こんばんは、白黒茶々です。
真夏に突然巻き起こった洞穴(マイ)ブームのまっただ中にいる私と波は、次の目的地を目指して愛知県から本坂トンネルを経て、静岡県側に入っていきました。
その浜松市北区三ヶ日町の国道362号線沿いには………

旧三ヶ日町立西小学校日比沢分校がありました。
日比沢分校は、明治31年(1898年)に西浜名村立西浜名尋常高等小学校日比澤分教場として開設されました。
昭和25年(1950年)に建造された木造平屋の校舎は、昭和44年(1969年)に閉校したあとも残っていて、町工場に転用されていたのですけど………

この日久しぶりに訪れたら、その建物は跡形もなくなっていました。

あれっ
確かこの場所でしたよね。数年前にはまだあって、次にこちら方面に来る機会があったら、スピッツを連れてきて、分校校舎をバックにして昭和のノスタルジックな風景を撮りたかったのに、まさかこのようなことになっていたなんて………
これは、昭和の廃校(マイ)ブームの前兆なのでしょうか?とにかく、学校としての役割を終えた建物はいつ姿を消すのかわからないので、近いうちに巡ってみようと思います。

そのような中でも、二宮金次郎像はまだ健在でした。
こちらの像は、戦前は銅製だったのですけど、戦時中の金属供出によってコンクリート製になったそうです。

それでもこの金次郎さんは、こちらがかつて分校だったということを伝える証人でもあるので、これからもこの場所に居続けてもらいたいです。
ただし、夜に勝手に無表情のまま動き出すっていうのだけは、やめてくださいよ。

その廃校から近いといえなくもない浜松市北区三ヶ日町の釣地区の道の脇には、このような案内看板が設置されています。
その矢印に誘惑されて、入っていくと………

(釣)西山古墳群の案内板と、少しばかりの見学者用の駐車スペースがありました。
それらの他にも、すぐ手前の岩場は古墳の残骸とのことですけど、これは石室の石なのでしょうか?

ここから目的地の西山古墳までは、歩いていきます。
まわりは現在みかん畑となっていますね。いうまでもなく、こちらは三ヶ日みかんの産地でもあります。

そのみかんの木をかき分けるようにして………
もしそれらが実っている時季に訪れていたら、私の悪い手が美味しそうなみかんを失敬する恐れがあります。
もしその現場を押さえられたとしたら、何を聞かれても言い訳などしないで「みかん
」と答えるようにします。

………なんて妄想をしているうちに、西山古墳にたどり着きましたよ
大木が生え、古い案内看板がある小さな丘が、その古墳です。こちらの古墳は、7世紀に築造されたと推定されていて、直径14,5m、高さ4,5mの円墳であります。
さらに、その中腹には………

石室に入れる穴が開いているのですけど……… 羨道は土砂で埋まっていて、その天井石が1ヶ所だけ外されていて、そこから入れるようになっています。それにしても、私が思っていたよりはかなり狭く、這う姿勢でいかなければ通過できませんよ。さらにその先は漆黒の闇となっていて、さすがの私でも少し躊躇してしまいました。
波も不安そうですし。
こうなったら………

思い切って入ってしまいましょう
入口というか、侵入路のあたりは土砂が堆積しているのですけど、奥に行くほど広くなっていました。
ただし中は真っ暗で、カメラのストロボかスマホのモバイルライトで照らして、ようやく石室の石積みの様子を観察することができました。

そんな私に波ちゃも付き合わされて大変……… というか、私に付いてきてくれて、感謝しています。
西山古墳は明治初年に発掘され、その周囲からは円筒埴輪が、石室の内部からは刀身の破片や須恵器が多数出土したと云われています。しかしそれらは散在してしまい、現在は残っていません。

そうしたら古墳の登頂部に立って、今回の調査を締めることにしましょう。
かつてはこのあたり一帯に17基もの古墳があって、古墳群を形成していたのですけど、それらはみかん畑の開拓によって破壊され、現在はこちらの西山古墳と、駐車スペースのところの2号墳の残骸しか残っていません。
それよりも、こちらはちょっとした高台となっていることもあって、まわりに広がっているみかん畑を見渡すことができますよ。
暗くて狭いところもある石室の中から這い出てきたので、より開放的に感じます。とはいっても、決して石室内では怖かったとか不幸だったというワケではありませんよ
むしろ私は自ら好んで入っていきましたし、その内部は涼しいと言えなくもなかったですし、波も私と一緒なら安心していたでしょうし………
次回は一転して、自然が造形した岩の下に小川が流れ、⚪⚪⚪⚪がパタパタと飛んでいるようなところに行きます。
箔も行ったことがなかったその場所に波を連れていったら、彼女は喜ぶでしょうか?
そこは古墳の石室ではないのですけど、地下の空間ということだけはお伝えしておきます。

「パタパタする⚪⚪⚪⚪は、蝶々であってほしい」と願っている方は、こちらに投票してやってください。
真夏に突然巻き起こった洞穴(マイ)ブームのまっただ中にいる私と波は、次の目的地を目指して愛知県から本坂トンネルを経て、静岡県側に入っていきました。


旧三ヶ日町立西小学校日比沢分校がありました。



この日久しぶりに訪れたら、その建物は跡形もなくなっていました。


あれっ



そのような中でも、二宮金次郎像はまだ健在でした。


それでもこの金次郎さんは、こちらがかつて分校だったということを伝える証人でもあるので、これからもこの場所に居続けてもらいたいです。



その廃校から近いといえなくもない浜松市北区三ヶ日町の釣地区の道の脇には、このような案内看板が設置されています。


(釣)西山古墳群の案内板と、少しばかりの見学者用の駐車スペースがありました。



ここから目的地の西山古墳までは、歩いていきます。


そのみかんの木をかき分けるようにして………
もしそれらが実っている時季に訪れていたら、私の悪い手が美味しそうなみかんを失敬する恐れがあります。



………なんて妄想をしているうちに、西山古墳にたどり着きましたよ



石室に入れる穴が開いているのですけど……… 羨道は土砂で埋まっていて、その天井石が1ヶ所だけ外されていて、そこから入れるようになっています。それにしても、私が思っていたよりはかなり狭く、這う姿勢でいかなければ通過できませんよ。さらにその先は漆黒の闇となっていて、さすがの私でも少し躊躇してしまいました。



思い切って入ってしまいましょう




そんな私に波ちゃも付き合わされて大変……… というか、私に付いてきてくれて、感謝しています。

西山古墳は明治初年に発掘され、その周囲からは円筒埴輪が、石室の内部からは刀身の破片や須恵器が多数出土したと云われています。しかしそれらは散在してしまい、現在は残っていません。


そうしたら古墳の登頂部に立って、今回の調査を締めることにしましょう。


それよりも、こちらはちょっとした高台となっていることもあって、まわりに広がっているみかん畑を見渡すことができますよ。



次回は一転して、自然が造形した岩の下に小川が流れ、⚪⚪⚪⚪がパタパタと飛んでいるようなところに行きます。







今回もすごいとこに行きましたね~。
あんな怖そうな入り口では私なら絶対に入ろうとは思えません~(°Д°)
三ヶ日みかん食べて帰ります(笑)
次回の○○○○が飛ぶ場所も楽しみにしています。白黒茶々さんの事ですから綺麗な蝶々がパタパタ…ではない気がします(笑)
今回も洞穴談義にお付き合いしてくださり、ありがとうございます。
もちたさんも、みかんの誘惑には負ける恐れがあるのでしょうか?
次回の○○○○という飛行物体は、ある程度予想されていると思いますけど……… 楽しみにしていてくださいませ。