建物づくりの原点を観る-3

2010-04-23 14:57:44 | 居住環境
[註記追加 24日 7.37][文言追加 24日 7.46]

今回は、図がよく見えるように、図版を大きくしています。そのため、「全長」がきわめて長くなってしまいますが、ご容赦を。

同書には、古図の残っている地区の集落図、集落内の各住戸の平面図も採集されています。それを見ると、各地区の地形にどのように建物を建てているか、つまり集落の立地の様子が窺えます。

   註 この古図は、細かく区画され、地番(あるいは面積?)のようなものが書き込まれていますから、
      日本の「地籍図」に相当する図ではないでしょうか。[註記追加 24日 7.37]

順に紹介します。恐縮ですが、先回、先々回に載せた地域図を時折り見てください(そこだけプリントしてそれを片手に見ていただくと、場所が分りやすいと思います)。

先ず、コルティナ・ダンペッツォ地域にある CHIAVE という集落の1858年の様子。





上は全体配置図。

下は各住戸平面図を入れた配置図。グレーの箇所は家畜小屋か納屋・倉庫。白いところが居住区。赤で記入されているのは暖炉。他の地区の図も同じです。

地上階はほとんどが石造(石積み)で、上階あるいは屋根だけが木造になるようです。

地形は左下:南西から右上:北東へと登り勾配。
等高線は5m間隔で、左下の棒尺にかかっている線が1300m、右上の図中最高の線が1325m。
およそ150mで25m、100mで約17m、1寸7分勾配。ということはかなり急。

一段下の1320mのラインは、左側:西側で、南へ向う小さなコブをつくってから北へ曲っています。そのため、その線にかかる2軒だけ、ほかの住戸と向きが異なるように見えますが、等高線に対する対し方は、他と同じです。
つまり、等高線に対して直交して長細い切妻屋根の建物が建つことにはどの住戸も変りない。棟もその方向。


次は、地域図の ZOLDANO の一画と思われる FORNESIGHE の1816年、1817年と1921年の様子を示す図。

下図の1817年の地図では、地名の表記が FORNASIGHE になっています。日本でもよくあることです。



次の図は、上の図の1年前、1816年の地図ですが、これは、日本ではちょっと見たことがない画期的な図です。
平面図・配置図から、全体の立面図を起こしてあります。立面図は、この書の編集者によるものと思われます。

この1816年の立面図は、地区の「地籍図」から地番?などを取去って編者がつくった地図:平面図を基に作成したものだと思われます。たくさんの区画線は、多分、地籍の区分で、地形:等高線が基本になっているようです。[文言追加 24日 7.46]



日本でも、街並みの通りに沿った全建物の立面図を描いた例は見かけますが、地理的・地形的背景まで描きこんだ図は見たことがありません。
たとえば、妻籠宿などの場合、街道は地形と密接にかかわっているわけですから、このような背後の山、全面の斜面まで描きこんだ図をつくると、宿場がなぜその場所に栄えたかが、平面図以上に分ってくるのではないか、と思います。

そして次は1921年の様子。



この地図の等高線の間隔は20m。したがって、先の CHIAVE よりもさらに急勾配の地形にある集落です。そういう地形の中で、一画だけ、岬のように斜面が出っ張っていて、その出っ張りの上に住戸が集中しています。
そのため、建物は肩を寄り添うように、密集度が高くなっています。ここも、等高線に直交して細長い切妻建物が建つ。

しかし、なぜ、この一画に集中するのか、見当がつきません。何か特別な理由があるのだろうと思いますが、分らない。


最後に、地域図の ZOLDANO の一画と思われる COSTA という集落。標高は、1400m以上という高地の集落。
はじめに、1817年の地図2枚。1枚目は古図で、2枚目も古図ですが少し範囲が広く、それを基に全景立面が描かれています。





COSTA の比較的最近、1985年の様子が次の図です。



ここは、勾配は急な地形ではありますが、斜面の幅が広い:等高線が曲折なく長く続くので、等高線に沿って住戸が建てられるため、それほど高密度にはなっていません。

先回、ドロミテの住戸は等高線に直交して棟を構える、と書きました。そして今回の前二者も同じでした。
しかし、この集落の建物は、他の集落と異なり、棟が等高線にいわば平行して細長く、棟も平行しています。
これはおそらく、斜面の幅が広い:曲折なく等高線が長く続いているため、等高線に沿って幅広い建物を建てることができたことによるものと思われます。

要は、いずれの地区も、建物の構え方は地形に素直に順じている、ということです。
つまり、等高線に沿って広く長く建てられるところでは等高線に平行に、そうでないところでは、等高線に直交して長い建物をつくらざるを得ないのだ、と考えられます。


察するに、このほかにも各地の古図が残っているものと思われ、編者は、その中から、立地の異なる特徴的な三つの集落を取り上げたのではないでしょうか。

このような高地に居を構えるのは、牧畜のためか、とも考えられますが、普通の場所では、冬場は下に降りるのではないかと思います。しかし、ここでは、きわめて堅牢なつくりの建物が建つ。
その理由がよく分りません。

また、各住戸の大きさは、いずれの集落の例もきわめて大きく、それが1家族なのか、それとも数家族で住んでいるのか、もう少し詳しく読んで(眺めて)みないと分りません。

分らない所だらけで、分るのかどうか、はなはだ心許ないのですが、続きはただいま苦闘中です。

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