波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

設楽原の戦い

2023-02-04 01:05:55 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

私たちが訪れた新城市内には、合戦に関するスポットが点在しています。 それらは単品というか、個別販売というような状態なのですけど、1つ1つを歩いて巡っていくと、点と点が線になって、さらに面となり、やがて立体的になっていくように感じます。 ということで、新城市の古戦場巡りの締めとなる今回は、設楽原の戦いをテーマにいたします。
天正3年(1575年)5月16日に岡崎城を出発した織田信長徳川家康の連合軍は、3万8000にも及びました。 そして、その2日後に設楽原に着陣しました。

新城東高校跡の北東の新城市富永西田には、織田信忠の本陣地があります。 信忠は織田信長の嫡男で、彼が布陣したところは、現在は野辺神社の境内となっています。 その場所は小高い丘の上ということもあって、まわりを見回すことができます。 さらにそこから東に2kmほど行ったところには………

徳川家康本陣跡があります。 こちらは八釼神社の境内となっていて、やはり小高い丘で展望が開けています。 そこからまたさらに北東に13分ほど歩いていき………

私たちは連吾川を渡って………

その西側に再現されている馬防柵に差し掛かりました。
織田・徳川連合軍はそのまま長篠城の救援設には向かわないで、設楽原に着陣。 さらに突貫工事で馬防柵の設置を、わずか1日で終えました。

一方の武田勝頼の軍は、長篠城攻めの際には医王寺の裏山に布陣していたのですけど……… 私たちは時間の都合で、そこまで廻ることはできませんでした。この時の軍勢は1万5000。  勝頼は織田と徳川の軍がもたついていると思い込み、5月20日に設楽原により近いあるみ原に陣を移しました。 実は、連合軍は秘かに馬防柵を造って、迎え撃つ準備をしていたというのに………
さらに織田信長は、鳶ヶ巣山砦を奇襲することによって武田勝頼から戦いの主導権を奪い、彼らを決戦の地に呼び込みました。

私たちはより馬防柵に迫りました。
5月21日の早朝に、戦いの火蓋は切って落とされました。 武田軍は鉄砲や矢を射かけて突破口を開きながら、無敵といわれていた騎馬隊で進撃 対する織田・徳川連合軍は馬防柵の背後に控え、3000丁の火縄銃を駆使して応戦しました。

復元された馬防柵は2つほどのタイプがあるのですけど、こちらは北側のほうです。 その持ち場に波と狛を配したら、いい感じで覗き込んでくれました

長篠・設楽原の戦いといえば、連合軍が近代兵器の火縄銃を放ち、武田の騎馬隊が圧倒的にやられたというイメージがあるのですけど、馬場信房内藤昌豊の軍が柵内まで攻め入ったりして、途中までは善戦しました。 しかし、武田の重鎮・山県昌景の死によって、流れが変わったのです 彼が討ち死にして山県隊は崩れ、その影響は武田軍全体に及びました。

今度は南側の馬防柵から、武田軍が攻めてきた方向を見てみました。
武田軍は脆くも崩れ、内藤昌豊土屋昌次といった信玄が大切に育てた最強軍団の名将たちが、露と消えていきました。

古戦場の周辺には、設楽原の戦いで犠牲となった武田の家臣などのお墓が点在しています。 こちらは設楽原歴史資料館に至る坂の下にある、甘利信康のお墓です。 設楽原で大敗した武田勝頼は、残った兵とともに退却し、武節城や伊那路を経て、甲斐に落ち延びていきました。

こちらもまた設楽原歴史資料館の近くにあるのですけど、のちに設楽原の戦いの戦死者を埋葬して、信玄塚と呼ばれる塚が造られました。 この戦では武田軍が10000人、連合軍は5000人が戦死したと云われています。

あ、それから古戦場の周辺には、首洗池という生々しいスポットもあります。 まさに名前の通りなのですけど、こちらの池で戦死者の首を洗ったと云われています。 /現在でも水を湛えているのですけど、池のまわりは厳重に柵で囲まれていて、溺れている人を助けるための竿も備えられています。 やはり、戦死者の霊に引き込まれる恐れがあるのでしょうか?

せっかくなので今回の歴史散策の締めに、新城市設楽原歴史資料館に寄っていきましょう

この地方出身で、幕末の開国に貢献した岩瀬忠震(ただなり)の像を仰ぎ見ながら入っていくと………

館内には、野田城の戦いや設楽原の戦いなどの他に、岩瀬忠震に関する資料も展示されています。 それから、本物の火縄銃も。

あと、徳川家康公(の絵)と一緒に記念写真を撮れるコーナーもあったので、しっかりちゃっかり使わせてもらいました
今回は時間の都合で、織田信長の本陣跡や馬場信房のお墓などは巡ることができなかったのですけど、合戦に関連するところを訪れていったらいろいろな発見があって、私たちにとっては有意義なものとなりました。 これから「どうする家康」で、長篠・設楽原の戦いがどのように描かれるのかも楽しみですね。 そんな私の歴史ネタに最後までお付き合いしてくださり、ありがとうございました。


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