波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

田原市の廃校3連発

2024-03-09 02:51:01 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はとともに愛知県の渥美半島の大半を占める田原市に来ています。 その先端にあって、人気スポットでもある伊良湖岬道の駅をあとにした私たちは………

フェリー乗り場から東に3km程行った少し小高いところにある、田原市立伊良湖小学校 ………の跡にやって来ました 敷地の東側に設けられた校門は、以前と変わらない、と思われるのですけど………

近所の方のものであろう車が止まっておられる これでは、廃校の雰囲気が壊れ……… いや、かえって今は学校として使われていないことを表していますね。

その校庭跡には、校訓が刻まれた石碑が残されていました。 伊良湖小学校は明治11年(1878年)に、帰命寺内に創立しました。 のちに渥美町立伊良湖小学校となり、市町村合併によって名前は田原市立伊良湖小学校に変わりました。

校訓碑のまわりには、かつて学校内に置かれていたと思われる他の石碑モニュメントなどが、無造作に置かれていました。 こちらの学校は、平成27年(2015年)に堀切小学校和地小学校と統廃合し、古いほうの伊良湖岬小学校に集約されたことによって閉校してしまいました。

その後、校舎の大半は解体されてしまい………

グラウンドも含めると、だだっ広い空間となっています。 現在は地の利を活かして、災害時の避難地として使われているみたいです。

その一方で、体育館は残されました。 この手の建物は多目的に使えるので、学校が閉校しても取り壊しを免れるケースが多々あります。

校庭には松ぼっくりが落ちていたのですけど……… 編集長さん、どうしても今ここでコレをやらなければならないのでしょうか? 伊良湖小学校跡の現状の調査を終えた私たちは、次の目的地に向かいました。 しかしそこにはまだ、学校のシンボルでもあったミニ灯台「たはらしの巨木・名木100選」に認定されたクロマツ糟谷磯丸みがきみよ歌碑などがあったことを後になってから知って、私は沈みました。
そのようになることとは露知らず、勢いに乗った私はそこから13km程北東の方向に走っていき………

田原市立泉中学校跡に行き着きました はい、こちらは中学校の廃校であります。

先ほど訪れた伊良湖小学校とはうって変わって、こちらの学校は校舎などの建物は手付かずとなっていました。

泉中学校は、昭和22年(1947年)に創立しました。 しかし、令和3年(2021年)に赤羽根中学校と統合したことによって、閉校してしまいました。

学校としての役割を終えてから、あまり経っていないからでしょうか?こちらはほとんど廃墟感がありませんでした。

しかも花壇は手入れされていて、花が咲いていますし。 そういえば、校門のところの花壇にも花の苗が植わっていたような。
さらに体育館の中からは、人が運動している音が聞こえていました。 あと、校舎に掲げられた時計の時刻も合っていますし。 実は、こちらの中学校が閉校したという情報はウソだったのでは ………なんて思ってしまいましたけど、ネットで調べたら、たくさんの人の手によっておこなわれた閉校記念イベントの記事が出てきました。

泉中学校は、卒業生や地域の人々の心の中にはずっと残っているのですね。 一方、学校の施設は現在は他の目的で使われているみたいです。 そのことに安心した私は、体育館横のトイレを……… もちろん、先に水が流れるか確認しましたよ ………使わせてもらってから、さらなる廃校を目指していきました。

………って、次の目的地がどのようなところなのか、先に言ってしまいましたね。 とにかく、私たちは泉中学校跡からは東に7km程行ったところにある、田原市立野田中学校跡にやって来ました こちらの学校は、昭和22年(1947年)に創立しました。

「明朗 勤勉 奉仕」と石碑に刻まれた校訓も、そのままですね。 しかし少子化の影響もあって、平成28年(2016年)に田原中学校と統合することになり、閉校してしまいました。

それでも令和元年(2019年)の秋からは、学校の施設は田原市ふるさと教育センターとして活用されています。

そのグラウンドでは、少年たちが野球の指導を受けていました。 なので、私たちは彼らの邪魔にならないところで写真を撮りました。

校舎の裏側にあるこちらの建物は、柔剣道場サブ体育館といったトコでしょうか?

こちらのドーム型で斬新で立派な施設は、メインの体育館みたいですね。 完成してから間もないように見えますけど………

平成18年ということは……… 築8年になりますね。 ま、まあ、新しいといえば新しいです。 こちらの中学校跡も、新たな市の施設として活用されていることもあって、廃墟感はありませんでした。 そうしたら、ふるさと教育センターはどのようなものなのか? その実態に迫って……… ぐ、カギがかかっていて中には入れません。 その名前から、私は郷土資料館のようなものをイメージしていたのですけど、常に開放されているというワケではないみたいです。

建物の内部は見学できなかったのですけど、その敷地内には私が気になるものが屋外展示されている。 ………ということを、後になってから知りました。 それは、戦時中に豊橋市の海軍航空基地(大崎海軍飛行場)から飛び立ち、仁崎の海岸に墜落した戦闘機のプロペラとエンジンで、海から引き揚げられた戦争の遺物であります。 しっかりと下調べをしておけば………

それはさておき、野田中学校跡をあとにした私たちは、田原市の中心部に入っていきました。 予定より遅れていて、その時点で15時をまわっていたのですけど、できたらあと3ヶ所巡りたいです。 果たして、私たちは日没までにミッション(?)をクリアすることができるのでしょうか? ということで、田原市の散策シリーズのラストとなる次回に続きます。


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