ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

崇高な至福感を感得できる座禅で禅病なんてありえないが

2012-04-06 07:07:52 | 座禅

 座禅を行なって禅病になるという話を聞いて、おかしいなあと感じていました。 出来るだけ長く吐く呼吸を通して、体の中へ吐く呼吸を通して、1時間の座禅を行うことによって、全てのストレスから開放され、セクシャルなエクスタシーを遥かに超える、崇高な至福感を感得できる座禅を行うことによって、精神的におかしくなる禅病になるなんて。

 どこかが、おかしいのではないかと、いつも感じていました。 座禅の修行方法が悪いのか。 師匠から弟子へ口承による伝承の仕方が良くないのか。

 私は、仏教の経典を読むわけでもなく、決められた時間に座禅をするわけでもなく、長い間、足の組み方も普通の胡座でしたし、お線香も点てないし、お寺の和尚さんから教わった訳でもなく、いつも真っ暗闇の中で、ひたすら1時間、自分の好きな時間に、座って「静か」になることだけを、目指していただけです。

 体の中へ吐く息だけに意識を集中することによって、体の微妙な変化を感じ、それを素直に楽しみ、その座禅を通して、様々なことを感得、学んで来ました。 心身を「静か」にすることによって、座禅の素晴らしさを感じて来ました。

 修行するなどと思ったことはありません。 時として、大仏さまの懐で自分が胡座を組んでいると、感じたこともあります。 あるいは大きな手のひらで、座禅をしていると感じたこともあります。

 いつもそう感じていただけに、修行僧が禅病になるということに、何かがおかしいと感じざるを得ませんでした。


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4 コメント

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Unknown (だいち)
2012-04-06 09:25:35
そりゃ一日に座っても一時間程度の我々には禅病なんて全く縁の無い話でしょう(笑)白隠さんは、崇高な至福感とか以前に自己を究明をするために気概を持って坐っていたんではないかと思います。
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おっしゃる通りかもしれませんが (龍之介)
2012-04-06 14:22:04
 確かに、その通りかも知れません。 然しながら、かつて私自身が3時間、座禅を行なっていた時には、深まりこそすれ、体の調子はますます充実していたという記憶があります。
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つまりのところ (喜雀)
2012-04-06 18:38:16
目指しているものが全く異質であるため、永遠に交わることはない直線のようなもの。比較することは出来ないのではないでしょうか。
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静かに座ることの素晴らしさを伝えているだけです (龍之介)
2012-04-07 11:25:49
 私は静かに座ることの素晴らしさを、伝えているだけです。 その過程で、様々な事柄について、改めて既成概念を取り払い、感じたままを伝えていきたいと思っています。

 幸いなことに、私の出発は静功ですし、その静功の会ですら、私は我流で感得したことを、何ども座禅のふと浮かぶ雑念の時に、考えてきました。

 そのことを素直に、伝えているだけなのです。
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