父母の関係の従兄弟は、多くは神戸、明石、名古屋に住んでいます。 父系の従兄弟で唯一、湯島にいた父の妹の従兄弟とは、子供の頃から近くにいたので、お付き合いがありますが、神戸、名古屋にいる従兄弟とは、一度ぐらいは顔をあわせたことがあるにしても、住所すら分かってはいません。
母系の従兄弟とは、子供の頃から交流がありますので、今でもいつ行っても、昨日まで一緒に生活していた感覚で、いられます。 勿論、住所も分かり、年賀状のやり取りもしています。
母の姉は、明石の旧街道の蔵造りの町並みが残る大蔵町で、お米やさんをやっていました。 子供の頃は毎年、夏を迎えると、40日間を明石の家で過ごしました。 朝ごはんを食べて間もなく、100mも行けば明石の海岸です。
午前中、海で泳いだり、モリで魚を突いたりして遊び、お昼ご飯まで海岸で過ごします。 午後は、広場で野球をやったり、その他もろもろ(記憶のかなたへ)遊んだ後で、夕方に家に帰ります。 宿題はあるものの、遊ぶのに夢中で忘れてしまいます。
母の兄は神戸でお風呂やさんを、やっていましたので、開く前に脱衣所の鍵付きの箱の中に、もぐってかくれんぼなどをしたことが、思い出されます。 鍵が開かなくて困ったこともありました。 母の妹も、お風呂屋さんのそばにいましたので、その従兄弟達とも一緒に遊びました。
明石の従兄弟達とは、連れ合いも含めて、離れて住んでいても、兄弟のような感覚でいます。 不思議なものです。
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