私は、生まれて初めて行なった座禅(静功)を、何も分からぬままに無我夢中で、出来るだけ長く吐く呼吸を行なって、1時間、真っ暗闇の中で座っていました。
たまたま私自身は、気を感じやすかったのかも知れませんが、初日に、頭のてっぺんにある百会が活性化し、頭全体が電子の輪の帽子を被った状態になったのです。
また、私に静功の声かけをしてくれた大学の級友が、毎週3日間、静功を行っていて、そのうち1日は24時間行なっているのを横目に見ながら、それでは私は毎日、1時間行なってみようと思ったのです。 また昼間、ちょっとした時間を利用して、目を軽く閉じて長く吐く呼吸を、練習していました。
電車を待っている間も、電車で座っている時でも、事務所で椅子に座っている時でも、ときには葬儀で弔辞を聴きながらでも、出来るだけ長く吐く呼吸を行なっていました。
そんなことも幸いしたのか、体はその度に、微妙な変化を感じさせ、座禅を初めて1ヶ月半後には、下腹の臍下丹田が、自発動を通して活性化し、心臓のように鼓動を始めたのです。
これらのことは、全て体の変化が先で、なんのことやら何も分かりませんでした。 後で、このことは何なのかを本で読んで知ることになったのです。 何も分からず無我夢中で、ひたすら長く吐く呼吸を行なっていただけなのです。
それらのことを改めて考えてみると、私の我流の逆腹式呼吸は、肺の動きと臍下丹田の動きが、生理的に正しい動きをしていたのではないかと思うのです。
深呼吸の要領で、胸を拡げて下腹を凹ませながら大きく息を吸い、出来るだけ長くゆっくりと息を吐き、吐く息を体の中の臍下丹田へ向けて吐く、この呼吸法が、空気を吸う肺の呼吸と臍下丹田の気の呼吸と合致しているのではないかと感じるのです。
息を吸うときには胸は拡がり、下腹は凹んで臍下丹田は気を吐く。 息を吐くときには凹んだ下腹は元に戻り、臍下丹田は気を吸う関係にあるということです。
私自身は「空」の概念は、素晴らしいものと思っておりますが、肺と丹田から同時に吐き出す考えは、肺の動きと臍下丹田の動きの生理に合わないのではないかと感じております。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます