こんばんは、白黒茶々です。
先月末に、私とたつぴは北海道日本ハムファイターズの応援をしに、大阪にある京セラドームに行ってきました。 その日、箔母さんは体調を崩してドタキャンしたのですけど、そのおかげで移動手段の「青春18きっぷ」が1回ぶん余ってしまいました。
※青春18きっぷとは……… JRが時期限定で発行している切符で、在来線なら1日乗り放題できるというものが5枚綴りとなっています。ちなみに、値段は11500円。1人で5日間使ってもよし、5人で日帰りの列車の旅を楽しんでもヨシ。とにかく、有意義にお使いくださいませ~♪それから、そのネーミングから誤解を受けることが多いのですけど、使用者に年齢制限はないのですよ。(編集部注)
そこで、私はよからぬことを考えていました。 青春18きっぷが余っているのに、有効に使わなければもったいない。できることなら箔と一緒に列車の旅をしたいのですけど、9月に入ったとはいってもまだ暑いので、それも難しいし……… ちなみにその使用期限は、その月の10日までと迫っていました。こうなったら、ムリのない範囲でお城めぐりの旅に行くことにしましょう このようにして、私の日帰りでの一人旅は決まりました。
そのような流れで、今回私が選んだお城は……… 忍者の里としても有名な、三重県伊賀市にある伊賀上野城。私がそのお城に行くのは、17年ぶりとなります。 前夜から実行日の朝にかけての大雨で列車が多少遅れたりしたのですけど、予定通りの時間に私は亀山駅に到着しました。 「伊賀でも上野でもないこの地で、何をするのか?」ですって?ふふふ、それは……… 列車の旅ではもうすっかりお約束となっている、寄り道ですよ とにかく皆さんも、私のあとに付いてきてくださいませ。 駅を出てから、北方面に向かう坂道を上っていったら………
徒歩7分ほどで、かつてはお堀だった池の向こうに、お城の多聞櫓が見えてきました。 あれが、伊勢亀山城なのですよ さらに、ぐいぐいと近付いていきますね。
そうしたら、先ほどの多聞櫓が高い石垣の上に建っている様子がわかるようになりました。 伊勢亀山城は13世紀の半ばに近くの若山に築かれ、16世紀中頃までに現在地に移りました。さらに天正18年(1590年)に岡本宗憲によって天守が築かれ、寛永13年(1636年)からの本田俊次の大改築によってお城の全貌が整いました。 その石垣をよく見てみたら………
灯籠の台座と思われる石が埋め込まれていました。 築城の際に石材が足りないと、このような石も転用されたのですよ。この他にも、大和郡山城では墓石やお地蔵さんが、姫路城では餅屋のお婆さんの商売道具の石臼や、古墳の石棺が使われています。
伊勢亀山城の本丸跡は道路で分断されているのですけど、その北側の公園には三重櫓跡があります。幕府は堀尾忠晴に、丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を破却するように命じたのですけど、彼は間違えてこちらのほうの亀山城(三重県亀山市)の天守を取り壊してしまいました。なんてことをしてくれたんだ 忠晴。とはいっても、亀山藩は小藩ということもあり、その裏には「そのようなところに大規模な天守は分不相応」という、幕府の陰謀が働いていたのかも知れません。
のちに、その代わりとして建てられた三重櫓は、このような姿をしていました。 ちなみにこちらの建物は、明治初期まで存在していました。
その東側の二の丸北帯曲輪跡に、最近土塀が復元されました。できることなら、お城の外側からその様子を眺めておきたいのですけど、あまり時間がないのでここでヨシとさせてくださいませ。
本丸跡の西側には、テニスコートの前に何の変てつもない駐車場と公衆トイレが。実は私にとってそこは、思い出深いところなのですよ。
今から15年前のこと。前の会社を辞めた私は、現在の職場に入るまでのインターバルの間に、車を運転して甲賀方面に一人旅に出ました。 水口城、甲賀忍術屋敷、紫香楽宮跡、信楽たぬき村などを見て回ったあと、車中泊をしたかったのですけど、なかなか適当な場所が見つかりません。 その翌朝には亀山城を見に行きたいので、できたらその近くがいいですね。そのようにして、真夜中にたまたま行き着いたのがこちらだったのですよ。 それにしても、その二点セットは当時とまったく変わっていませんでした。
そして、先ほどの多聞櫓です。こちらの建物は、三重県内に唯一残る城郭建築であります。 最近修理がおこなわれ、創建当時の姿によみがえりました。しかも、無料でその内部を見られるなんて、嬉しいですね。もちろん、私はその中に入りますよ
気になる多聞櫓の内部は、太い柱や梁が組まれていて、壁の内側は荒壁となっていました。
その窓からは見晴らしがよく、遠くに鈴鹿の山々を臨むことができました。 それに、外から吹き込んでくる風が心地よいですね。
展示物の中には、焼け焦げた建材も。この多聞櫓は、修理中の昨年12月に、失火に見舞われました。 その火はすぐに消し止められ、大事には至らなかったのですけど、どうやら放火だったみたいです。
伊勢亀山城はこのくらいにしておいて、そろそろ本命の伊賀のほうを目指すことにしましょう。亀山駅からさらに関西本線で西に向かい………
伊賀上野駅からは伊賀鉄道に乗り換えます。 ………って、この列車、かなり強烈ですよ 伊賀鉄道の列車のなかには、このような忍者仕様になっているものもあるみたいです。その忍者列車に乗って、3駅ほどで………
上野市駅にたどり着きました。ちょっと今風に塗り直されているのですけど、大正11年(1922年)に建てられた駅舎は、味があっていいですね。 それよりも、旧上野市が周辺の町と合併して伊賀市となった現在でも、駅名が変わっていないところがなんとも。
目的地の伊賀上野城は、そこから目と鼻の先にあるのですけど、そちらのほうも手を抜くことなくレポートするとなると、あまりに長くなってしまうので、このあたりで一旦仕切らせていただきます。 このあとお城だけではなく、城祉公園内に移築された忍者屋敷、かつての藩校の旧崇廣堂についてもご案内する予定です。
ただし、スピッツクラブ展覧会などを挟んだりすることもあって、続きのレポートがかなり遅くなる恐れがあるのですけど、今年中には必ずやるので、どうか懲りずにお付き合いしてくださいませ。
「寄り道に時間とスペースを使いすぎ!」と思われた方は、こちらに投票してやってください。
先月末に、私とたつぴは北海道日本ハムファイターズの応援をしに、大阪にある京セラドームに行ってきました。 その日、箔母さんは体調を崩してドタキャンしたのですけど、そのおかげで移動手段の「青春18きっぷ」が1回ぶん余ってしまいました。
※青春18きっぷとは……… JRが時期限定で発行している切符で、在来線なら1日乗り放題できるというものが5枚綴りとなっています。ちなみに、値段は11500円。1人で5日間使ってもよし、5人で日帰りの列車の旅を楽しんでもヨシ。とにかく、有意義にお使いくださいませ~♪それから、そのネーミングから誤解を受けることが多いのですけど、使用者に年齢制限はないのですよ。(編集部注)
そこで、私はよからぬことを考えていました。 青春18きっぷが余っているのに、有効に使わなければもったいない。できることなら箔と一緒に列車の旅をしたいのですけど、9月に入ったとはいってもまだ暑いので、それも難しいし……… ちなみにその使用期限は、その月の10日までと迫っていました。こうなったら、ムリのない範囲でお城めぐりの旅に行くことにしましょう このようにして、私の日帰りでの一人旅は決まりました。
そのような流れで、今回私が選んだお城は……… 忍者の里としても有名な、三重県伊賀市にある伊賀上野城。私がそのお城に行くのは、17年ぶりとなります。 前夜から実行日の朝にかけての大雨で列車が多少遅れたりしたのですけど、予定通りの時間に私は亀山駅に到着しました。 「伊賀でも上野でもないこの地で、何をするのか?」ですって?ふふふ、それは……… 列車の旅ではもうすっかりお約束となっている、寄り道ですよ とにかく皆さんも、私のあとに付いてきてくださいませ。 駅を出てから、北方面に向かう坂道を上っていったら………
徒歩7分ほどで、かつてはお堀だった池の向こうに、お城の多聞櫓が見えてきました。 あれが、伊勢亀山城なのですよ さらに、ぐいぐいと近付いていきますね。
そうしたら、先ほどの多聞櫓が高い石垣の上に建っている様子がわかるようになりました。 伊勢亀山城は13世紀の半ばに近くの若山に築かれ、16世紀中頃までに現在地に移りました。さらに天正18年(1590年)に岡本宗憲によって天守が築かれ、寛永13年(1636年)からの本田俊次の大改築によってお城の全貌が整いました。 その石垣をよく見てみたら………
灯籠の台座と思われる石が埋め込まれていました。 築城の際に石材が足りないと、このような石も転用されたのですよ。この他にも、大和郡山城では墓石やお地蔵さんが、姫路城では餅屋のお婆さんの商売道具の石臼や、古墳の石棺が使われています。
伊勢亀山城の本丸跡は道路で分断されているのですけど、その北側の公園には三重櫓跡があります。幕府は堀尾忠晴に、丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守を破却するように命じたのですけど、彼は間違えてこちらのほうの亀山城(三重県亀山市)の天守を取り壊してしまいました。なんてことをしてくれたんだ 忠晴。とはいっても、亀山藩は小藩ということもあり、その裏には「そのようなところに大規模な天守は分不相応」という、幕府の陰謀が働いていたのかも知れません。
のちに、その代わりとして建てられた三重櫓は、このような姿をしていました。 ちなみにこちらの建物は、明治初期まで存在していました。
その東側の二の丸北帯曲輪跡に、最近土塀が復元されました。できることなら、お城の外側からその様子を眺めておきたいのですけど、あまり時間がないのでここでヨシとさせてくださいませ。
本丸跡の西側には、テニスコートの前に何の変てつもない駐車場と公衆トイレが。実は私にとってそこは、思い出深いところなのですよ。
今から15年前のこと。前の会社を辞めた私は、現在の職場に入るまでのインターバルの間に、車を運転して甲賀方面に一人旅に出ました。 水口城、甲賀忍術屋敷、紫香楽宮跡、信楽たぬき村などを見て回ったあと、車中泊をしたかったのですけど、なかなか適当な場所が見つかりません。 その翌朝には亀山城を見に行きたいので、できたらその近くがいいですね。そのようにして、真夜中にたまたま行き着いたのがこちらだったのですよ。 それにしても、その二点セットは当時とまったく変わっていませんでした。
そして、先ほどの多聞櫓です。こちらの建物は、三重県内に唯一残る城郭建築であります。 最近修理がおこなわれ、創建当時の姿によみがえりました。しかも、無料でその内部を見られるなんて、嬉しいですね。もちろん、私はその中に入りますよ
気になる多聞櫓の内部は、太い柱や梁が組まれていて、壁の内側は荒壁となっていました。
その窓からは見晴らしがよく、遠くに鈴鹿の山々を臨むことができました。 それに、外から吹き込んでくる風が心地よいですね。
展示物の中には、焼け焦げた建材も。この多聞櫓は、修理中の昨年12月に、失火に見舞われました。 その火はすぐに消し止められ、大事には至らなかったのですけど、どうやら放火だったみたいです。
伊勢亀山城はこのくらいにしておいて、そろそろ本命の伊賀のほうを目指すことにしましょう。亀山駅からさらに関西本線で西に向かい………
伊賀上野駅からは伊賀鉄道に乗り換えます。 ………って、この列車、かなり強烈ですよ 伊賀鉄道の列車のなかには、このような忍者仕様になっているものもあるみたいです。その忍者列車に乗って、3駅ほどで………
上野市駅にたどり着きました。ちょっと今風に塗り直されているのですけど、大正11年(1922年)に建てられた駅舎は、味があっていいですね。 それよりも、旧上野市が周辺の町と合併して伊賀市となった現在でも、駅名が変わっていないところがなんとも。
目的地の伊賀上野城は、そこから目と鼻の先にあるのですけど、そちらのほうも手を抜くことなくレポートするとなると、あまりに長くなってしまうので、このあたりで一旦仕切らせていただきます。 このあとお城だけではなく、城祉公園内に移築された忍者屋敷、かつての藩校の旧崇廣堂についてもご案内する予定です。
ただし、スピッツクラブ展覧会などを挟んだりすることもあって、続きのレポートがかなり遅くなる恐れがあるのですけど、今年中には必ずやるので、どうか懲りずにお付き合いしてくださいませ。
「寄り道に時間とスペースを使いすぎ!」と思われた方は、こちらに投票してやってください。