波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

1Q79と家康のビフォーアフター

2019-02-27 01:27:54 | 探求シリーズ
こんばんは、白黒茶々です。
突然ですけど、皆さんは昭和54年(1979年)には何をやっていたか覚えていらっしゃるでしょうか? なかには、まだ生まれてもいなかったという方もいらっしゃるかも知れませんね。 いずれにしても、その頃の時代背景を振り返るためにも、その年にあったことを抜粋させていただきます。
その年の1月に、江川卓選手をめぐる「空白の一日」事件が起こり、阪神と読売の特にファンの間に遺恨が残りました。4月からは、大山のぶ代さんが声優を勤めた先代の「ドラえもん」が放送開始。 7月には、やおきんがロングセラー商品となる「うまい棒」の発売を開始し、9月には日本の初代ジャイアントパンダでもあったランランが死亡しました。

さらにその年に浜松市博物館が開館し、今年で40周年になることから、昨年の12月には同施設で昭和54年(1979年)にスポットを当てた特別展がおこなわれました。 その頃に浜松市で青春時代を過ごした箔母さんを博物館に誘ったら、行く気満々に せっかくなので、たつぴも付いてきなさい。



ということで、やって来ましたよ 浜松市博物館……… ではないのですけど、駐車場に車を止めたら、その近くにある蜆塚遺跡を通って、博物館に行くような導線となっているのですよ。 こちらは縄文時代の遺跡なのですけど「縦穴式の住居がやけに新しいような………」と思われた方もいらっしゃるでしょう。これは、最近茅の屋根を葺き替えたばかりなのです。 忠実に復元された住居の、気になるその内部は……… 天井に火災報知器のセンサーが設置されていたのは見なかったことにしましょう。



前置きが長くなってしまいましたけど、今度こそ本当に浜松市博物館にたどり着きましたよ いきなり特別展に行くのもナン……… というよりは館内の順路に従って、常設展から観ていきます。



その展示室に入ってすぐのところには、巨大なナウマン像の骨格標本があって、この博物館のシンボル的存在となっています。



そのすぐ近くには、蜆塚遺跡から屈葬の常態で出土した人骨が展示してあるのですけど……… 白骨死体でもあり、なかにはショックを受ける方もいるかも知れないので、自主規制でモザイクを入れさせていただきました。



古墳時代に作られた馬形埴輪人物埴輪には、愛嬌すら感じますね。



さらに浜松城から出土した、本物のシャチホコのカケラも展示してありました。 これによって、そのお城には天守が存在したことが証明されたのですけど………



ここでシャチホコの説明をさせていただきます。 それはお城の天守や櫓などの屋根を飾るもので、炎を嫌って水を吐く性質があることから、火災よけの効果があるとされています。竜や虎のようなイカつい顔に、サカナの身体という姿が一般的なのですけど、カケラから復元されたシャチホコは、顔がのっぺりしているうえに出っ歯ときたもんだ さらに、鼻のつき方もヘンですし。なので浜松城には、ゆる~い部分もあるのですよ。



その展示室の真ん中にありましたよ 徳川家康のリアル「しかみ像」が。 その像は製作されてから、浜松市役所、浜松城天守門、………と、転々としていったのですけど、ようやくこの場所に落ち着いたみたいですね。ただし話の展開上、ここでネタばらしするワケにはいかないので、またしてもモザイクを入れさせていただきます。
※最近の箔波日記には、モザイクが多くないですか?(編集部注)



いつもにも増して前置きが長くなってしまいましたけど、いよいよ特別展の昭和54年の世界に入らせていただきます。 昭和54頃の浜松市は………



浜松城公園の現在は日本庭園となっているあたりに動物園があって………



昭和初期に造られた浜松市公会堂の建物を利用した児童館が、子供に人気で………



松菱百貨店が、西武百貨店とともに繁盛していました。 ただしこれらのものは、今回の展示にはありませんでした。



展示品の大半は写真のパネルだったのですけど、その時代の浜松に皆さまを誘います。



浜松市の玄関口でもある浜松駅は、昭和54年までは木造でした。 箔母さんは、今でもその駅舎のことをハッキリと覚えていると言っていました。



しかし、国鉄東海道線(今のJR)の列車が地上を走っていたことから、駅の近くの平田(なめだ)の踏切は閉じている時間が長く「開かずの踏切」とも呼ばれていました。 そのおかげで、その付近の道路はいつも混んでいたそうです。



そんな悩みも、昭和54年の鉄道の高架化によって万事解決 それに伴って駅舎も場所を移し、リニューアルしました。さらに昭和63年(1988年)にその隣接地に駅ビルが建てられ、現在に至ります。



市営浜松球場も、その年に建て替えられました。 ただし、収容人員は3万人となっていますけど、実際にはその半分程度です。



あと当時出回っていた、ステレオタイプのカセットレコーダーや………



その後大ヒットした、ゲームウォッチファミリーコンピューターなども見ることができました。
昭和どころか平成も終わろうとしているので、これらの風景はより遠くなっていくように感じますね。 そうしたら今見られるまわりの景色も、いずれは変わるかも知れないので、脳裏に焼き付けておくようにしたいですね。



話は変わって、ここからは「徳川家康像」の話をさせていただきます。 先ほど博物館で先送りしたことと大いに関係あるのですけど、事の発端は昨年の秋に岡崎公園でおこなわれた、サモスピによる紅葉狩りでのアルパパさんが発した一言からでした。彼は同公園にあるこの家康の石像を見て「本当にこんな姿になったのか?」と仰っていました。 「これは、家康が描かせた『しかみ像』を立体化させたもので………」と説明している間に、私は浜松にはもっとリアルな『しかみ像』があるということを思い出しました。 さらに、その数時間前の彼の姿を生々しく再現した像の存在も………

話は今から400年以上も前の、元亀3年(1572年)の12月にまでさかのぼります。 その頃、上洛を目指していた武田信玄は2万5千(諸説あり)の兵を率いて、西に進んでいました。浜松も通ったのですけど、徳川家康のいる浜松城には目もくれずに、そのまま兵を進めていきました。 そのことに腹を立てた家康は、織田の援軍を含めた1万1千(諸説あり)の軍で迎え撃ったのですけど………



前回の箔波日記に出てきた元城東照宮にある家康の銅像は、歴史家の磯田道史先生の監修によって、その出陣前の血気盛んな彼の姿を再現したものであります。 それだけではなく………



浜松城の模擬天守内には、その姿をよりリアルにした像(蝋人形?)があるのですよ これは、現在まで多数伝わる老年期の家康の肖像画から彼が若い時の姿を推定し、3D化したもので、二重まぶたに大きな瞳、それに引き締まった顔や体型は、男前と言ってもいいでしょう それだけではなく、浮き出た血管や毛穴までリアルに再現されているので、私はこの像のことを「毛穴家康像」と呼んでいます。



まず皆さんは、この家康の姿をよく覚えておいてください。
武田の大軍に半分以下の徳川軍が挑んでいったのは、無謀なようにも思えますけど、合戦の勝敗は決して兵の数で決まるとは限りません。 浜松城の北に広がる三方原台地を進んでいく武田軍が祝田坂を下っていくと推定した家康は、その背後から奇襲する作戦を立てました。 それは、武田軍に勝てる唯一の戦法でもあったのです。ところが、信玄は家康の動きを読んでいて、幾重にも軍が重なる「魚鱗の陣」の態勢で待ち構えていたのです いわゆる、ドラゴンクエストでいうところの「まわりこまれてしまった 」状態です。 これによって、世にいう「三方原の戦い」が始まりました。
あとには引けなくなった家康は、横一線に軍が平がる「鶴翼の陣」で斬り込んでいったのですけど……… 武田軍によって完膚なきまでに叩きのめされてしまいました。 家臣の夏目吉信らが身代わりとなっている間に家康は敗走し、命からがら浜松城に帰りました。 その間に食い逃げをしたり、恐怖のあまり脱糞したり、………と、いろんな伝説ができたのですけど。さらに何を思ったのか、家康は城に絵師を呼び寄せて、敗戦直後の最も情けない自分の姿を描かせたのです。 その肖像画は蓬左文庫のある徳川美術館に伝わり、それを立体化かつリアルにしたのが………



先述した浜松市博物館にある、リアル「しかみ像」なのですよ 蒼白した顔は恐怖でひきつり、右手は震える足を抑え、左手で首が繋がっていることを確認しています。 戦の前の血気盛んな毛穴像とのギャップがあまりにも激しすぎて、同一人物とは思えない程です。いや、失礼ながらギャグ漫画の域と言ってものかも。
戦に惨敗した直後の極限状態の中でありながらも、家康は冷静さを取り戻し、彼にとってはどん底にいるときの姿を残すことによって、若気のいたりで大事な家臣や多くの兵を犠牲にしてしまったことを反省し、その後も自らを戒め教訓とするために、常にその「しかみ像」を傍らに置いていたそうです。

徳川家康といえば「タヌキおやじ」とか「ズル賢い」とか「織田信長豊臣秀吉の手柄に乗かった」とか、かなりイメージが悪いのですけど……… 彼はその三傑の中では幼少期から最も苦労し、敗戦から多くのことを学び、信長や秀吉の片腕となって働きました。そして何よりも、戦のない世の中を実現させた功績は大きいです。 徳川幕府に対しては賛否両論あるのですけど、260年以上も平和な時代が続き、その礎を築いた家康を、私は尊敬しています。 なので、彼の未来の姿でもある出世大名家康くんのことを少しでも誉めていただけると、嬉しいです。


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