こんばんは、白黒茶々です。
1月中旬頃に、波に初ヒートの現象が起こりました。 その間はなるべく他のワンコと接触しないように外出は避けておとなしくしていたのですけど、ワンコ行事のシーズンオフという状況も相まって、箔波日記のネタのほうも枯渇していきました。 これはイカン なんとかしなければ………
と、私が頭を抱えていたら、「白黒茶々さんには、お出掛けレポートがあるじゃないですか」という神の声が聞こえて……… きたような気がしました。 そうだ 旅に出よう。そう決意したのは、今月の11日の建国記念の日のこと。その頃には、波のヒートは下火になりつつあったのですけど、ワンコが集まりそうもない名所旧跡なら、あまり問題はないでしょう。 そういうことで私はこの機会に、以前から実地調査をしてみたいと思っていた大井川近辺の宿場町を訪れることにしました。
そのような流れで、私が箔や波とともに行き着いたところは………
道の駅掛川にございます。こちらの施設は国道1号掛川バイパスに接しているのですけど、一般道からも出入りできるようになっています。
その建物内では、地元産の採れたての野菜などが販売されていて、たくさんの人で賑わっていました。
その道の駅掛川に繋がっているこちらの道を、北のほうに抜けていくと………
※こちらの道は、下り線のほうからしか出入りできないので、ご注意くださいませ。(編集部注)
日坂(にっさか)宿に至ります。 こちらは旧東海道の品川から数えて25番目の宿場町で、掛川の東のはずれの峠にあります。 私は日坂宿のことは以前から気にはなってはいたものの、どうしても素通りしてしまい、今まで一度も訪れたことがなかったのです。この日は最終的には大井川を渡るつもりなのですけど、ここからスタートすることにします。 実際の宿場町はもう少し後方から始まっているのですけど、こちらの橋を渡ったところからその雰囲気がより濃く出ているのですよ。ということで、さっそくこちらの宿場町に踏み入りますよ
入ってすぐのところで、高札場が私たちを出迎えてくれました。これは、幕府や藩の定めた法令や禁令が書かれた高札が掲げられていたところで、いわゆる厳格な掲示板であります。 その注意書きをすべて読破したら………
いや、読破できたらいいなぁ。 とにかく、先に進みますよ。今度は、より宿場町らしさを感じさせる建物が見えてきましたよ
こちらは川坂屋という旅籠で、嘉永5年(1852年)の日坂宿大火後に再建された建物が今に伝わっています。土日祝日のみ一般に公開されていて、しかも無料なので、遠慮なく内部を見させていただきますよ。
入ったところには土間と板敷きの帳場があって、旅籠の雰囲気がありありでした。 そこを上がっていくと………
「みせおく」の向こうには、一段高くなっている上段の間(二の間)が見えます。川坂屋は一般の旅人が宿泊する旅籠という宿屋なのですけど、身分の高い武士や公家などにも対応する脇本陣的な役割も果たしていたみたいです。
上段の間(一の間)も、障子や欄間の飾りが凝っていて、クオリティーが高いですね。 さらに、ふすまの書は山岡鉄舟や巌谷一六、成瀬大域によるものときたもんだ!
………とテンションを上げてみたのですけど、スミマセン。 あとの二人のことはあまり存じておりません。
二階のふすまにも、著名人の書がありますね。さらに、廊下を隔てた通り側の部屋には、趣のある格子窓が。嗚呼、旅籠の管理人が難色を示しても構わないので、この宿に泊まってみたい。
………とは言ってみたものの、今回の旅レポートをこのような形で仕舞いにさせてはいけないので、次に行きますね。 川坂屋の通りを挟んだ斜め向こう側には、こちらの萬屋(よろずや)があります。この建物も、川坂屋と同じ頃に建てられたと思われます。こちらも土日祝日は開放されているので、お邪魔させてもらいます。
川坂屋が武士なども受け入れる格の高い宿屋なのに対して、萬屋は一般の庶民向けの旅籠でした。 店構えだけではなく、「みせにわ」と呼ばれる土間の向こうの広敷や帳場の感じも、庶民向けといった趣ですね。 その座敷に上がっていったら………
火鉢に当たりながらくつろぐ私の姿が。 こちらは一階の座敷ですけど、宿泊者用の部屋は主に二階のほうにありました。
※白黒茶々さんはそれらしいフリをしているだけで、実際には火鉢に火は入っていません。(編集部注)
さらにその近くには、「藤文」というこちらの建物があります。 江戸時代の終わりに日坂宿の問屋役を務めた伊藤文七の邸宅跡で、彼は明治に入ってからは郵便取り扱い所を自宅に開設したりもしました。「内部のほうも自由にご見学くださいませ」という貼り紙があるので、もちろん入らせてもらいますよ
あれっ、鍵がかかっていて入れませんよ。貼り紙に入れるようなことが書かれているのに。
さらにその先に進んでいったら、こちらの「日坂宿本陣跡」がありました。本陣とは、大名や幕府役人、公家などを対象とした宿泊施設のことで、川坂屋以上に敷地が広く、デラックスでした。 しかし明治以降にその建物は破却され、こちらの門の向こうは広場となっています。
本陣跡からは逆方向になるのですけど、日坂宿の締めにこちら方面で最近有名になりつつある神社をお詣りしておきます。
その神社は、パワースポットとして注目されているみたいで、県内外からたくさんの方が参拝するようになりました。 そういうこともあって、臨時駐車場やこちらの茶屋が新たに設けられていました。気になるそのパワースポットな神社とは………
事任(ことのまま)八幡宮のことです。 その名前は「枕草子」にも記されていて、「思いのままに願い事が叶う」神社として信仰されているそうです。
こちらのご神木となっている大杉は、古代の征夷大将軍こと坂上田村麻呂が植樹したと伝えられています。
ひょっとしたら事任八幡宮のことは私が知らないだけで、太古の昔から有名だったのかも知れませんね。 そういう私がこちらを参拝するのは、20ン年ぶりになります。
では、箔と波を両脇に従えて……… どうか願い事が叶いますように~
ここまできたら、せっかくなので本宮のほうにも行っておきたいですね。 ちなみにその社は、拝殿などがある神社の主要部からは、旧国道1号を隔てた向かい側の山にあります。
ハア、ハア……… すれ違う人たちに気を遣いつつ、この急で幅の狭い石段を登っていくと………
7分ほどで事任本宮の祠が見えてきましたよ こちらのほうは、よりパワースポット度が強いみたいですね。
その登頂を記念して、写真を撮っておきましょう。 箔も波も弱音を吐くことなく、ここまでよく登りきりましたね。 しかし、このあとに大井川のほうにこれ以上にハードなコースを用意して……… おおっと、そのことについてはまだヒミツですよ。
昨年の8月末に、元力士でタレントで俳優の龍虎さんが、家族旅行でこちらを訪れました。しかし、参道を登っている途中に心疾患で倒れ、救急車で市内の病院に搬送されたのですけど、そのまま帰らぬ人となってしまいました。龍虎さんのご冥福をお祈りします。
事任八幡宮を気の向くままに巡拝していたら、13時を回っていました。このままのペースでいったら、この日のうちに大井川を渡るのはとてもじゃないけど、ムリです。 諏訪原城跡、夜泣き石、子育て飴、……… などなど、次の金谷(かなや)宿やそこに至る道には見どころが満載なのですけど、そのあたりは別の機会に訪れることにして、今回は旧島田宿まで一気にワープさせていただきます。
ということで、次回も箔次さんと波多さんの珍道中にぜひともお付き合いくださいませ
「今回の旅のお供は、箔次郎と波三郎なのでは?」と思われた方は、こちらに投票してやってください。
1月中旬頃に、波に初ヒートの現象が起こりました。 その間はなるべく他のワンコと接触しないように外出は避けておとなしくしていたのですけど、ワンコ行事のシーズンオフという状況も相まって、箔波日記のネタのほうも枯渇していきました。 これはイカン なんとかしなければ………
と、私が頭を抱えていたら、「白黒茶々さんには、お出掛けレポートがあるじゃないですか」という神の声が聞こえて……… きたような気がしました。 そうだ 旅に出よう。そう決意したのは、今月の11日の建国記念の日のこと。その頃には、波のヒートは下火になりつつあったのですけど、ワンコが集まりそうもない名所旧跡なら、あまり問題はないでしょう。 そういうことで私はこの機会に、以前から実地調査をしてみたいと思っていた大井川近辺の宿場町を訪れることにしました。
そのような流れで、私が箔や波とともに行き着いたところは………
道の駅掛川にございます。こちらの施設は国道1号掛川バイパスに接しているのですけど、一般道からも出入りできるようになっています。
その建物内では、地元産の採れたての野菜などが販売されていて、たくさんの人で賑わっていました。
その道の駅掛川に繋がっているこちらの道を、北のほうに抜けていくと………
※こちらの道は、下り線のほうからしか出入りできないので、ご注意くださいませ。(編集部注)
日坂(にっさか)宿に至ります。 こちらは旧東海道の品川から数えて25番目の宿場町で、掛川の東のはずれの峠にあります。 私は日坂宿のことは以前から気にはなってはいたものの、どうしても素通りしてしまい、今まで一度も訪れたことがなかったのです。この日は最終的には大井川を渡るつもりなのですけど、ここからスタートすることにします。 実際の宿場町はもう少し後方から始まっているのですけど、こちらの橋を渡ったところからその雰囲気がより濃く出ているのですよ。ということで、さっそくこちらの宿場町に踏み入りますよ
入ってすぐのところで、高札場が私たちを出迎えてくれました。これは、幕府や藩の定めた法令や禁令が書かれた高札が掲げられていたところで、いわゆる厳格な掲示板であります。 その注意書きをすべて読破したら………
いや、読破できたらいいなぁ。 とにかく、先に進みますよ。今度は、より宿場町らしさを感じさせる建物が見えてきましたよ
こちらは川坂屋という旅籠で、嘉永5年(1852年)の日坂宿大火後に再建された建物が今に伝わっています。土日祝日のみ一般に公開されていて、しかも無料なので、遠慮なく内部を見させていただきますよ。
入ったところには土間と板敷きの帳場があって、旅籠の雰囲気がありありでした。 そこを上がっていくと………
「みせおく」の向こうには、一段高くなっている上段の間(二の間)が見えます。川坂屋は一般の旅人が宿泊する旅籠という宿屋なのですけど、身分の高い武士や公家などにも対応する脇本陣的な役割も果たしていたみたいです。
上段の間(一の間)も、障子や欄間の飾りが凝っていて、クオリティーが高いですね。 さらに、ふすまの書は山岡鉄舟や巌谷一六、成瀬大域によるものときたもんだ!
………とテンションを上げてみたのですけど、スミマセン。 あとの二人のことはあまり存じておりません。
二階のふすまにも、著名人の書がありますね。さらに、廊下を隔てた通り側の部屋には、趣のある格子窓が。嗚呼、旅籠の管理人が難色を示しても構わないので、この宿に泊まってみたい。
………とは言ってみたものの、今回の旅レポートをこのような形で仕舞いにさせてはいけないので、次に行きますね。 川坂屋の通りを挟んだ斜め向こう側には、こちらの萬屋(よろずや)があります。この建物も、川坂屋と同じ頃に建てられたと思われます。こちらも土日祝日は開放されているので、お邪魔させてもらいます。
川坂屋が武士なども受け入れる格の高い宿屋なのに対して、萬屋は一般の庶民向けの旅籠でした。 店構えだけではなく、「みせにわ」と呼ばれる土間の向こうの広敷や帳場の感じも、庶民向けといった趣ですね。 その座敷に上がっていったら………
火鉢に当たりながらくつろぐ私の姿が。 こちらは一階の座敷ですけど、宿泊者用の部屋は主に二階のほうにありました。
※白黒茶々さんはそれらしいフリをしているだけで、実際には火鉢に火は入っていません。(編集部注)
さらにその近くには、「藤文」というこちらの建物があります。 江戸時代の終わりに日坂宿の問屋役を務めた伊藤文七の邸宅跡で、彼は明治に入ってからは郵便取り扱い所を自宅に開設したりもしました。「内部のほうも自由にご見学くださいませ」という貼り紙があるので、もちろん入らせてもらいますよ
あれっ、鍵がかかっていて入れませんよ。貼り紙に入れるようなことが書かれているのに。
さらにその先に進んでいったら、こちらの「日坂宿本陣跡」がありました。本陣とは、大名や幕府役人、公家などを対象とした宿泊施設のことで、川坂屋以上に敷地が広く、デラックスでした。 しかし明治以降にその建物は破却され、こちらの門の向こうは広場となっています。
本陣跡からは逆方向になるのですけど、日坂宿の締めにこちら方面で最近有名になりつつある神社をお詣りしておきます。
その神社は、パワースポットとして注目されているみたいで、県内外からたくさんの方が参拝するようになりました。 そういうこともあって、臨時駐車場やこちらの茶屋が新たに設けられていました。気になるそのパワースポットな神社とは………
事任(ことのまま)八幡宮のことです。 その名前は「枕草子」にも記されていて、「思いのままに願い事が叶う」神社として信仰されているそうです。
こちらのご神木となっている大杉は、古代の征夷大将軍こと坂上田村麻呂が植樹したと伝えられています。
ひょっとしたら事任八幡宮のことは私が知らないだけで、太古の昔から有名だったのかも知れませんね。 そういう私がこちらを参拝するのは、20ン年ぶりになります。
では、箔と波を両脇に従えて……… どうか願い事が叶いますように~
ここまできたら、せっかくなので本宮のほうにも行っておきたいですね。 ちなみにその社は、拝殿などがある神社の主要部からは、旧国道1号を隔てた向かい側の山にあります。
ハア、ハア……… すれ違う人たちに気を遣いつつ、この急で幅の狭い石段を登っていくと………
7分ほどで事任本宮の祠が見えてきましたよ こちらのほうは、よりパワースポット度が強いみたいですね。
その登頂を記念して、写真を撮っておきましょう。 箔も波も弱音を吐くことなく、ここまでよく登りきりましたね。 しかし、このあとに大井川のほうにこれ以上にハードなコースを用意して……… おおっと、そのことについてはまだヒミツですよ。
昨年の8月末に、元力士でタレントで俳優の龍虎さんが、家族旅行でこちらを訪れました。しかし、参道を登っている途中に心疾患で倒れ、救急車で市内の病院に搬送されたのですけど、そのまま帰らぬ人となってしまいました。龍虎さんのご冥福をお祈りします。
事任八幡宮を気の向くままに巡拝していたら、13時を回っていました。このままのペースでいったら、この日のうちに大井川を渡るのはとてもじゃないけど、ムリです。 諏訪原城跡、夜泣き石、子育て飴、……… などなど、次の金谷(かなや)宿やそこに至る道には見どころが満載なのですけど、そのあたりは別の機会に訪れることにして、今回は旧島田宿まで一気にワープさせていただきます。
ということで、次回も箔次さんと波多さんの珍道中にぜひともお付き合いくださいませ
「今回の旅のお供は、箔次郎と波三郎なのでは?」と思われた方は、こちらに投票してやってください。
波ちゃん、ヒートだったんですね。
女の子らしい雰囲気でモフモフ感がゴージャスですね!
旅犬としても経験値が増えてきて箔ちゃんとのツーショットも決まってますよ
一緒に旅ができるなんて羨ましいです。
そのうち我が家もチャレンジできるといいけど~
近場から練習かな
波のヒートはもう終わりましたけど、より大人に近付いたでしょうか?その一方で、尻尾の毛の量などは、箔を圧倒しています。 かなり私の趣味につき合わせているのですけど、彼女は私と箔によく付いてきてくれますよ。
ちょっとしたところにワンコと一緒に出かけると、楽しさが増しますよ。 けいママさんのお近くにもいい見どころがあるので、ぜひ挑戦してみてくださいませ。