私のひとり座禅は、殆んどよるの寝る前か、家族みんなが寝込んで静かな状態になった時に、部屋が真っ暗な状態の中で、胡座を組み深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで下腹に向けて吐いておりました。
何時も最低1時間は続けていました。 真っ暗闇の中での座禅でしたので、眼を半眼にするということを、意識したことがありませんでした。 座禅を始めて10年過ぎてから、近隣市の稲城の禅寺に参禅した時にはじめて、和尚さんから眼は半眼にしなさいと云われたのです。
私は直ぐに半眼で座禅を行なったものの、なぜ半眼にしなければいけないのかを、長く吐く呼吸に意識を集中しながらも、ふと浮かぶ雑念の中で考え続けました。
お釈迦さまが菩提樹の下で瞑想を行なっていた時の姿を、お弟子さんが見ていて、お釈迦さまが眼を半眼にしているのを見られて、そのことを後世の資料として残されていると云う文章を見ました。
私は友人の病気回復を願って、一時期3時間の座禅を続けて来たことがありますが、それらの体験から、座禅を続ける中で心身ともに深層部までも静かな状態になった時には、自然と眼は半眼になることを感得いたしました。
従って、座禅の時に眼を半眼にするのではなく、静かな状態になった時には、眼は自然と半眼になると云うのが、正しい言い方ではないかと思ったのです。
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