波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

久しぶりの電車旅(小田原編)

2023-08-05 01:05:00 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

個人的な意見かも知れませんけど、夏になったら列車に乗ってふらりと出かけたくなりますよね。 今夏、JRの在来線が乗り放題となる青春18きっぷを手に入れた私は……… というと、行き先のない旅に出るような感じになってしまいますけど、実際には目的地に行くまでの行程を、時刻表などで綿密に調べました。それだけではなく、青春18きっぷも必要に迫られたので買ったのでした。 それはさておき、いよいよその計画を実行する7月23日になりました。

その日は始発列車に乗るために、日の出前から活動を始めました。 を朝ではなく、未明の散歩に連れ出し、手荷物をまとめて………

波たちには申し訳ないのですけど、今回は炎天下の中でワンコが入れないところにも行くので、家で留守番をしていてください。 朝……… いや、未明の散歩は、同行の可否に関わらずやることになっているので、期待していたら謝ります。 そんな彼女らを泣く泣く(?)振り切り………

最寄りの駅から、予定していた始発列車に乗っていきました。 横に長い静岡県内を各駅停車で、さらに向い合わせのロングシートに座るのは苦痛というか、苦行だったのですけど……… 今回は、最近導入された新型の車両の、長旅でも快適な横並びのクロスシートの座席に座ることができました。 それから約2時間後には………

富士川の向こうに富士山が……… 見えない。 ここ数年、私がこのあたりを通る際には必ずといっていいほどその美しい姿を見ることができて、勝率は10割だったのに……… 今日はもうダメだ、ここで帰ることにします。

………なんてことも少し考えたのですけど、その後も列車を乗り継いで、巨大な提灯が出迎える、最初の目的地となる小田原に降り立ちました。 小田原といえば………

やっぱり小田原城ですよ こちらのお城には、横浜でスピッツクラブの展覧会がおこなわれていた頃は、その途中でよく立ち寄っていたのですけど、そのイベントが5年前に途絶えてからはなかなか来る機会がありませんでした。 駅からも復興天守が見えるのですけど、今回は最短距離で行けるお城の裏側からではなく、正面に回るようにします。 それでも歩いて10分程で………

かつて小田原城の正門だった、大手門の跡に行き着きました。 現在は街中に門の石垣の一部が残っていて、その上には鐘楼が建てられています。 さらにその向こうには………

お堀を隔てて、小田原城の二の丸隅櫓が聳えています。 明治以降はこちらには唯一の建物が残されていたのですけど、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊。 その後、土台も建物も規模を縮小して建てられたのが、今日見られるものです。とはいっても、戦前の昭和9年(1934年)に完成したので、かなり風格があります。 そのさらに向こうには、昭和35年(1960年)に建てられた復興天守が見えますね。

そうしたら、いよいよ馬出門から城内に入ります。 平成21年(2009年)に復元されたこちらの門は桝形を形成していて、防御的にも景観的にもお城のアプローチとしても優れています。 さらにその先には………

平成9年(1997年)に復元された銅(あかがね)門が構えられています。 この建物ができてから、私は何回かこちらを訪れたのですけど、内部を見たことはありませんでした。 それが、この日は特別に公開されていたのですよ もちろん、入りますよ

太い梁の表面は手斧で削られていて、かつての工法に則っていました。 それに、床がピカピカになっておられる 皆さまのなかには、向こうに見える人影が気になられる方もいらっしゃるみたいなので、迫ってみます。

そうしたら、なんと小田原評定の様子を人形で再現していました 天正18年(1590年)、豊臣秀吉は15万の大群で小田原を包囲しました。 それに対して、北条氏政氏直親子は合議政治に則り、重臣たちも含めた評定衆によって今後の出方を決めようとしたのですけど、意見が分かれてなかなかまとまりませんでした。 それは3ヶ月にも及んだそうです。
それよりも、この画像をよく見てみたら「小田原評定に参加して写真を撮りましょう 」と薦めているではありませんか そのような意図で、敢えて空席も設けていたのですね。私はそのことを、後になってから知りました。 その時の私に「説明をよく読みなさい 」と言ってやりたいです。

そのあと、私は門の格子戸から外を覗きました。 「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」に出てくるお城博士ちゃんの勧めに従って、お城を守る側の城兵の立場で見てみたら、外を歩いている観光客はスキだらけでした。 こちらから鉄砲で撃たれたら、ひとたまりもありませんね。 いや、これはあくまでも妄想で、実際には撃ちませんけど。

さらに本丸の正面には、昭和46年(1969年)に復元された常盤木門が聳えています。 立派な構えで、存在感がありありですね。 こちらは有料で入れるのですけど、今回はスルーしました。 この門を潜った先には………

本丸跡の広場を隔てて、3層天守としては最大級の復興天守を仰ぎ見ることができます。 そうしたら、せっかくなので………

撮影用のカメラスタンドを使って、自撮りしておきました。 そういえば私が中学生の時に、初めて小田原城を訪れた際には、通りかかったお爺さんにカメラのシャッターを押してもらいました。 「よくわからないけど、撮れたかな?」と言われつつ手渡されたカメラのフィルムを現像してみたら……… お城をバックにした私ではなく、青空が写っていました。

それはさておき、かつての本丸跡は動物園となっていて、ゾウ舎もありました。 そこには、天守が復興される前からインドゾウのウメ子ちゃんがいました。

そこに先代犬のを連れてきたら興味津々で、身を乗り出してウメ子ちゃんに迫っていました。 しかし彼女は14年前に亡くなり、動物の保護の問題などもあって新たなゾウを飼うことができないまま、今日に至ります。

ウメ子ちゃんのことを偲んだら、いよいよ復興天守に入りますよ 小田原城の天守は建物の高さが27.2mもあり、5層の福山城広島城を追い抜き、現在存在している天守のなかでは全国7位の規模を誇っています。

平成28年(2016年)に耐震補強工事と大規模な展示のリニューアルがおこなわれ、見やすくてわかりやすく、興味を引きやすい展示となっていました。 私がこの新生小田原城天守に入るのは、今回が初めてでした。

江戸時代に作られた天守の雛形は、ガラスケースに入れられていました。 これは天守を復興する際には、貴重な史料となったのですよね。

現在の天守は外観は3層ですけど、内部は5階。 その最上階には摩利支天が、これまで納められていたお城型の厨子と一緒に飾られていました。 さらにその外側を廻る回廊からは………

小田原城址公園はもちろんのこと、城下の町並みや相模湾を臨むことができます。 また、その反対側からは………

小田原征伐の際に豊臣秀吉が築いた、石垣山城の跡が見えます。 秀吉は3~4万人を動員して、わずか80日で小田原城を見下ろす標高261.9mの笠懸山に総石垣の城を構築。 その工事は密かにおこなわれ、完成してからまわりの木を伐採したら、小田原城の北条側からは一夜で城が出現したように見えたそうです。 これによって、北条軍は戦意喪失。 やがて降伏することになりました。 あともう1ヶ所、復興天守にはフォトスポットがあったので………

空いているところを狙って、体験してきました 常盤木門のほうでも甲冑の試着体験ができるのですけど、こちらは顔を出すだけで、手軽に記念撮影ができるのですよ お城に来た記念に、皆さまもぜひご体験くださいませ
ついでに寄ったつもりの小田原城で、ついテンションが上がってしまいましたけど、実はこの日の本命はさらにその先にあったのですよ ということで、小田原から再び電車に乗っていき、1時間程で………

私は横浜駅に到着しました。 次の目的地は横浜市内にあるのですけど、何が出てくるのかは次回のお楽しみ(?)とさせていただきます。


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