ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

親をみて子は育つといいますが-20

2005-11-10 19:11:29 | 自分
 結婚する前は、あんなにも胸が高まり痛い思いもしたのに、何故いまあの熱い思いはどこにいってしまったのかしら、と思ったことがあります。 そんなことを思うある日、君の存在は空気のように見えないけれど、なくてはならない存在ですと連れ合いに言ってしまったことがあります。
 空気のように見えない存在と言ってしまったことは、後から考えると大変失礼な言い方であったかも知れません。 また、その後友人に話すように、あの人(よく知っている人でしたが)が好きになってしまったんですが、と話してしまいました。 これもずいぶん失礼な言い方であったかも知れません。
 私自身は楽しいことであれば、誰が聞いても楽しくなると思いますので、割合とぺちゃくちゃと話をしますが、泣き言とかいやなことは、連れ合いも含めほかの人には殆んど話をしたことがありません。 いやなことはほかの人が聞いても楽しくなることがないと思うからです。 いやなことは自分の生活サイクルの中で、いつも消化するように心がけております。 
 時々、疲れがどっと出るときはありますが、肩が凝ることを知りませんし、胃がきりきり痛くなることも殆んどありません。
 いつも自分がそこに存在することによって、笑いとか幸せ感を周りの人が味わってくれたらなあ といつも振舞うようにしておりますが、最近はなかなか自分の思うようになりませんし、逆に周りの方々に迷惑をおかけすることが意に反して多くなってしまっているのが現実です。
 悪くなったときには、いつもこれ以上は悪くにはならないだろうと思い、さらに悪いことが重なった場合には、自分に課せられた試練だといつも思うようにしております。 どのように逆らったところで、なるようにしかなりません。 いつか上下するリズムの中でじっと耐え、上に上がるリズムが来るまで待つしかありません と思えば何のこともありません。 いつもそのように考えることにしております。
 猫が昨年までおりましたが、その時の我が家の序列は 娘 連れ合い 息子 猫 私 の順番でした。