こんばんは、白黒茶々です。
第99回全国高等学校野球選手権大会(いわゆる甲子園での高校野球の全国大会)は、埼玉県の花咲徳栄高校の優勝でもって幕を閉じましたね。そこに至るまでの白熱した数々の試合、私も楽しませていただきました。 夏の風物詩ともいうべき高校野球は終わり、これから秋に向かっていくところなのですけど、今回の箔波日記は甲子園のネタにさせていただきます。
私のいる静岡県の甲子園出場校は、この10年は同じような強豪校ばかりが名前を連ねていました。 彼らの頑張りを認めつつも、私は「甲子園では初戦で負けてもいいから、久しぶりに『初出場』という新鮮なチームに出てもらいたい」と思っていました。 そのような状況のなかで始まった、今年の大会。静岡県からは、藤枝明誠高校が甲子園出場を決めました。 しかも、初出場です
藤枝明誠とは……… 昭和58年(1983年)に創立された藤枝市の私学校で、私の大学時代の友達のA君の母校でもあります。 しかし、出来たばかりの頃の野球部は弱く、なかなか夏1勝をあげることができませんでした。 それでも、創部7年目にしてようやく地方大会で初戦突破。 ここ数年の間にメキメキと力をつけていき、シード校になったり、秋の東海大会に出場するまでになりました。 さらに、同じ市内の静清高校を甲子園出場に導いた、光岡孝監督が就任。弱い頃から知っていたチームだけに、私にとっても今回の出場はとても嬉しかったです。
しかもその「めいせい」は、あだち充先生の人気野球漫画の「タッチ」の主人公、上杉達也の明青学園とユニフォームが激似!と、地方紙の記事にありました。確かに、白地に濃紺のアンダーシャツ、帽子の「M」や胸文字の「MEISEI」は、漫画そのものですね。 ただし、アニメのほうは黒いアンダーシャツに赤色の文字でしたけど。
できることなら、甲子園での明誠の試合を観たいーーー とはいっても、私が休みを取れる日は限られていますし。 実際に明誠の初戦は開幕日の第4試合(7日の月曜日だからムリ)におこなわれ、6対7で津田学園(三重県)に敗れてしまいました。
それでも甲子園に行って、たまたまやっている試合をスタンドで観戦したり、売店で藤枝明誠グッズを購入したりして、明誠ナインが味わったであろう球場の空気を感じたい。
………と、かなり長くなりましたけど、そのようなワケで私は今夏の甲子園球場に行くことにしました。 そうしたら、次は行く日にちですよね。11日(祝)と20日(日)のどちらかなのですけど、試合が佳境に入る後半は混むだろうからということで、11日に行くことにしました。
そしてその当日、私は始発列車に乗って大阪方面を目指しました。 甲子園球場は、空き始めるであろう午後からの第3試合を目指すとして、まず通天閣に寄ったのは前回の日記の通り。それが済んだら、いよいよこの日メインとなる目的地に向かいますよ。いや、その前に球場のHPで、現在おこなわれている試合の途中経過を見てみましょう。 そうしたら………
「2017年8月11日 6:30 満員通知発表『現在、甲子園球場は満員です。ご入場いただけません。』」 (原文ママ)
というではありませんか しかも、早朝からすでにそのような状態ということに。それでも私は、他の目的もあったので、甲子園に向かうことにしました。大阪環状線で大阪駅まで戻り………
そこから阪神梅田駅で阪神電鉄に乗り換え………、駅の地上部分にある阪神百貨店は、一部はまだ工場中みたいですね。 その駅のホームにもやはり「甲子園球場は現在満席で、入場できません。」という掲示がありました。 2度に渡る忠告にも、動じませんよ。その駅から特急列車に乗って20分ほどで………
甲子園球場の最寄り駅となる、甲子園駅に行き着きました。 こちらの駅は最近全面改修がおこなわれ、混雑時でもより乗り降りしやすくなりました。 また上から見ると、野球ボールのような形の屋根に覆われております。さらに、この駅から3分ほど歩いていくと………
甲子園球場にたどり着きますよ この球場を象徴する蔦は、以前に訪れたときより延びていて、より青々としていました。 昔はコンクリートの外壁➕蔦だったのですけど、現在はレンガ積みの外壁➕蔦なので、おしゃれ度が増しております。
やはり事前の情報の通りで、すべての席のチケットは売り切れとなっていました。 そこに、いつどのくらい再発売されるかわからないチケット目当てに並んでいる人たちがあふれていました。
大会第4日目となるこの日は実力校がたて続けに登場し、締めの試合に優勝候補で地元校でもある大阪桐蔭の出番となるので、このような騒ぎになったと思われます。
それでも、まずはグッズショップに入ることにしましょう。 その時は試合の真っ最中ということもあって、かなり空いていましたよ。
………ということで、目的の藤枝明誠グッズを買ってきました。 今回私が確保したのは、昔から定番の校名ペナント(450円)、各チームのものがデザインされたユニフォームキーホルダー(500円)、部屋に飾っておきたい校名ボール(900円)の3点セットにございます。
次に寄っておきたいところは……… 外野スタンドの外側にある、甲子園歴史館ですよ こちらは試合観戦することができたとしても、入るつもりでいました。以前にからあった小規模な展示スペースが、球場の改修にともなってパワーアップしたみたいですね。そうしたら、入場料の(大人)600円を払って………
展示の初っぱなで、松井秀喜氏のいた星稜高校と松坂大輔氏のいた横浜高校のユニフォームが出迎えてくれましたよ
その左側の壁には、甲子園に出場したことのある高校の名前が記されたボールが埋め込まれていました。 馴染みのある地元の高校のものが見つかったら、なんか嬉しかったです。
さらに、決勝戦で延長18回を投げぬいた太田幸司氏の三沢、江川卓氏の作新学院と黒潮打線の銚子商との対決、バンビ坂本の東邦、ドカベン香川の浪商のユニフォームや、甲子園を沸かせた名勝負の展示や映像もありました。
私たちの世代では、沖縄水産が沖縄県の常連校でした。 そのチームを率いて、2年連続準優勝に導いた名将・栽弘義監督のユニフォームもありましたよ。これらを見ていたら、時空を越えて球場の熱気が伝わってくるようでした。 それから、映像コーナーなどを経て………
改修前のベンチなどを使って、ダッグアウトを再現したコーナーがあったので、そこに座って監督の気分を味わってみました。
続いては、阪神タイガースゾーンですね。 こちらには、歴代のユニフォームはもちろんのこと、昭和60年(1985年)に球団初の日本一に輝いたときの映像もありました。あの時の感動と興奮を味わいたい方は、こちらにお越しくださいませ
次の展示スペースに通じるバックスクリーン裏の通路には、今大会に出場している一部の高校のユニフォームや、これまでに甲子園でおこなわれた大会のトーナメント表がありました。 静岡県では、昭和53年(1978年)のセンバツ大会で浜松商が優勝したことが語り継がれています。
さらに「ドカベン」、「ナイン」、「ROOKIES(ルーキーズ)」、「ラストイニング:私立彩珠学院高校野球部の逆襲」、………といった甲子園を舞台にした漫画の中に、「タッチ」もありましたよ
これらの名シーンが散りばめられた壁面を見つつ、通路を抜けていったら………
企画展示コーナーで、豪速球を投げる私がいました。 名付けて、大リーグボール@〒¥△☆とでもしておきましょうか? 打てるものなら、打ってみろ とはいっても、トリックアートですけど。
それだけではなく、組み合わせ抽選会で実際に使われた全出場校のパネルもありました。 こちらでは、そのパネルを使って自由に記念撮影することができるのですよ もちろん私は、藤枝明誠のものを手にしました。ただし、かぶっているのは母校の新居高校のものですけど。
実はそれとは別に、とっておきのものがこのコーナーの最深部にあるのですよ 私がこの歴史館で最もやりたかった、そのものとは………
ドラフト体験コーナーですよ こちらでは、専用の紙に必要事項を書いてスタッフに渡せば、それらのデータを入力してもらい、ドラフト会議での指命の疑似体験をすることができるのですよ
「第⚪回選択希望選手、北海道日本ハムファイターズ、加藤⚪⚪(私の本名)、捕手、新居高校」
………というアナウンスはないのですけど、やっぱり意中の球団にこのように指命してもらえたら、嬉しいです。
甲子園歴史館は、展示内容が充実しているうえに、撮影スポットも設けられていて、さらに常駐のスタッフがカメラで写してくれたり丁寧に説明してくれたりと、至れり尽くせりでした。 しかし試合の真っ最中だからかも知れませんけど、私が思っていたよりは空いていて、外ではスタッフが懸命に来館の呼び掛けをしていました。
また、その付近では「ただ今『外野スタンドウォーク』をやっています。席に座っての観戦はできないのですけど、外野の通路を通って出てくるようになっています」という呼び込みもあったので、せっかくなので私もそれに加わることにしました。 ということで、その行列と思われるところに列び、ひたすら待ちました。
その間に、ときおり球場内から大歓声が聞こえてきました。「試合に動きでもあったのか?」と思い、スマホで速報を見てみたら、ホームランが出たところでした。 現在は、第3試合の真っ最中。興南(沖縄県)が序盤に6点を取ったものの、智弁和歌山(和歌山県)がじわりじわりと追い上げていく展開となっていました。 嗚呼、ひと目でもいいからその続きを観たい。
しかし、その行列は最初は少し動いたものの、あとはいくら待ってもウンともスンとも言わなくなってしまいました。 「もう限界 」さすがの私も、1時間ほどでギブアップしてしまいました。その行列を出てから、誘導員の案内を聞いてみたら「次の試合が始まるときに、多少の入れ替わりがあるかも知れないから、それを待っている列です」なんと、いつの間にか行列の目的が変わっていました。
甲子園球場に行ってスタンドに入れなかったことは、今まで1度もありませんでした。この日の観客動員数は、4試合すべて満員の4万7千人だったのですけど、私のように球場の外にあふれている人も加えたら、5万人は超えていたでしょう。 お盆休みの前半に、好カードが組まれているなどの条件が重なって、このような事態になったと思われます。甲子園は来る度に入りにくくなっているので、これからは対策を考えなければなりませんね。 満員御礼はそれから数日続いたのですけど、お盆休み後半頃から空き始め、私があえて避けた準々決勝のある20日には、空席も見られるようになっていました。結果論なのですけど、その日にしておけばよかったです。
………とはいっても、甲子園歴史館でキャッキャしていたのも、また事実。 それなりに楽しむことができましたし、スタンドの外にも試合の熱気は充分に伝わってきたので、ここはヨシとしておきましょう。
「『大リーグボール@〒¥△☆』って、何て読むのだろうか?」と悩まれている方は、こちらに投票してやってください。
第99回全国高等学校野球選手権大会(いわゆる甲子園での高校野球の全国大会)は、埼玉県の花咲徳栄高校の優勝でもって幕を閉じましたね。そこに至るまでの白熱した数々の試合、私も楽しませていただきました。 夏の風物詩ともいうべき高校野球は終わり、これから秋に向かっていくところなのですけど、今回の箔波日記は甲子園のネタにさせていただきます。
私のいる静岡県の甲子園出場校は、この10年は同じような強豪校ばかりが名前を連ねていました。 彼らの頑張りを認めつつも、私は「甲子園では初戦で負けてもいいから、久しぶりに『初出場』という新鮮なチームに出てもらいたい」と思っていました。 そのような状況のなかで始まった、今年の大会。静岡県からは、藤枝明誠高校が甲子園出場を決めました。 しかも、初出場です
藤枝明誠とは……… 昭和58年(1983年)に創立された藤枝市の私学校で、私の大学時代の友達のA君の母校でもあります。 しかし、出来たばかりの頃の野球部は弱く、なかなか夏1勝をあげることができませんでした。 それでも、創部7年目にしてようやく地方大会で初戦突破。 ここ数年の間にメキメキと力をつけていき、シード校になったり、秋の東海大会に出場するまでになりました。 さらに、同じ市内の静清高校を甲子園出場に導いた、光岡孝監督が就任。弱い頃から知っていたチームだけに、私にとっても今回の出場はとても嬉しかったです。
しかもその「めいせい」は、あだち充先生の人気野球漫画の「タッチ」の主人公、上杉達也の明青学園とユニフォームが激似!と、地方紙の記事にありました。確かに、白地に濃紺のアンダーシャツ、帽子の「M」や胸文字の「MEISEI」は、漫画そのものですね。 ただし、アニメのほうは黒いアンダーシャツに赤色の文字でしたけど。
できることなら、甲子園での明誠の試合を観たいーーー とはいっても、私が休みを取れる日は限られていますし。 実際に明誠の初戦は開幕日の第4試合(7日の月曜日だからムリ)におこなわれ、6対7で津田学園(三重県)に敗れてしまいました。
それでも甲子園に行って、たまたまやっている試合をスタンドで観戦したり、売店で藤枝明誠グッズを購入したりして、明誠ナインが味わったであろう球場の空気を感じたい。
………と、かなり長くなりましたけど、そのようなワケで私は今夏の甲子園球場に行くことにしました。 そうしたら、次は行く日にちですよね。11日(祝)と20日(日)のどちらかなのですけど、試合が佳境に入る後半は混むだろうからということで、11日に行くことにしました。
そしてその当日、私は始発列車に乗って大阪方面を目指しました。 甲子園球場は、空き始めるであろう午後からの第3試合を目指すとして、まず通天閣に寄ったのは前回の日記の通り。それが済んだら、いよいよこの日メインとなる目的地に向かいますよ。いや、その前に球場のHPで、現在おこなわれている試合の途中経過を見てみましょう。 そうしたら………
「2017年8月11日 6:30 満員通知発表『現在、甲子園球場は満員です。ご入場いただけません。』」 (原文ママ)
というではありませんか しかも、早朝からすでにそのような状態ということに。それでも私は、他の目的もあったので、甲子園に向かうことにしました。大阪環状線で大阪駅まで戻り………
そこから阪神梅田駅で阪神電鉄に乗り換え………、駅の地上部分にある阪神百貨店は、一部はまだ工場中みたいですね。 その駅のホームにもやはり「甲子園球場は現在満席で、入場できません。」という掲示がありました。 2度に渡る忠告にも、動じませんよ。その駅から特急列車に乗って20分ほどで………
甲子園球場の最寄り駅となる、甲子園駅に行き着きました。 こちらの駅は最近全面改修がおこなわれ、混雑時でもより乗り降りしやすくなりました。 また上から見ると、野球ボールのような形の屋根に覆われております。さらに、この駅から3分ほど歩いていくと………
甲子園球場にたどり着きますよ この球場を象徴する蔦は、以前に訪れたときより延びていて、より青々としていました。 昔はコンクリートの外壁➕蔦だったのですけど、現在はレンガ積みの外壁➕蔦なので、おしゃれ度が増しております。
やはり事前の情報の通りで、すべての席のチケットは売り切れとなっていました。 そこに、いつどのくらい再発売されるかわからないチケット目当てに並んでいる人たちがあふれていました。
大会第4日目となるこの日は実力校がたて続けに登場し、締めの試合に優勝候補で地元校でもある大阪桐蔭の出番となるので、このような騒ぎになったと思われます。
それでも、まずはグッズショップに入ることにしましょう。 その時は試合の真っ最中ということもあって、かなり空いていましたよ。
………ということで、目的の藤枝明誠グッズを買ってきました。 今回私が確保したのは、昔から定番の校名ペナント(450円)、各チームのものがデザインされたユニフォームキーホルダー(500円)、部屋に飾っておきたい校名ボール(900円)の3点セットにございます。
次に寄っておきたいところは……… 外野スタンドの外側にある、甲子園歴史館ですよ こちらは試合観戦することができたとしても、入るつもりでいました。以前にからあった小規模な展示スペースが、球場の改修にともなってパワーアップしたみたいですね。そうしたら、入場料の(大人)600円を払って………
展示の初っぱなで、松井秀喜氏のいた星稜高校と松坂大輔氏のいた横浜高校のユニフォームが出迎えてくれましたよ
その左側の壁には、甲子園に出場したことのある高校の名前が記されたボールが埋め込まれていました。 馴染みのある地元の高校のものが見つかったら、なんか嬉しかったです。
さらに、決勝戦で延長18回を投げぬいた太田幸司氏の三沢、江川卓氏の作新学院と黒潮打線の銚子商との対決、バンビ坂本の東邦、ドカベン香川の浪商のユニフォームや、甲子園を沸かせた名勝負の展示や映像もありました。
私たちの世代では、沖縄水産が沖縄県の常連校でした。 そのチームを率いて、2年連続準優勝に導いた名将・栽弘義監督のユニフォームもありましたよ。これらを見ていたら、時空を越えて球場の熱気が伝わってくるようでした。 それから、映像コーナーなどを経て………
改修前のベンチなどを使って、ダッグアウトを再現したコーナーがあったので、そこに座って監督の気分を味わってみました。
続いては、阪神タイガースゾーンですね。 こちらには、歴代のユニフォームはもちろんのこと、昭和60年(1985年)に球団初の日本一に輝いたときの映像もありました。あの時の感動と興奮を味わいたい方は、こちらにお越しくださいませ
次の展示スペースに通じるバックスクリーン裏の通路には、今大会に出場している一部の高校のユニフォームや、これまでに甲子園でおこなわれた大会のトーナメント表がありました。 静岡県では、昭和53年(1978年)のセンバツ大会で浜松商が優勝したことが語り継がれています。
さらに「ドカベン」、「ナイン」、「ROOKIES(ルーキーズ)」、「ラストイニング:私立彩珠学院高校野球部の逆襲」、………といった甲子園を舞台にした漫画の中に、「タッチ」もありましたよ
これらの名シーンが散りばめられた壁面を見つつ、通路を抜けていったら………
企画展示コーナーで、豪速球を投げる私がいました。 名付けて、大リーグボール@〒¥△☆とでもしておきましょうか? 打てるものなら、打ってみろ とはいっても、トリックアートですけど。
それだけではなく、組み合わせ抽選会で実際に使われた全出場校のパネルもありました。 こちらでは、そのパネルを使って自由に記念撮影することができるのですよ もちろん私は、藤枝明誠のものを手にしました。ただし、かぶっているのは母校の新居高校のものですけど。
実はそれとは別に、とっておきのものがこのコーナーの最深部にあるのですよ 私がこの歴史館で最もやりたかった、そのものとは………
ドラフト体験コーナーですよ こちらでは、専用の紙に必要事項を書いてスタッフに渡せば、それらのデータを入力してもらい、ドラフト会議での指命の疑似体験をすることができるのですよ
「第⚪回選択希望選手、北海道日本ハムファイターズ、加藤⚪⚪(私の本名)、捕手、新居高校」
………というアナウンスはないのですけど、やっぱり意中の球団にこのように指命してもらえたら、嬉しいです。
甲子園歴史館は、展示内容が充実しているうえに、撮影スポットも設けられていて、さらに常駐のスタッフがカメラで写してくれたり丁寧に説明してくれたりと、至れり尽くせりでした。 しかし試合の真っ最中だからかも知れませんけど、私が思っていたよりは空いていて、外ではスタッフが懸命に来館の呼び掛けをしていました。
また、その付近では「ただ今『外野スタンドウォーク』をやっています。席に座っての観戦はできないのですけど、外野の通路を通って出てくるようになっています」という呼び込みもあったので、せっかくなので私もそれに加わることにしました。 ということで、その行列と思われるところに列び、ひたすら待ちました。
その間に、ときおり球場内から大歓声が聞こえてきました。「試合に動きでもあったのか?」と思い、スマホで速報を見てみたら、ホームランが出たところでした。 現在は、第3試合の真っ最中。興南(沖縄県)が序盤に6点を取ったものの、智弁和歌山(和歌山県)がじわりじわりと追い上げていく展開となっていました。 嗚呼、ひと目でもいいからその続きを観たい。
しかし、その行列は最初は少し動いたものの、あとはいくら待ってもウンともスンとも言わなくなってしまいました。 「もう限界 」さすがの私も、1時間ほどでギブアップしてしまいました。その行列を出てから、誘導員の案内を聞いてみたら「次の試合が始まるときに、多少の入れ替わりがあるかも知れないから、それを待っている列です」なんと、いつの間にか行列の目的が変わっていました。
甲子園球場に行ってスタンドに入れなかったことは、今まで1度もありませんでした。この日の観客動員数は、4試合すべて満員の4万7千人だったのですけど、私のように球場の外にあふれている人も加えたら、5万人は超えていたでしょう。 お盆休みの前半に、好カードが組まれているなどの条件が重なって、このような事態になったと思われます。甲子園は来る度に入りにくくなっているので、これからは対策を考えなければなりませんね。 満員御礼はそれから数日続いたのですけど、お盆休み後半頃から空き始め、私があえて避けた準々決勝のある20日には、空席も見られるようになっていました。結果論なのですけど、その日にしておけばよかったです。
………とはいっても、甲子園歴史館でキャッキャしていたのも、また事実。 それなりに楽しむことができましたし、スタンドの外にも試合の熱気は充分に伝わってきたので、ここはヨシとしておきましょう。
「『大リーグボール@〒¥△☆』って、何て読むのだろうか?」と悩まれている方は、こちらに投票してやってください。
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