメッセージがあるのが、なんとも。 信康さん、私も久しぶりにお逢いしとうござります。

とかなんとか言っていたら、信康さん……… ではなく、浜松徳川武将隊本多忠勝井伊直政に行き逢いました。 彼らは、私からの写真のお願いに快く応じてくれました。 大河ドラマ館をざっと見たので、あとは帰るだけ……… と思いきや、実は私にはもう1ヶ所行っておきたいところがあるのですよ ここまで来たら、皆さまもどうか私にお付き合いくださいませ ということで、大河ドラマ館からは歩いて12分程のところにある………

遠江分器稲荷神社にやって来ました こちらの神社は徳川家康が浜松に入った永禄11年(1568年)に創建され、さらに慶長9年(1604年)には、家康の命によって本殿が修築されました。 以後、歴代徳川家将軍や諸大名、浜松城主から崇敬されてきたそうです。

また、徳川四天王の1人の本多忠勝の屋敷が、この神社のあたりにあったとされています。

深みのある拝殿は昭和34年(1959年)に、本殿は昭和31年(1956年)に、それぞれ再建されました。

お稲荷様ということもあって、狛犬ならぬ狛狐に守られているのですけど、金色なのがたまりませんね ところで、キツネは何て鳴くんだい?ご存知の方はいらっしゃるでしょうか? 一般的には「コンコン」と言うことになっていますけど、それを実際に聞いた方はいるのでしょうか?
不安定な天候の中で、私にとっては欲張りで充実した1日となりましたけど、黄金の狐でもって締めさせていただきます。 疑心暗鬼になりながら(?)も、皆さまは最後までお付き合いしてくださり、ありがとうございました。


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